2011年2月にエジプトやリビア、チュニジアなど北アフリカ諸国における独裁体制の崩壊が一気に進んでいる。 ここでは、こうした独裁体制の崩壊が進んでいるエジプト、リビア、チュニジアの北アフリカ3カ国の海外留学生がOECD諸国に何人いるかの図録を作成した。関連して北アフリカでもモロッコとアルジェリアの留学生は図録9422参照、北アフリカ諸国以外の中近東諸国からの留学生数は図録9260参照。 エジプトの留学生は、米国に最多の数を送っており、2番目に英国が多くなっている。ちなみに日本には250人が来ている。エジプトは1882年それまでのオスマントルコ支配下から英国の軍事支配下におかれた。1952年にはナセルらのクーデターで共和国となったが、、ナセルを継いだサダト大統領が対米関係修復、キャンプ・デービッド合意を踏まえたエジプト・イスラエル和平条約調印(1979年)を経て、米国の軍事的・経済的な影響力の下に入った。こうした経緯から、旧宗主国の英国への留学生数は米国への留学生数を下回っているのだと理解できる。この他、多くのOECD諸国に留学生を送っており、全方位外交的な立場が見てとれる。 リビアからは、英国に約1,700人と最も多い留学生を送り出している。その他は、カナダの279人とぐっと少なくなっており、英国とのつながりが深いといえよう。米国へは対立の歴史から95人と留学生も非常に少ない。 リビアは1912年にイタリア・トルコ戦争の結果、イタリア領となったが、第2次世界大戦中の1943年連合国に占領され、1949年まではトリポリタニア(リビア北西部、中心トリポリ)とキレナイカ(リビア東部、中心ベンガジ)が英国、フェッザーン(リビア南西部、中心セブハー)がフランスの軍政下にあった。その後、これら3州が連邦王国として独立したが、1969年カダフィーら青年将校による革命で共和国となった。こうした経緯から、留学生の数から見ると、旧宗主国イタリアとのつながりは案外小さい。 チュニジアについては、植民地時代からのつながりから、フランスへの留学生が1万人と非常に多くなっている。これはモロッコやアルジェリアと共通する特徴である(図録9422参照)。 留学生の人数のランキングは図録6138にかかげたが、各国出身留学生の留学先については、主要国について以下のような図録を作成した。
(2011年2月28日収録)
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