世界価値観調査は各国毎に全国の18歳以上の男女、最低1,000サンプル程度の回収を基本とした個人単位の意識調査であり、極めて貴重な情報を提供している。 ここでは、この調査から分かる神の存在、死後の世界に対する各国国民の見方を図録にした。図録9520xは更新前の2000年期データによる図録なので参照されたい。日本人の回答を前回2010年調査の結果とともに掲げると以下である。日本人の神の存在を信じているかの時系列変化や年齢別の違いについては図録3971c参照。
対象国は、77カ国であり、存在していると考えている人の比率別の内訳は、以下の通りである。
「神の存在」や「死後の世界」を信じているかどうかについて、「信じている」、「信じていない」、「わからない」の割合を対象となっている世界77か国について図示した。国の順番は「信じている」の割合の大きい順である。
(神の存在を信じるか) まず「神の存在」についてであるが、「信じている」の割合は最も高いエチオピアの99.9%から最低である中国の16.9%まで大きく異なっている。神の存在感は国によってまことに様々であることが分かる。 それにしても図を見て、まず、目立っているのは、神の存在を信じている国民の多さである。90%以上の国民が「神の存在」を信じている国は36か国と半数近くにのぼっており、95%以上に限っても26か国もある。 95%以上と国民のほとんどが「神の存在」を信じている国を見るとイスラム圏の国が12カ国と最も多く、カトリック国が9カ国、それ以外の途上国が5カ国となっている。 主要先進国であるG7諸国について「信じている」の値を見てみると、高い方から、米国(81.2%)、イタリア(76.2%)、ドイツ(57.2%)、フランス(50.3%)、英国(47.8%)、日本(39.2%)となっており、世界全体ほどではないが、やはりかなり幅が大きい(G7のうちカナダは調査対象外)。米国は主要先進国の中でもっとも信心深い国であり、カトリック国のイタリアがこれに次ぎ、他方、無宗教に最も近いのは日本である。 主要先進国は、全体としては、「神の存在」を余り信じなくなっていると言えよう。 さらに、「神の存在」を信じている人が最も少ない部類の国を確認すると、@韓国、日本、中国といった儒教や仏教の影響が大きかった東アジア諸国、Aエストニア、チェコなど東欧の旧社会主義国、Bオランダ、スウェーデンなど脱宗教化が大きく進んだヨーロッパ諸国の3種類に区分できそうである。 台湾は東アジア諸国であるのに「神の存在」を信じている国民が多い点で目立っている。また、中国はデータ上、神から最も遠い国となっているが、東アジア諸国であるとともに、依然として社会主義国でもあるからであろう。従って、宗教精神の観点からは中国と台湾の統一は極めて困難だといえる。 「信じる」か「信じない」かのベクトルとは別に、「信じる」あるいは「信じない」と答えた割合が多いか、それとも「わからない」とする人が多かったかの違いのベクトルがある。後者のベクトルでもっとも目立っているのは日本である。 末尾のコラムでもふれたが、意識調査一般に関して、日本人は「わからない」と回答する比率が多い点がかねてより指摘されている。意識調査の統計分析の権威林知己夫は海外比較を含めた国民性調査の長い蓄積から、日本人らしさの特徴として「中間的回答の多いこと」を挙げている。ここで中間的回答とは、「非常によい」と「まあよい」なら、「まあよい」の方の回答、また「どちらともえいない」、「分からない」といった回答を指す。 この点に関して、私は、狭い島国でいさかいをせず同居するため、日本では互いにケンカにならないように、あいまいな言い方をするようになったためと考えているが、風土論的に次のように説明されることもある。 気候学者の鈴木秀夫は、ドイツ人が、わからないという状況が耐え難くて、物事の理解より自分の意見をはっきり持つということを優先する態度をとり、例えば、よく知らないにもかかわらず訊ねられた道をきっぱりした態度で教えたりすることをドイツでの生活で見聞きして驚いたという経験をあげ、これに対して、日本人は、人間の判断を空しいものとみなす仏教の思想に影響され、理解していることでも自分の理解は不十分なのではないかと感じ、むしろ「わからない」と回答する方がしっくりする気持ちを抱くのだとしている。 そして、こうした東西の考え方の違いを気候風土に影響されて生まれたものとしている。すなわち、乾いた大地において水場に向かう道としてどちらかを選ばざるを得ない西洋の「砂漠の思考」に対して、どちらの道を選んでも生き残れる東洋の「森林の思考」とがあり、日本人は特に後者に親しんでいるためと見なしている。 人間関係にまつわる設問なら、気を使い合う日本人の特性から説明した方が分かりやすいが、今回の「神を信じるか」というような問に関して「わからない」が多いのは風土論的な説明の方が説得力があるように思える。 神を信じるかどうか、またどの神を信じるかをめぐって「文明の衝突」(ハンティントン)が続いている現代世界において、信仰上の無用の衝突を避け、真の融和と世界の平和に至る道を探るためには、日本人の精神態度がよい手本になると私は思うのだが、どうだろうか。 (死後の世界を信じるか) 次に「死後の世界」についてであるが、信じている者は「神の存在」と比較するとずっと減り、信じない、あるいはわからないとする者が多くなるという違いがある。「存在する」が「存在しない」を上回る国数は、神の存在では、フランスまでの64か国であるが、死後の世界ではスロバキアまでの46か国に減少するのである。 国ごとの割合の分布は神の存在と並行している場合が多いが、死後の世界を神の存在と同様に信じている国としてはタイ、アイスランド、オーストラリア、スウェーデンが目立っている。逆に神の存在は信じていても死後の世界は余り信じていない国としては、ニカラグア、ポルトガルといったカトリック国やアルバニア、セルビア、モンテネグロ、ブルガリアといったバルカン諸国が目立っている。 (さいごに) ヨーロッパ主要国における時系列変化は図録9522参照。ロシア人の神や死後の世界への意識の変化については図録9458参照。 下図は、世界価値観調査と並ぶ国際共同意識調査の双璧であるISSP調査の結果から、神の存在についての日本人の考え方をもう少し詳しく見たものである。日本人の場合、「私は、実際に神が存在することを知っており、神の存在に何の疑いも持っていない」という回答が世界一少ない一方で、「神が存在するかどうかわからないし、存在するかどうかを明らかにする方法もないと思う」や「神の存在を信じる時もあるし、信じない時もある」という答えが世界1位多くなっている。上の世界価値観調査の「わからない」という日本人の回答の内容がうかがえよう。そして、世界全体では42%が神の存在を疑わないと思っている中で神を疑い続ける日本人の考えが特異である点は疑いないといってよい。このデータについての詳細は図録9528に掲載した。
(2006年12月26日収録、2013年6月7日コラム追加、6月19日コラム修正、2014年1月27日八神シワ物語引用、8月11日コラムのコメント補訂、8月12日ISSP調査結果追加、12月12日鈴木秀夫説追加、2015年3月29日日銀マンを興銀マンに訂正、2018年7月15日渡辺京二引用、2021年12月11日更新、旧図録を9520xとして保存)
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