はじめに 1998年以降2010年ごろまで自殺者数がかつてない規模の毎年3万人水準という異常事態が続いていた。図録を作成した2013年当時と異なり、タイトルは「自殺は本当に増えていたのか」に変えた方が適切であるが、作成当時そのままにしている。と考えていたら、コロナ禍による自殺増の状況となり、再度、当初の表題が少し当てはまってきている。 自殺者数が3万人レベルと増加した理由は、同時期に深刻化した社会環境の変化に求められるというのが一般の理解だった。自殺対策もこうした理解から導かれている場合が多い。 以下は「自殺3万人切る 社会全体で取り組みを」と題された毎日新聞の社説(2013年1月27日)であるが、こうした一般的な理解をあらわしているといえよう。 「昨年の自殺者は2万7766人(警察庁の速報値)で、15年ぶりに3万人を割った。3万人とは毎日100人近い人々がこの国のどこかで自殺してきたということだ。国や自治体の対策が効果を上げているといわれるが、それでも欧米の2〜3倍の水準である。自殺の背景にある原因に目を向け、さらに抜本的な改善を進めていかねばならない。 心の弱さや死生観の問題のように自殺を考え、あるいは死そのものをタブー視して議論することすらためらう風潮が対策の遅れをもたらしてきた。民間団体「ライフリンク」(清水康之代表)の調査によると、自殺の背景には失業、うつ、いじめ、家族不和、DV被害、アルコール依存、過労、介護・育児疲れなど60以上の要因が存在し、実際に自殺に至った例では少なくとも四つ以上の要因が重なっているという。年齢や性別や職業を問わず、誰にでも起こり得る問題なのである。」 自殺者数の推移 自殺者数の統計には、警察庁の調べのほかに、厚生労働省の人口動態統計がある。人口動態統計は、出生、死亡、婚姻、離婚などの届出に基づき作成される統計であるが、死因別死亡者数の集計が大きな部分を占めており、その中に死因の1つとして自殺が集計されているのである。警察庁の自殺統計は1978年以降しか得られないが、人口動態統計は明治32年(1899年)以来の長い歴史を有しており、時系列データとしてはやはりこちらを使う方がよい。
戦後の自殺者数の推移(3つの推移図のうちの最初の図)を見ると、自殺者数が1998年に急増し、その後のレベルは史上最多だった点、また不況期と平行して3度にわたって自殺者数が急増した時期があった点が明らかである。特に、1998年に前年からの大型金融破綻にともなって自殺者が8千人以上増加し、一気に3万人台となった時の衝撃に影響され、経済危機と自殺急増は密接不可分という印象がぬぐいえないものとなった。なお、警察統計と異なり人口動態統計では1998〜2010年のうち間欠的に4年次は自殺者3万人未満であったので、3万人超の長い連続記録とはなっていない。 自殺率の推移 戦後の長期的な自殺者の増加には、日本人の人口規模自体の増加も寄与しているので、その要因を取り除いた自殺率の指標を次に見てみよう(3つの推移図のうちの真ん中の図)。
がん死亡率など他の死因別死亡率と同様に人口10万人当たりで計算される自殺率を見てみると、戦後のピークは実は1958年の25.7人であり、近年のピークである2003年の25.5人もこれを上回ってはいない。 従って自殺率から判断すると平成の自殺レベルは戦後最多というより、2回目の戦後最多レベルとするのが正しいことになる。 標準化自殺率の推移 死因別死亡率では、単純に人口比で計算する粗死亡率のほかに、標準化死亡率(年齢調整死亡率)が計算されることが多い。たとえば、がん死亡率は高齢者のがん死亡率が若年層と比較して高いため、高齢化に伴って上昇しているが、年齢構成が同一だとして算出される標準化死亡率では、男性は1995年以降、女性は1960年以降、がん死亡率は低下しているのである(図録2080)。
若年層より中高年層の方が自殺率が高いことが知られているので(図録2760参照)、年齢構成の変化の影響を除いた動きを知るためには、当然、標準化自殺率を算出する必要がある。 標準化死亡率は時系列比較において重要であるばかりでなく、各国比較においても重要である。年齢構造の異なる国を比較する場合、その要因を取り除いて比較した方がよい場合がほとんどであるからである。このため、OECD Health Dataでは年齢調整後の標準化自殺率を各国について1960年以降のデータを掲載している(標準化に用いられた人口構成は下表の通りである)。
人口動態統計の1960年や2015年の年齢別自殺率を表の年齢構成で加重平均するとOECDの値とぴったり一致する。このOECDデータとこれに欠けている1959年以前や最近年の年次について計算して補った標準化自殺率の時系列データを見てみよう(3つの推移図のうちの最後の図)。 すると1950年代半ばの10万人当たり30人前後の高い自殺率水準から、高度成長期に大きく低下し、その後、10万人当たり20人前後の水準で横這いに転じて、現在に至っているという推移の状況が見て取れる。つまり、自殺は増えていなかったのである。 直近については、バブル期を下回り、戦後最低レベルを更新している。これまでになく自殺は減っているわけである。何故、こんなに少なくなったのかを説明する必要が生じている。 参考のため、標準化死亡率のデータ年次をさらに戦前にさかのぼらせ、5年おき(1947年だけ例外)に最近まで追った図を以下に掲げた。標準化自殺率で見ると戦前のピークは終戦後のピークとほぼ同水準となっている。戦前は今ほど高齢者が多くなかったので自殺率が高くなかっただけなのである。経済発展のともに自殺率が高くなったという見方は修正される必要があろう。経済苦、病苦は戦前の方が大きかったのであるから(図録2156)。 増加要因アプローチと減少要因アプローチ 自殺者数の推移グラフでは、自殺の増加要因に自然と関心が向かったが、標準化自殺率の推移グラフでは、むしろ、自殺の減少要因が何だったかが重要だと気づかされる。
自殺データの変動に関して、増加要因アプローチでは社会のストレスが高まると自殺が増えるという考え方に基づいて推移を解釈するのであるが、それだけが正しいアプローチだとは言い切れない。むしろ、日本社会における一定の自殺率水準が社会全体の高揚や一体感で低まる時期があるという減少要因アプローチの考え方で自殺の推移を捉えることも重要なのである。 日本でも第2次世界大戦中そうであったように戦争の時期にはどの国でも自殺率が低下する傾向にあることが観察されている(上図、及び図録2774参照)。これについてはその時期に高まった「強固な社会的統合」(デュルケーム)の要因で説明するのが一般的であり、この場合は、実は減少要因アプローチに立っているのである。 このアプローチに立てば、戦後日本の自殺率の推移についても、東京オリンピック(1964年)やGDP世界第2位(1969年)といった状況に代表される高度成長期の興奮、そしてバブル景気(資産価格高騰にともなう高額消費ブーム)の狂騒が本来の自殺率水準から日本人を暫時解放していたと捉え直すことが可能なのである。 増加要因アプローチでは解釈しがたい点が減少要因アプローチでは理解が容易となる。 まず、自殺者数の推移の図に記した3つの増加要因のなべ底不況、円高不況、そして平成不況であるが、実は、自殺の急増はそれぞれの不況の時期とは必ずしもタイミングが一致していない。 戦後間もない自殺の急増(1955〜58年)は、青年層の高い自殺率、復員兵の自殺、男女とも自殺増という特徴をもっており、戦後の価値観転換が主要因と思われる。時期的にはなべ底不況(1957〜58年)以前の神武景気のさなか、日本人が敗戦直後の混乱期を経てふと我に返った時からはじまっていたと考えざるをえない。 また円高不況の際も実は急激な円高をもたらした1985年のプラザ合意より2年前の1983年から自殺が急増しはじめていたのであり、この年は旧来型社会の人間関係からの変容を象徴的に示すかのように戦後はじめて離婚が急増した年に当たっている(図録2780参照)。 さらに平成不況については自殺が急増した1998年以前の90年代前半からバブルの崩壊ははじまっていたのにバブルの余韻からなかなか人々は目覚めず、まだまだリカバーが可能なのではないかという甘い幻想を97年の大型金融破綻がついに打ち砕いたのだと考えられる。 このように自殺の急増は、急増の要因を探るよりも自殺を減少させていた要因がいつまで続いたかに着目する方が理解しやすいのである。 バブル景気が日本人の精神に及ぼしていた影響力の大きさについては、戦後の大きな出来事は何かを聞いた意識調査結果からも明らかであるが(図録2640)、時系列データとしても、血圧と食塩摂取量の推移(図録2175、図録2173)、あるいは外車販売件数(図録5458)を見ると頷けるものがある。
日本人の平均血圧と食塩摂取量は、健康意識の高まりにともない戦後ほぼ一貫して低下・減少傾向にある。ところが例外的な時期がある。バブル景気の時期である。バブル景気がはじまった1980年代後半から食塩摂取量が上昇しはじめ、またバブルがはじけたのちもしばらく高止まりし、元の傾向線に復帰したのは2000年代に入ってからなのである。平均血圧もこうした食塩摂取量の動きを追うように1990年代後半には傾向値と比較して相対的に高い時期が続いた。これがバブル期とその直後の精神的高揚や贅沢な食生活を反映していたことは確かであろう。経済が空回りしはじめてもまだしばらくは幻想に酔っていて、ついに厳しい現実に直面することになったというのが98年における未曽有の自殺急増の真相だったのではないかと考えられる。
バブルの夢を打ち砕いた事件のひとつに1997年の山一證券の破綻、自主廃業があげられる。山一證券は80年代後半のバブル期に株取引で企業に利回りを保証する違法な「にぎり」で成績をあげていた。90年に株価が急落してから「企業との約束を果たすため、損失を抱えた金融商品を引き取った山一の含み損はみるみる膨らむ。別の会社やペーパーカンパニーに金融商品を移し、相場の回復を待つことも多かった。会社間を転々とし、どこの会社が起点か分からなくなるほど複雑になると「宇宙遊泳」と呼んだ。「『遊泳』を解消するのは株価の劇的上昇しかない。山一は『神風』を期待し、『飛ばし』を無限に続けた」(こう破綻後に公表された社内)調査報告書は記す。(略)「飛ばし」とは、株価が下落して含み損が出た株や債権を持つ企業が、損失を表面化させないために、決算期の前、山一を仲介して一時的に別の企業に移すことを指す。山一の法人営業部門の隠語だった」(東京新聞2015年12月9日)。 多かれ少なかれ1990年代後半まで、このような歪んだかたちで日本経済はバブル崩壊のつけを先延ばしにし、夢をつないでいたのだといえよう。 毎日新聞経済部記者を1987年にやめフリージャーナリストとして活躍していた嶌(しま)信彦は当時をこう回顧している。「バブル崩壊直後(90.年)の日本は、日本の製造業の強さからすれば、3〜4年もすればバブル崩壊を乗り越えてまた復活すると信じていたに違いない。しかし、4年、5年と過ぎても日本の再生はかなわず、90年代後半になって「これはおかしいぞ、大きな構造転換、歴史の変化に応じて、日本も変わらないとダメになる」と気づき始める」(「日本人の覚悟―成熟経済を超える」実業之日本社、2014年)。実際、90年代前半には、冷戦構造の崩壊、ICT革命、マネー経済の勃興、東アジア新興国の追い上げ、EUの発足という世界的な構造変化が起こっていたのである。 1998年以降も2008年秋のリーマンショック後の景気低迷など失業の急増や非正規雇用の増加を伴う経済の大きな変動が生じているが自殺率にはほとんど変化がない。こうした動きは増加要因アプローチでは解釈が難しく、むしろ目立った減少要因の変化がないため同一レベルが続いていると考えた方が理解しやすい。 そして最近では、2020年の新型コロナの感染拡大で生活ストレスが高まり、一般には、自殺増がその影響だと考えられている。しかし、コロナが襲う前の2019年までの自殺数減がアベノミクスによる影響だと考え、コロナでそれが頓挫したため自殺率が元の水準に戻ったととらえた方が適切ともいえる。 さいごに 本稿と同趣旨で自殺率は高まっていないことを明らかにした精神科医の冨高辰一郎(2011)「うつ病の常識はほんとうか」はこう言っている。「現在の日本の自殺者数が3万人を超えていることは事実である。しかしその説明にあたっては、科学的にかつ冷静に行わないといけない。日本社会がおかしくなったので、自殺者が増えているという安易な説明は、科学的におかしいし、自殺対策としても間違っている。そういった説明を真に受けて、世の中を悲観し、自殺を考える人もいるとしたら、有害ですらある。」
2010年代の自殺率低落の要因としては、増加要因アプローチに立てば、失業率の低下などによる景気要因の改善が想定され、減少要因アプローチに立てば、@株価の回復をもたらしたアベノミクスの影響、A所得の伸び悩みや社会の停滞への慣れ、BスマホやSNSの孤立予防の影響、C官民あげての自殺対策の推進効果(2006年自殺対策基本法)といった要因のいずれか、あるいはそれらの組み合わせが考えられよう。 減少要因アプローチとしては、アベノミクスが社会全体が興奮していた過去2回の低落期とは少し異なる状況なので解釈はなかなか難しい。
(2013年3月8日収録、2014年10月1日嶌信彦引用追加、平均血圧を年次値に変更、2015年12月9日山一證券の事例を紹介、2019年1月12日更新、2月24日年齢調整値最近年追加、2023年9月29日更新、コロナ禍状況、10月1日戦前からの推移図)
[ 本図録と関連するコンテンツ ] |
|