主要国の長期推移は、日本における他殺率水準が戦前から戦後にかけて、また戦後一貫して、低下傾向をたどったことがまず目立っている。 戦前から戦後直後の段階では、ほぼ、イタリアと同程度の水準であり、英国やドイツなど西欧主要国と比べれば他殺率が高い、殺人の多い国であった。 英国はシャーロックホームズが活躍する舞台として何か殺人事件の多いイメージがあるが、これはあくまで小説の話だということが分かる。 戦後の日本は、図録2776にも示した通り、他殺は激減しており、他殺率もイタリアを大きく下回り、ドイツや英国をも下回る殺人の少ない安全な国となっている。 主要国の他殺率の動きとしては、米国のレベルの高さと大きなうねりが目立っている。 米国の高い暴力性については国家による暴力の独占が十分でないからという説が支配的である。「米国社会に多分に残っているこの暴力性は、ごく単純にひとつの太古性なのである。この太古性が保全されているのは、国家による暴力の独占が不十分で、社会に垂直的原理が欠けていて、結局、人類学的なある種の水平性が維持されているからにほかならない。米国社会で一般市民が拳銃やライフルを所持するのは、中世ヨーロッパにおけるナイフの日常的保持の永続化である」(エマニュエル・トッド「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」上、文藝春秋、原著2017年、p.345〜346)。 同様の論旨だが、米国の他殺率の高さをより地域的な差異に即して展開しているピンカー説については図録8809参照。 米国における戦前の他殺率の上昇は、1920年から1933年まで憲法修正第18条下において施行された禁酒法の影響で暴力事件が多発したためであろう。「アル・カポネとその敵対者バグズ・モランなど、シカゴ市の最も悪名高いギャングの多くは、違法なアルコールの売り上げを通して、何百万米ドルもの大金を稼いだ。窃盗や殺人を含む犯罪の多くは、シカゴや、その他の禁酒法に関係する犯罪と関わっていた(ギャングの平均寿命が禁酒法施行前は55歳だったが、施行後には38歳にまで下がった。連邦捜査局の禁酒局捜査官も、ギャングとの銃撃戦で500名もの殉職者を生み、市民やギャングも、2千人以上が死亡したと言われている)」(ウィキペディア、2022.12.7)。 戦後、1970年代からの他殺率の大きなうねりは、人種差別撤廃運動と白人の人種的反動、ベトナム戦争と反戦運動、新自由主義の躍進、貧富の格差拡大といった「移行期的危機」によるものと考えられよう。 「この期間、米国社会はやや自己喪失的な混乱状態にあったと考えられる。こうした文脈の中で、社会不安が改めて米国の黒人たちの上に固着した。自由貿易のせいで黒人労働者の雇用が毀損され、それにともなって夫や父親の立場にある者の権威がぐらつくなかで、習俗の自由化が奴隷制廃止以来続く困難な安定化への途上にあった黒人家族の破壊を完遂した。そのため、暴力減少が突出して現れたのは黒人コミュニティにおいてだった。黒人コミュニティが、アメリカのありとあらゆる苦悩が結晶する場となった」(エマニュエル・トッド「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」下、原著2017年、p.86)。 このため特に1990年代に入ると下図のような黒人若年層の他殺率の驚くべき急騰が起り、黒人の刑務所大量収監にもつながったのだった。
(2014年10月16日収録、2016年7月24日コラム追加、8月24日ピンカー図引用、9月12日ピンカー引用追加、2017年5月2日WDR図、2019年12月6日図録2776aから分離独立、2022年11月29日トッド引用、12月7日米国の2つのうねりコメント)
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