有名ディスコは、当初、赤坂や新宿といった旧来型の繁華街に存在したが、バブル時代にはいった1980年代になると、一方で、麻布・六本木・青山といった新しくオシャレな繁華街、他方で、芝浦などウォーターフロントの倉庫街に展開するようになった。 1990年代はじめ、お立ち台で踊るボディコンギャルによって一世を風靡したディスコ「ジュリアナ東京」の跡はスポーツショップになったのち現在は広告代理店「TBWA博報堂」オフィスとなっている。当時の騒がれ方は湾岸の倉庫街に花咲いたロフト文化の中では異色だったといわれるが、最寄り駅であった田町駅芝浦口が多くの派手な衣装のギャル達でにぎわった一時期はいまでも語り草となっている。芝浦港南地区の埋立開発の前と後とにそれぞれ、一定の時期、東京人の歓楽の街となった歴史には何か因縁めいたものを感じさせる(コラム参照)。 ジュリアナ東京が開店した1991年はバブルが崩壊した年であったが、バブル時代の余勢はなお根強かった(図録2173参照)。DJの絶叫という「演出が成功し、壁の花だった女性客たちがお立ち台で腰をくねらせるようになった。普通の会社員や学生たちがどっと押し寄せた。「ジュリアナーズ、トキオ!」の掛け声で熱狂は最高潮。たばこのキャンペーンガールをお立ち台に乗せたら「負けられない」と女性客の露出は激しくなるし、エアコンが故障したとき、紙の扇子をたくさん配ったら、もっと目立つ羽のついた大扇子が持ち込まれた。「ジュリ扇」だ。ちょっとしたアイデアが社会現象に発展していくから面白い。(中略)「一部ファンのものだったディスコの遊び方を普通の人に広めたのがジュリアナだった。」(当時のフロア責任者石井脩一の言)ひたひたと迫る不況の足音で広がる社会不安にあらがうように、陶酔に浸ったジュリアナの夜。」(東京新聞2013年1月8日) なお、取り上げたディスコを掲げるとビブロス(赤坂)、ツバキハウス(新宿)、麻布十番マハラジャ(麻布十番)、エリア(六本木)、キング&クイーン(青山)、日比谷ラジオシティ(有楽町)、トゥーリア(六本木)、芝浦GOLD(港区海岸)、ジュリアナ東京(芝浦)、ヴェルファーレ(六本木)である。 以下に関連して、ディスコ以外のバブル期を象徴する事象の一覧表を掲げた。バブル期に多く建設されたタワーについては図録7222a参照。バブル時代の影響で技術者の中でも建築・土木技術者が急増し、その後、急減した点については図録3597参照。
(2013年1月11日収録、2014年8月28日リゾート法地域指定数追加、2018年12月7日バブル事象表に事項追加、2021年4月27日初の海水浴場、2021年7月12日芝浦の景、日本初の鉄道浮世絵、2022年8月15日高輪築提の地図と画像)
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