世界数十カ国の大学・研究機関の研究グループが参加し、共通の調査票で各国国民の意識を調べ相互に比較する「世界価値観調査」が1981年から、また1990年からは5年ごとに行われている。ただし7回目の最新調査は前回から7〜10年後の2017〜20年(日本は9年後の2019年)となっている。

世界価値観調査は各国毎に全国の18歳以上の男女、最低1,000サンプル程度の回収を基本とした個人単位の意識調査であり、極めて貴重な情報を提供している。

 ここでは、この調査から分かる神の存在、死後の世界に対する各国国民の見方を図録にした。図録9520xは更新前の2000年期データによる図録なので参照されたい。日本人の回答を前回2010年調査の結果とともに掲げると以下である。日本人の神の存在を信じているかの時系列変化や年齢別の違いについては図録3971c参照。

日本人の回答結果(%)
  存在
する
存在
しない
わから
ない
無回答
A)神 2000年 35.0 31.6 33.4 -
2019年 39.2 32.4 27.8 0.6
B)死後
の世界
2000年 31.6 30.5 37.9 -
2019年 32.2 34.7 32.6 0.4

 対象国は、77カ国であり、存在していると考えている人の比率別の内訳は、以下の通りである。

存在していると考えている人の比率別の国数と国名
  神の存在 死後の世界
  国数 国名 国数 国名
90%以上 36 エチオピア、タジキスタン、ジンバブエ、バングラデシュ、チュニジア、レバノン、フィリピン、ヨルダン、イラン、ナイジェリア、ミャンマー、ジョージア、エクアドル、ペルー、ボリビア、パキスタン、インドネシア、アゼルバイジャン、キルギス、コロンビア、アルバニア、グアテマラ、プエルトリコ、ブラジル、メキシコ、マレーシア、トルコ、ボスニア・ヘル、ルーマニア、モンテネグロ、アルゼンチン、ニカラグア、ギリシャ、キプロス、アルメニア、ポーランド 5 バングラデシュ、トルコ、ヨルダン、チュニジア、イラン
50〜90%未満 28 マケドニア、カザフスタン、チリ、台湾、セルビア、クロアチア、米国、ポルトガル、イタリア、ウクライナ、ロシア、リトアニア、ベラルーシ、ブルガリア、オーストリア、スロバキア、スイス、ハンガリー、スペイン、アンドラ、スロベニア、アイスランド、ドイツ、オーストラリア、フィンランド、香港、デンマーク、フランス 38 パキスタン、エジプト、レバノン、ミャンマー、フィリピン、ナイジェリア、エチオピア、マレーシア、グアテマラ、ジンバブエ、タジキスタン、インドネシア、メキシコ、ボリビア、プエルトリコ、ペルー、米国、エクアドル、ボスニア・ヘル、ポーランド、チリ、コロンビア、アゼルバイジャン、アルゼンチン、アイスランド、タイ、台湾、ブラジル、ルーマニア、キプロス、オーストラリア、リトアニア、ジョージア、マケドニア、クロアチア、カザフスタン、スイス、オーストリア
50%未満 13 ベトナム、英国、ニュージーランド、タイ、ノルウェー、マカオ、オランダ、韓国、日本、エストニア、スウェーデン、チェコ、中国 34 イタリア、ギリシャ、スロバキア、アンドラ、アルメニア、ウクライナ、英国、フランス、ニュージーランド、香港、ハンガリー、デンマーク、ドイツ、ノルウェー、オランダ、ロシア、スペイン、スウェーデン、ベラルーシ、スロベニア、モンテネグロ、フィンランド、エストニア、ベトナム、韓国、セルビア、ポルトガル、日本、チェコ、マカオ、ニカラグア、ブルガリア、アルバニア、中国

 「神の存在」や「死後の世界」を信じているかどうかについて、「信じている」、「信じていない」、「わからない」の割合を対象となっている世界77か国について図示した。国の順番は「信じている」の割合の大きい順である。

(神の存在を信じるか)

 まず「神の存在」についてであるが、「信じている」の割合は最も高いエチオピアの99.9%から最低である中国の16.9%まで大きく異なっている。神の存在感は国によってまことに様々であることが分かる。

 それにしても図を見て、まず、目立っているのは、神の存在を信じている国民の多さである。90%以上の国民が「神の存在」を信じている国は36か国と半数近くにのぼっており、95%以上に限っても26か国もある。

 95%以上と国民のほとんどが「神の存在」を信じている国を見るとイスラム圏の国が12カ国と最も多く、カトリック国が9カ国、それ以外の途上国が5カ国となっている。

 主要先進国であるG7諸国について「信じている」の値を見てみると、高い方から、米国(81.2%)、イタリア(76.2%)、ドイツ(57.2%)、フランス(50.3%)、英国(47.8%)、日本(39.2%)となっており、世界全体ほどではないが、やはりかなり幅が大きい(G7のうちカナダは調査対象外)。米国は主要先進国の中でもっとも信心深い国であり、カトリック国のイタリアがこれに次ぎ、他方、無宗教に最も近いのは日本である。

 主要先進国は、全体としては、「神の存在」を余り信じなくなっていると言えよう。

 さらに、「神の存在」を信じている人が最も少ない部類の国を確認すると、@韓国、日本、中国といった儒教や仏教の影響が大きかった東アジア諸国、Aエストニア、チェコなど東欧の旧社会主義国、Bオランダ、スウェーデンなど脱宗教化が大きく進んだヨーロッパ諸国の3種類に区分できそうである。

 台湾は東アジア諸国であるのに「神の存在」を信じている国民が多い点で目立っている。また、中国はデータ上、神から最も遠い国となっているが、東アジア諸国であるとともに、依然として社会主義国でもあるからであろう。従って、宗教精神の観点からは中国と台湾の統一は極めて困難だといえる。

 「信じる」か「信じない」かのベクトルとは別に、「信じる」あるいは「信じない」と答えた割合が多いか、それとも「わからない」とする人が多かったかの違いのベクトルがある。後者のベクトルでもっとも目立っているのは日本である。

 末尾のコラムでもふれたが、意識調査一般に関して、日本人は「わからない」と回答する比率が多い点がかねてより指摘されている。意識調査の統計分析の権威林知己夫は海外比較を含めた国民性調査の長い蓄積から、日本人らしさの特徴として「中間的回答の多いこと」を挙げている。ここで中間的回答とは、「非常によい」と「まあよい」なら、「まあよい」の方の回答、また「どちらともえいない」、「分からない」といった回答を指す。

 この点に関して、私は、狭い島国でいさかいをせず同居するため、日本では互いにケンカにならないように、あいまいな言い方をするようになったためと考えているが、風土論的に次のように説明されることもある。

 気候学者の鈴木秀夫は、ドイツ人が、わからないという状況が耐え難くて、物事の理解より自分の意見をはっきり持つということを優先する態度をとり、例えば、よく知らないにもかかわらず訊ねられた道をきっぱりした態度で教えたりすることをドイツでの生活で見聞きして驚いたという経験をあげ、これに対して、日本人は、人間の判断を空しいものとみなす仏教の思想に影響され、理解していることでも自分の理解は不十分なのではないかと感じ、むしろ「わからない」と回答する方がしっくりする気持ちを抱くのだとしている。

 そして、こうした東西の考え方の違いを気候風土に影響されて生まれたものとしている。すなわち、乾いた大地において水場に向かう道としてどちらかを選ばざるを得ない西洋の「砂漠の思考」に対して、どちらの道を選んでも生き残れる東洋の「森林の思考」とがあり、日本人は特に後者に親しんでいるためと見なしている。

 人間関係にまつわる設問なら、気を使い合う日本人の特性から説明した方が分かりやすいが、今回の「神を信じるか」というような問に関して「わからない」が多いのは風土論的な説明の方が説得力があるように思える。

 神を信じるかどうか、またどの神を信じるかをめぐって「文明の衝突」(ハンティントン)が続いている現代世界において、信仰上の無用の衝突を避け、真の融和と世界の平和に至る道を探るためには、日本人の精神態度がよい手本になると私は思うのだが、どうだろうか。

(死後の世界を信じるか)

 次に「死後の世界」についてであるが、信じている者は「神の存在」と比較するとずっと減り、信じない、あるいはわからないとする者が多くなるという違いがある。「存在する」が「存在しない」を上回る国数は、神の存在では、フランスまでの64か国であるが、死後の世界ではスロバキアまでの46か国に減少するのである。

 国ごとの割合の分布は神の存在と並行している場合が多いが、死後の世界を神の存在と同様に信じている国としてはタイ、アイスランド、オーストラリア、スウェーデンが目立っている。逆に神の存在は信じていても死後の世界は余り信じていない国としては、ニカラグア、ポルトガルといったカトリック国やアルバニア、セルビア、モンテネグロ、ブルガリアといったバルカン諸国が目立っている。

(さいごに)

 ヨーロッパ主要国における時系列変化は図録9522参照。ロシア人の神や死後の世界への意識の変化については図録9458参照。

 下図は、世界価値観調査と並ぶ国際共同意識調査の双璧であるISSP調査の結果から、神の存在についての日本人の考え方をもう少し詳しく見たものである。日本人の場合、「私は、実際に神が存在することを知っており、神の存在に何の疑いも持っていない」という回答が世界一少ない一方で、「神が存在するかどうかわからないし、存在するかどうかを明らかにする方法もないと思う」や「神の存在を信じる時もあるし、信じない時もある」という答えが世界1位多くなっている。上の世界価値観調査の「わからない」という日本人の回答の内容がうかがえよう。そして、世界全体では42%が神の存在を疑わないと思っている中で神を疑い続ける日本人の考えが特異である点は疑いないといってよい。このデータについての詳細は図録9528に掲載した。


【コラム】中間的回答の多い日本人 〜あいまいな日本人〜

 林知己夫(1996)「日本らしさの構造―こころと文化をはかる 」(東洋経済新報社)は、海外比較を含めた国民性調査の長い蓄積から、日本人らしさをあらわす「J−態度」の特徴として、以下の3点をあげている。

@人間関係重視
A中間的回答の多いこと
B宗教を信じないが宗教的な心を大切にする

 ここで、中間的回答とは、「非常によい」と「まあよい」なら、「まあよい」の方の回答、また「どちらともえいない」、「分からない」といった回答を指す。

 そして、1953〜88年の継続調査において、新しい年次の方が「J−態度」的であり、また現時点では若い世代の方が「J−態度」的だと分析している。また、中間的回答については、以下のようなプラスの評価を与えている。

「私はこの中間的回答をする発想そのものは(中略)本居宣長のいう「漢心(からごころ)」なき素直な見方ができ、不確定状況の下でうまく対処することが無理なくできる長所であると思われる。」「中間的回答好みは国際化時代に適用しないから「はっきりものをいえ」という人がいるが、これは日本人が日本人でなくなることを意味する。」

 私の両親は近代的な明るい家族をつくろうと努力し、知り合いのインテリ医師にあこがれたり、朝日新聞なんかを購読したりしていたが、所詮、相撲力士の息子と北前船主の孫娘であるので、私を真のモダン・ボーイには育て損なっていた。

 私は、幼い頃、ご主人が興銀マン(のち頭取)の母親の友人宅を訪れ、ご馳走になった時のことを思い出す。母の友人である近代的な感じの夫人は、AとBとどちらが食べたいと私に尋ねたので、何の疑問もなく、「どちらでもいいです」と答えた。そうしたら、「どちらでもいいです」ではなくて「Aがいい」あるいは「Bがいい」とおっしゃいとたしなめられた。私は主体的な発言をした方が相手を敬うことになるという夫人の考え方に同意するとともに、これまで疑問もなく使っていた慣例的な発言に非があることを自覚させられたことに少し傷ついた。後で考えて、「どちらでもいいです」とは、何も、AもBもどのみち大したことない食事だという含意はもってはおらず、単に「私などはご迷惑が懸からない方で結構です」というへりくだり(謙遜)の表現をすることで相手を上位に置きたいということだったのになあ、と自らの軽い傷心を慰めたのだった。

 不確定でも、はっきりAがBかを表明しないと、次に進めないとする考え方と、確定していても、AかBかをはっきりさせない方が、世の中うまくいくという考え方は、それぞれにそれなりの有効性があるのであろう。

 中間的回答の具体例は、この図録のほか、図録8062(アジア的価値観の各国比較(日本・韓国・台湾・中国))、図録8598(米国を世界はどう見ているか)にも見られる。これらでは、欧米だけでなく中国、韓国などと比較しても中間的回答が多いという日本の特徴は明確である。

 こうした日本人の特性は、女性のシワのできかたにも影響を与えているようだ。米国ロサンゼルス在住の女性歌手八神純子は、キャロライン・ケネディ駐日大使のシワが話題になっていることと関連して、こう言っている。「長年のアメリカ暮らしでできたシワは、日本で過ごしていたらできたであろうシワとは違うと思っている。欧米人は表情豊かに話すので、英語の上達とともに私もそんな表情をするようになりシワが増えた。特におでことまぶた。驚いた時など眉毛をあげたり下げたりしているとシワになった。笑うときも口に手を当てないで豪快に笑うので、頬の辺りにも線が出た。 」(東京新聞「言いたい放談−シワ物語」2014.1.24)

 拙著「統計データが語る 日本人の大きな誤解」でも言及したが、「こうした日本人のあいまいさは、人間関係重視のなかで生じたものだと推定できる。明確な物言いで他人を傷つけない配慮が心の働きとして習慣化しているともいえるのである。これが日本社会の過ごしやすさを生んでいることも確かであろう。」(p.232)

 日本社会は欧米諸国と比較して低ストレス社会である点を図録3274でふれたが、狭い島国で暮らしていくためには、あるいは、近世以降の”むら”社会の効率性を維持するためには、日本人が相互になるべく角突き合せない生き方の工夫をしてきた努力の結果といえよう。東アジアの儒教圏諸国の中で他国と異なる日本の特徴として、親が子に教えたい精神的態度として日本人が何よりも「思いやり」を第1にあげている点にもこうした点が明確である(図録8068参照)。相手を思いやるのは、何も相手のためだけではないと考えられる。会議で相手の誤りを明確に指摘するのではなく、遠まわしに分からせる工夫を凝らすのは、別の機会に、自分の誤りが端的に指摘されて傷つくのが嫌だからに相違ない。傷つけあわない工夫がストレスの低減につながるのである。

 図録3274でも引用したが、海外とも比較しながら国民性調査に長く携わった林知己夫はこう言っている。

「日本人は「日本社会は人間関係が煩雑で高ストレス社会だ」などという、マスメディアの無根拠な報道を信じ込んでいるが、それはまったくの誤りである。むしろ、日本人の一見煩雑に見える人間関係のあり方が、人間のもつ攻撃性をやわらげ、人間同士の直接的な衝突を回避させることに役立っていると考えるべきである。」(林知己夫・櫻庭雅文(2002)「数字が明かす日本人の潜在力−50年間の国民性調査データが証明した真実 」講談社)

 真偽・理非の判断が困難なときには「折中の法」に従い、双方痛み損の判決にするというのが日本の中世の法理念であり、これにもとづき「喧嘩両成敗」が慣習化し、近世に入っても、当然の紛争処理法とされた。「だとすると、折中はもはや、中世的というより日本的と呼ぶべき思考習慣である。日本人は理非の決着をつけるのを嫌うのだ。その習性にはひとつには、集団内の和がみだされるのをいやがるもうひとつの習性のしからしむるところかもしれないが、より根底的には、明確な理非の存在についての懐疑的な思考癖のせいなのである。彼らは生まれながらの相対主義者であって、ただひとつの真実というのは居心地がわるいのだ」(渡辺京二「日本近世の起源」洋泉社新書y、p.156)。

 日本人の特性の由来にいついて、私も、集団の和のための手段という側面もさることながら、むしろ、島国であることから世界の大思想の影響が余り深くなく、その結果、大思想発祥以前の太古の精神性を保持し続けていると理解するのが良いのではないかと思い始めている(図録3971d、図録9528参照)。

 意識調査に対して日本人が「わからない」と回答する比率が多い点に関して、気候学者の鈴木秀夫は、それは、西洋の「砂漠の思考」に対して東洋の「森林の思考」に日本人が特に親しんでいるためと見なしている。

 鈴木秀夫は、ドイツ人が、わからないという状況が耐え難くて、物事の理解より自分の意見をはっきり持つということを優先する態度をとり、例えば、よく知らないにも関わらず訊ねられた道をきっぱりした態度で教えたりすることをドイツでの生活で見聞きして驚いたという経験をあげ、これに対して、日本人は、人間の判断を空しいものとみなす仏教の思想に影響され、理解していることでも自分の理解は不十分なのではないかと感じ、むしろ「わからない」と回答する方がしっくりする気持ちを抱くのだとしている(「森林の思考・砂漠の思考」NHKブックス、p.14〜18)。そして、こうした東西の考え方の違いを気候風土に影響されて生まれたものとしている。

「このような東西二つの論理の分かれ道は、どうしておこったか。そこに、砂漠と森林がかかわっていると私は考える。砂漠では、ある一つの道が水場に至る道であるか否かどちらかに決断をしなければならない。その道が生への道であると判断することは、他の道は滅への道であると判断することである。それに対して、森林には、生が充ち満ちている。生への道か滅への道か思いわずらう必要がない。生と滅を区別する必要がない。人間が、これだと思った道から迷うことによって、かえって桃源郷を発見する。」(p.83)

 ここで、気をつけるべきは、中国や韓国はむしろ「砂漠の思考」の影響が強いとされる点である。中国思想における論語の「天」は「森林の仏教の如来よりは、砂漠のキリスト教の神に近い」(p.104)。韓国についてはこうだ。「水蒸気の供給源である太平洋の方向には日本列島が屏風のように連なっていて、雨はそこで大部分落とされてしまっている。日本の湿潤と韓国の乾燥は裏腹の関係にあるわけである。サハラから、アラビア、タクラマカン、ゴビをへて中国北部にいたる大乾燥地帯の、もう一つの延長の部分として韓国の立場を理解することもできる。その見とおしのよい韓国では、日本にはない、最高神の崇拝が伝統としてあった」(p.112)。だから、キリスト教がなかなか普及しなかった日本と対照的に、韓国ではキリスト教が積極的に受容されたという訳である。

 このように考えると上で紹介したような意識調査において、韓国人が「わからない」と回答する割合が日本人とは対照的に少ないのも合点がいく。

(2006年12月26日収録、2013年6月7日コラム追加、6月19日コラム修正、2014年1月27日八神シワ物語引用、8月11日コラムのコメント補訂、8月12日ISSP調査結果追加、12月12日鈴木秀夫説追加、2015年3月29日日銀マンを興銀マンに訂正、2018年7月15日渡辺京二引用、2021年12月11日更新、旧図録を9520xとして保存)


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