理容師(床屋さん、理髪師)は、1949年の11万人から増加していたが、1971年のピーク26.7万人から減少に転じ、2017年には22.1万人まで減ってきている。これに対して、美容師は、1949年の4.5万人から増加を続け、1979年には理容師と逆転し、2018年には、53.4万人と1949年の10倍以上となっている。まことに対照的な推移である。2012年から美容師は理容師の2倍を越えている。 こうした美容師の増加は、日本人女性のおしゃれ度が極めて高まったためと、まず、単純にとらえることができる。女性を中心に茶髪が普及し、何でこんなことのために美容師を儲けさせなければならないのだという気持ちから当初作成した図録であるが、事態は、思っていたより根が深く、こうした動きは、他の図録とも考え合わせると、国民志向の大きな流れの中の一つのあらわれととらえられることが分かった。すなわち、単に、日本の女性が全体として美しくなったというばかりでなく、女性を中心とした日本人の身体ケアへの大きな傾斜に沿って美容師が増加しているのである(図録2320、2325参照)。 美容師は1980年代後半のバブル経済の時期に増加が著しかったが、その後、バブル崩壊後、横ばいに転じた。しかし、2000年以降、再度、拡大が目立つようになっている。これは1999年のテレビ番組をきっかけとしたカリスマ美容師ブームにより美容師を志す若者が増えた影響もあるが、一般的には、若者や歌手など一部の先鋭的なファッションが一般女性に普及する波をあらわしていると考えられる。近年の美容師の増加は茶髪の普及や男性散髪の美容院傾斜による影響であろう。 ○ホームページ ・電通広告景気年表 ・【週刊ファッション情報】ファッション史 ・三愛水着の歴史 ・ファッションビジネス学会/ファッション産業史研究部会編「ファッション産業年表」 ○新聞記事 ・毎日新聞「女性誌の変遷と主な出来事(年表)」2008年5月7日(夕)(図録3968参照) ・毎日新聞「ブラの100年(上)」2014年2月14日 ・毎日新聞「写真特集:狂騒のバブル時代」2015年3月26日 ・毎日新聞「平成の記憶 女性の進出」2018年6月18日 ・毎日新聞「平成の記憶 平成のライフスタイル」2018年12月7日 などからアットランダムに戦後、特に1970年代後半以降の流行を抜き出してみると、 ファッション・流行年表
などとなる。 また、参考として昭和電工のカーリング剤新商品紹介HPから次のようなポンチ絵も紹介する。 現在の女性のファッションのもとになるものがこの間に出揃ったと言えよう。そして、その結果、刺激的な外観上のフェロモンをふりまいて(またかおりの要素も含め)、女性達がまちを闊歩する状況については、まことに隔世の感が否めない。どうしてこの頃ブス(不美人)を見掛けないのだろうかといぶかしく思っているのは私だけだろうか。
関連して、地域別の美容師の数(人口当たりの密度)もグラフにした。 これによると、都道府県の中では、東京が美容師密度の最も高い地域であり、山梨、鳥取、秋田、新潟がこれに次いでいる。ただし、東京と2位以下の差は小さい。東京を除くと日本海側の東北・北陸・山陰地方の美容師が多い。日本海側の女性の方がおしゃれなのであろうか?一方、埼玉、千葉、奈良、兵庫といった大都市近郊の諸県で美容師密度は低くなっている。これは、県を越えて都心の美容院に出掛けて行くためであろう。
(2006年8月3日収録、12月21日更新、2007年11月30日更新、カリスマ美容師コメント追加、2008年12月9日更新、2010年5月26日ファッション年表更新、2011年11月15・16日更新、2012年10月1日年表追加、2013年12月25日更新、2014年2月4日ファッション・流行年表ブラ関連内容追加、2014年11月2日更新、2015年4月6日年表追加、2016年1月16日【コラム】追加、2017年3月23・24日更新、2018年10月28日更新、12月7日ファッション・流行年表追加、2020年1月19日更新)
[ 本図録と関連するコンテンツ ] |
|