すでに全世界的なリスク状況をしめした図録9610で、犯罪に関して、先進国では他殺率が低下傾向にあり、これとは対照的に、ラテンアメリカやサハラ以南アフリカといった途上国の一部では、なお、他殺率の上昇が見られている点を紹介した。また、大きく減少した日本の他殺者数の推移については図録2776で紹介した。

 ここでは、各国警察統計を取りまとめているUNODC(国連薬物犯罪事務所)のデータベースにより、世界各国における近年の他殺率推移について示した。死因統計による主要国の他殺率推移は図録2774c、主要国における他殺率の長期推移については図録2776d(当図録から独立)参照。

 UNODC(国連薬物犯罪事務所)のデータベースにより、世界各国の近年の他殺率の推移をグラフにした。他殺率の水準は人口10万人当たり年間30〜40人から0.5人前後と国によって大きな差があるので、図は高レベル国、中レベル国、低レベル国の3つに分けて示している。

 高レベル国には、中南米諸国や南アフリカ、ロシアといった国が掲げられており、ジャマイカは高いまま、メキシコは上昇傾向、コロンビア、ロシアでは低下傾向、南アフリカでは低下の後上昇、ブラジルではやや上昇ののち低下となっている。

 ブラジルは地域による違いが大きく、ノルデステ(北東部)ではこの25年に他殺率が急騰したのに対して、南部に属する地域の中には、他殺率が大きく低下したところもある。例えば、サンパウロは2000年から2010年に他殺率が67%下落したという(World Bank, World Development Rreport 2014)。結果として横ばいなのである。確かに、下の図のようにサンパウロの他殺率は10.8人/年とブラジル全体の20人の約半分となっている。

 それでもサンパウロの治安は日本人にとっては別世界に見えることが以下のような特派員報告にもうかがえる。

「凶悪犯は死んだ方がいい――。ブラジル・サンパウロで暮らしていると、ふと耳にする市民の声に戸惑うことがある。先日、私の仕事場のすぐ近くで起きた日本食レストランへの強盗事件を取材した時もそうだった。犯人は4人組。追跡した警官隊は路上で1人を射殺し、2人を逮捕。残る1人は逃亡した。翌日、銃撃戦の現場を訪ねると、タクシー運転手が吐き捨てるように言った。「警察は何をしていたんだ。全員殺さなきゃだめだろう」捕まえて刑務所に送っても、出所後にまた同じことを繰り返す可能性が高い。「それなら最初から殺した方が社会のため」というのだ。 この国では10分に1件のペースで殺人事件が起きる。背景には格差や貧困があるが、定員オーバーの刑務所では更生も難しい。おびえる市民が犯罪者を憎むのも、背景を考えれば、わからなくはない」(朝日新聞2015.5.13)。

 中南米においては、貧困や失業、不平等の程度が緩和されてきているのに対して、安全の側面が最も急迫する課題となっているとされる(The Economist, November 16th 2013, "Alternatives to the iron fist - How to prevent an epidemic")。犯罪との関連が明かな麻薬取引の他に、低賃金、不登校、家庭崩壊(DVと関連して)などが要因として重要であり、対策として、警察力の強化では効果が薄く、むしろ、警察への信頼や行政機関、関連団体、市民組織が一体となった防犯体制づくりが効果を挙げているとされる(上記のWorld Bank資料及びThe Economistが共通して指摘するところ)。

 メキシコの2011年をピークとする上昇は、「カルテル」と呼ばれる麻薬組織同士の抗争など「麻薬戦争」による犠牲者の増加によるものと考えられる。


 エルサルバドルの犯罪率も非常に高い。政府は鉄拳政策で犯罪者を刑務所にどんどん収監している。上の画像は、2020年9月4日、エルサルバドルのソンソナテ県イザルコにある最大のセキュリティを備えた刑務所で、MS-13のメンバーである18人のギャングが捜査を受けて床に座らされている写真である。中南米の刑務所の過密と暴力の悪化を報じた英国エコノミスト誌はこの画像を引くとともに次のように記している。「犯罪率の高い地域では、市民は長い間、容疑者を”mano dura”、すなわち鉄拳で扱う指導者を支持してきた。その最も極端な例はエルサルバドルである。2022年3月、ギャング関連の殺害が急増したのでナイブ・ブケレ大統領は非常事態が宣言した。現在、約10万人、すなわちエルサルバドルの成人の2%が刑務所に収監されている。その国の殺人率は半減した。ブケレ氏の支持率はなんと90%で、この地域で最高である」(2023年2月18日号、p.35)。

 エルサルバドルの犯罪対策については、その画期的成果から他の中南米諸国も取り入れようとしているようだ。

「麻薬密輸を資金源とするギャングが横行する中南米で、エルサルバドルが治安回復に成功し、注目を集めている。エルサルバドルでは2019年に就任したナジブ・ブケレ大統領の下、非常事態宣言を発令し、ギャングのメンバー約6万1300人を逮捕。200以上の拠点を解体した。政府によると、15年は10万人あたりの殺人発生率は世界最悪水準の106.30件に達したが、22年には7.8件まで大幅に改善した。
 ジャマイカやホンジュラスもエルサルバドルを参考にして、ギャング対策のため、非常事態宣言を発令した。
 一方、ブケレ氏のギャングに対する強硬姿勢への批判もある。国際人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」は今年1月、適正な刑事手続きをとらずに未成年を含む数千人が大量に拘束され、刑務所が過密状態になっているとの報告書を発表し、「深刻な虐待」と指摘した。今年1月末には、米州最大とされる4万人を収容できる巨大刑務所が開所し、摘発はさらに進めていくとみられる。
 エルサルバドルでは来年2月に大統領選を控える。大統領の連続再選は憲法で禁じられていたが、ブケレ氏は早々に立候補を表明。最高裁は認める判断を下し、今月3日、選挙当局も立候補を承認した。強権に対する批判はあるが、複数の世論調査でブケレ氏の支持率は9割を超えており、再選は確実視されている」(読売新聞オンライン、2023.11.9)。

 中レベル国には、米国、イスラエル、アルゼンチンのほか、韓国、タイ、インドなどアジア諸国が多く含まれている。中レベル国は、米国をはじめ、概して、他殺率が低下傾向にある。

 もっともコロナ禍で米国では銃犯罪が増えており、2022年2月3日にバイデン米大統領は「この国では毎日316人が撃たれ、106人が殺されている。もうたくさんだ」と止まらぬ犠牲に憤りを見せたという(東京新聞2022.2.6)。

 低レベル国には、英国、フランス、ドイツ、イタリアをはじめヨーロッパ先進国が含まれているほか、日本、中国、シンガポール、オーストラリアといったアジア・太平洋諸国が含まれている。

 これらの諸国は、おおむね、他殺率が低下傾向にある。ノルウェーで2011年に急に他殺率が跳ね上がっているのは、反移民のヘイトクライムである連続テロ事件(77人死亡)があったためである(図録1171参照)。

 この図では、近年になって、日本とシンガポールとで最低他殺率を競い合っている様子が印象的である。

 国別ではなく都市別の他殺率も関心がもたれるところであるが、ここでは、特定の目立った都市の他殺率のデータを以下に掲げた。ヨハネスブルグ(南アフリカ)が特段に高く、ラテンアメリカのサンパウロ、メキシコシティーがこれに続き、犯罪都市の汚名から脱却したとはいえ、次に米国のニューヨーク市が多くなっている。モスクワよりニューヨークの方が他殺率が高いとはやや意外である。このほか、ここで取り上げているのは、他殺率の高い順にナイロビ(ケニア)、バンコク(タイ)、ソウル(韓国)、アンマン(ヨルダン)、ソフィア(ブルガリア)、ムンバイ(インド)、コロンボ(スリランカ)、ローマ(イタリア)、アルジェ(アルジェリア)である。


 図で取り上げている国は、24か国、具体的には図の順に、南アフリカ、ジャマイカ、メキシコ、コロンビア、ロシア、ブラジル、エルサルバドル、米国、アルゼンチン、韓国、タイ、インド、イスラエル、カナダ、中国、日本、シンガポール、ノルウェー、スウェーデン、英国、イタリア、フランス、ドイツ、オランダ、オーストラリアである。

(2013年11月29日収録、2015年5月13日サンパウロ特派員報告引用、2017年6月13日UNODCデータ更新、2019年12月6日主要国の長期推移を図録2776dとして分離独立、2021年10月30日更新、マップ追加、2022年2月10日米国コメント、2023年4月12日エルサルバドルの刑務所画像、8月13日更新、エルサルバドル追加、11月10日エルサルバドル記事)


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