中近東諸国の学生の留学先としては、国により様々である。 トルコではドイツへの留学が最も多く、半分以下の米国が第2位で続いている。 第一次世界大戦ではドイツ、オーストリアとトルコの前身オスマン帝国は同盟国を形成し英仏側連合国と戦った。この時、ドイツ側に参戦したトルコの後方かく乱を企てトルコ支配下にあったアラブ民族の反乱を指導したのが有名なアラビアのロレンスであり、彼を主人公にした映画では、トルコ人に虐められるロレンスが描かれている。戦後、英仏による小アジア分割の動きに対抗しながらトルコ共和国が独立してからも、ドイツとトルコは反英仏、反ロシアということから緊密な関係を築いてきた。こうした経緯からドイツにおける外国人労働者としてトルコ人が多数派を占め(図録3835参照)、トルコの留学先もドイツが多くなっているのである。 イランでは、カナダへの留学が最も多く、ドイツ、米国、英国、フランスと続いている。他の中近東諸国より留学先が分散的である。 サウジアラビアからの留学生は米国が最も多く、英国が半分以下で続いている。この他では、英語圏諸国が多い。アラブ諸国の中の親米国たる地位がこうした留学生の状況にも現れているといえよう。 シリアでは、フランスへの留学が最も多く、ドイツがこれに続いている。この他、英米、あるいは近隣のトルコ、ギリシャへの留学もかなりある。シリアは、第一次世界大戦後、レバノンとともにフランスの委任統治領となった経緯からフランスとのつながりが深く、これが留学先にも影響している。 留学生の人数のランキングは図録6138にかかげたが、各国出身留学生の留学先については、主要国について以下のような図録を作成した。
(2009年10月19日収録)
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