そろそろバブル時代を客観的に振り返ることが出来るようになってきた。東京新聞の「平成四半世紀 バブルのあとで」の連載は「横浜博覧会」に続いて「ジュリアナ東京」を取り上げている(2013年1月8日)。この記事に掲載された「かつて存在した有名なディスコ」の存続年の情報を図録にした。

 有名ディスコは、当初、赤坂や新宿といった旧来型の繁華街に存在したが、バブル時代にはいった1980年代になると、一方で、麻布・六本木・青山といった新しくオシャレな繁華街、他方で、芝浦などウォーターフロントの倉庫街に展開するようになった。

 1990年代はじめ、お立ち台で踊るボディコンギャルによって一世を風靡したディスコ「ジュリアナ東京」の跡はスポーツショップになったのち現在は広告代理店「TBWA博報堂」オフィスとなっている。当時の騒がれ方は湾岸の倉庫街に花咲いたロフト文化の中では異色だったといわれるが、最寄り駅であった田町駅芝浦口が多くの派手な衣装のギャル達でにぎわった一時期はいまでも語り草となっている。芝浦港南地区の埋立開発の前と後とにそれぞれ、一定の時期、東京人の歓楽の街となった歴史には何か因縁めいたものを感じさせる(コラム参照)。

 ジュリアナ東京が開店した1991年はバブルが崩壊した年であったが、バブル時代の余勢はなお根強かった(図録2173参照)。DJの絶叫という「演出が成功し、壁の花だった女性客たちがお立ち台で腰をくねらせるようになった。普通の会社員や学生たちがどっと押し寄せた。「ジュリアナーズ、トキオ!」の掛け声で熱狂は最高潮。たばこのキャンペーンガールをお立ち台に乗せたら「負けられない」と女性客の露出は激しくなるし、エアコンが故障したとき、紙の扇子をたくさん配ったら、もっと目立つ羽のついた大扇子が持ち込まれた。「ジュリ扇」だ。ちょっとしたアイデアが社会現象に発展していくから面白い。(中略)「一部ファンのものだったディスコの遊び方を普通の人に広めたのがジュリアナだった。」(当時のフロア責任者石井脩一の言)ひたひたと迫る不況の足音で広がる社会不安にあらがうように、陶酔に浸ったジュリアナの夜。」(東京新聞2013年1月8日)

 なお、取り上げたディスコを掲げるとビブロス(赤坂)、ツバキハウス(新宿)、麻布十番マハラジャ(麻布十番)、エリア(六本木)、キング&クイーン(青山)、日比谷ラジオシティ(有楽町)、トゥーリア(六本木)、芝浦GOLD(港区海岸)、ジュリアナ東京(芝浦)、ヴェルファーレ(六本木)である。

 以下に関連して、ディスコ以外のバブル期を象徴する事象の一覧表を掲げた。バブル期に多く建設されたタワーについては図録7222a参照。バブル時代の影響で技術者の中でも建築・土木技術者が急増し、その後、急減した点については図録3597参照。

ディスコ以外のバブル期を代表する事象
  地方博
(数字は入場者数)
建築
(完成年次)
落札絵画
(落札者、価格)
庁舎(計画がバブル期)
(開庁年次)
リゾート
地域指定
1987年
・未来の東北博(仙台市、296万人)
 
・ゴッホ「ひまわり」(安田火災、53億円)
  リゾート
法制定
1988年
・さいたま博(熊谷市、250万人)
・瀬戸大橋架橋記念博(倉敷市・坂出市、646万人)
・なら・シルクロード博(奈良市、681万人)
・ぎふ中部未来博(岐阜市、407万人)
 
・ピカソ「軽業師と若い道化師」(三越、43億円)
  7地域
1989年
・アジア太平洋博(福岡市、822万人)
・横浜博(横浜市、1333万人)
・海と島の博覧会・ひろしま(広島市、329万人)
・世界デザイン博(名古屋市内3会場、1518万人)
・アサヒグループ本社ビルとスーパードライホール(墨田区)
・ピカソ「ピエレットの婚礼」(日本オートポリス、71億円)
・「24時間、戦えますか」(三共CM)
10地域
1990年
・イタめし(イタリア料理)ブームがピーク
・プラザミカド(港区、現・赤坂ビジネスプレイス)
・東京芸術劇場(豊島区)
・ゴッホ「医師ガシェの肖像」(斉藤了英、114億円)
・ルノワール「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」(斉藤了英、108億円)
・墨田区役所(19階) 10地域
1991年  
・東京デザインセンター(品川区)
 
・都庁第一本庁舎(48階)、第二本庁舎(34階)
8地域
'92年
2地域
1994年
・RVと呼ばれるレジャー用多目的車が人気(ホンダが「オデッセイ」を発売)
   
・練馬区役所(21階)
・文京シビックセンター(区役所、ホールなど。27階)
'93年
3地域
'94年
1地域
1996年      
・足立区役所南館(14階)、中央館(8階)
 
1996年       ・大田区役所 '98年
1地域
(注)黄色は表頭事項以外の事項。図録3550の「ファッション・流行年表」も参照。
(資料)東京新聞(2013年1月7日〜11日)ほか

【コラム】芝浦港南地区(港区)の運河沿い倉庫街のロフト文化(1980〜90年代)

〜「ベイエリアブランドの創出に関する検討報告書」(平成22年3月、社会構想研究所)による〜

 サンフランシスコのフィッシャーマンズワーフやボストンの水族館など、海外におけるウォーターフロント開発の成功事例を参考に1980年代より日本でも倉庫街や貨物駅といった古い港湾施設の再開発がウォーターフロント開発として注目され、いわゆるウォーターフロント・ブームとなった。

 レジャー系のウォーターフロントとしては1983年にオープンし、86〜90年にホテル群が建設された浦安市の東京ディズニーリゾート(東京ディズニーシーは2001年オープン)と並んで、芝浦港南地区の空き倉庫を利用したディスコやライブハウスが注目を浴びた時期があった。

 有名だったのは以下のようなディスコ、ライブハウス、バー・レストランであった。
@ディスコ
「芝浦ゴールド」(1989〜93年、東京都港区海岸3丁目1-5)
「ジュリアナ東京」(1991〜94年、東京都港区芝浦1丁目13-10)
Aライブハウス
「インクスティック芝浦ファクトリー」(1986〜1989年、東京都港区芝浦)
「インクスティック鈴江ファクトリー」(1990〜1995年、東京都港区海岸)
Bバー、レストラン
「タンゴ」(1986年、東京都港区芝浦)、「ベニス」(芝浦)
 このうち、「ジュリアナ東京」は、最寄り駅田町駅から降りたワンレン・ボディコン・爪長・トサカ前髪といったファッションの女性が多く集まり、マスコミでも話題になった。通称「お立ち台」と呼ばれるステージや荒木師匠こと荒木久美子に代表されるジュリアナ扇子(通称「ジュリ扇」)を合わせたファッションが類型的で「バブル期」を象徴する風俗として有名だった(ファッションについては図録3550参照)。のち(2007〜08年)に違法派遣、不正請求で問題となった人材派遣業、介護サービスのグッドウィル・グループの中心人物、折口雅博が当時の日商岩井の社員として、大手倉庫会社のオーナーから有効利用の相談を受け、巨大ディスコとするプロジェクトを計画、綿密な計画の下、立ち挙げ、大成功を収めたという逸話でも有名である(折口雅博はジュリアナ東京に続いてヴェルファーレも立ち挙げている)。

 芝浦商店会の創立30周年記念「芝浦商店会のあゆみ」(2000年)は、「序にかえて:芝浦は今、全国的有名地に」の中で、ジュリアナ東京が芝浦地域に「青天の霹靂」のような衝撃を与えたと記している。

「一昔前までの芝浦は、知名度が低く、殺風景な埋立地の上にできた、いわゆるダサイ町でした」。「現在のような生き生きとした街に至るまでには、かなりの時間を要しました。世にいう「陸の孤島・芝浦」というありがたくないレッテルは、一朝一夕にはがすことのできない状況にあったのです」。1991年開店のジュリアナ東京は状況を一変させた。「オープンと同時に、世の若者の目はジュリアナへホットに向けられ、連日連夜、押すな押すなの盛況」。「周辺には全国から集まったナンバー車のオンパレードといったすさまじさ。あらゆるマスコミも同店をとりあげたおかげで、「ジュリアナのある芝浦」は、区内の六本木や赤坂といった一等地と肩を並べるほど大々的にクローズアップされました」。「やがて、ディスコフィーバーも冷めかけた矢先、こんどは芝浦とは目鼻の先に夢の架け橋お台場へとつながるレインボーブリッジが完成。都心の一大観光地へと注目を集め、芝浦は都心から近いウォーターフロントとして見直され、これまたイメージアップにつながったのです」。

 当時の興奮を伝えるドキュメントとして少し長くなったが引用した。

 なお、陣内秀信(1992)「東京 (世界の都市の物語) 」は、この時期注目された芝浦海岸エリアのウォーターフロント・レジャー施設を芝浦料亭街に代表される明治時代の「芝浦海岸リゾート」の再来と位置づけているが、芝浦地区をよく知っている者ならではの卓見であると思われる(下表参照)。

 倉庫街のロフト文化はその後衰え、芝浦港南地区は人口の都心回帰の受け皿としてタワーマンションの林立する高層住宅地として新しい歴史の歩みを進めている(都心回帰については図録7680、高層住宅については図録7830参照)。

(参考)芝浦港南地区の歴史の時代区分と対応する地域資源
各時代の特徴 対応する地域資源
江戸時代 漁業 雑魚場(ざこば)、芝エビ、海苔養殖、落語「芝浜」、屋形船
(江戸前の魚である芝エビ、海苔については図録7838参照)
海防 台場、台場公園
芝浦海岸リゾート
(明治の行楽地)
江戸時代避暑地の前史
潮干狩り名所
旅館街(温泉旅館、割烹、料理屋、鰻屋など) 新撰東京名所図会第33編芝区之部巻之二「芝浦の景」
芝浦花柳界(図録7846)、協働会館
お台場海水浴場
近代の埋立開発
(明治末〜戦後)
日の出桟橋、埠頭公園、運河網(橋のある街)
石炭置き場、ホイストクレーンとバージ船
東京モノレール羽田線
お台場とレインボーブリッジ、ゆりかもめ
文明開化の発祥地
(明治・大正・昭和)
日本最初の鉄道、品川・横浜間開通(1872) 東京品川海辺蒸気車鉄道之真景 (歌川広重(三代)) 高輪築提の地図と画像
銀座ガス灯へ都市ガス供給(1874)→東京ガス
海水浴場のはじまり(1878)(注)
近代機械工業→芝浦製作所(1882)(東京電気と合併し東芝)
南極探検隊(1910)
都電修理工場(1920)→芝浦アイランド(船路橋)
プロ野球のはじまり(1920)(埠頭公園)(東京新聞2020.9.25でも紹介)
無線放送のはじまり(1925)
肉食のはじまり→芝浦と場(1936)→東京食肉市場
ウォーターフロントの時代
(1980年代以降)
ディスコ、ライブハウス(倉庫街のロフト文化)
カルガモプロジェクト
テレビドラマ・映画ロケ地
超高層マンション街(芝浦アイランド、ワールドシティータワーズなど)
(注)従来は「明治事物起源」の記述を根拠に大磯が初の海水浴場(1885年)とされていたが、「東京市史稿」の中に芝浦が初であることを裏づける資料が発見された(東京新聞「東京トリビア」2012.9.26)。
(資料)「ベイエリアブランドの創出に関する検討報告書」(平成22年3月、社会構想研究所)ほか

(2013年1月11日収録、2014年8月28日リゾート法地域指定数追加、2018年12月7日バブル事象表に事項追加、2021年4月27日初の海水浴場、2021年7月12日芝浦の景、日本初の鉄道浮世絵、2022年8月15日高輪築提の地図と画像)


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