中国:巨大な胃袋


 中国は人口大国なので、最近の経済成長が世界の物資需給に大きな影響を与えている。国際鉄鋼協会によれば中国における2013年の粗鋼生産量は7.8億トンと5年前の1.52倍に膨張し、世界の49.2%に達している。セメントについては、米国地質調査所によれば中国のセメント生産量は2013年に23億トンと世界の実に57.5%を占めている(図録5500、図録5590参照)。人口シェア2割の中国がこれだけの素材製品を生産・消費している点に中国における近年の投資ブーム、建設ブームの巨大さをうかがうことができる。鉄鋼やセメントばかりでなく、食料消費の拡大も驚異的である。

 図には、食料の種類ごとの供給トン数について世界シェアの推移を示した。これを見ると、経済成長に伴う1人当たりの供給カロリーの増加に伴って、消費の重点を大きくシフトさせてきた様子が明瞭である。中国の1人当たりの供給カロリーの増加は図録0200参照。

 1970年代までは、いも類消費拡大期であった。日本の戦時中と同じで腹を満たすことに重点がおかれた様子がうかがえる。これは、天災ではなく人災ともいわれる1959〜61年の大飢饉、その後の文化大革命の影響下で食糧不足が常態化していたためという側面が大きい。穀物や豚肉、特に豚肉の消費量が1964年頃まで大きく落ち込んでいた点、それを補うかのように野菜やいも類の消費が多かった点にそれがあらわれている。末尾のコラムにも記されているように、当時は、不足する穀物や肉の代替食材として豆類が、また腹を満たす増量食材として野草や野菜・いもが使用されていたと考えられる。

 次に、1985年頃のピークへ向けて穀物の消費が大きく拡大した。いも類よりは食味のよい米や小麦といった食品の消費へのシフトが進んだといえよう。日本でもかつて「白いめしを腹一杯食って死にたい」などというセリフが通用していたことを思い出させる。

 中国北部のコムギ地帯をこの時期訪れた栽培植物学者の中尾佐助は、道路沿いにはポプラ並木があるのに、きめ細かく整備されていた素掘りの灌漑用水路ネットワークには並木の植樹が忘れられている状況にコムギ増産へ向けた中国の全力投球ぶりを感じた。「私は中国各地の農業科学院でコムギ育種の専門家とくどいほど話し合いをしたが、彼らの目的は常に増産一本槍であった。それというのは、コムギの品種改良では、世界のどこでもコムギ粒の中の蛋白の量とその質の問題が常に重要事項となっているのだ。ところが中国のコムギ専門家からは、蛋白問題の話題が全然出て来ないし、科学院にもコムギの蛋白の試験施設が見あたらなかったのだ」(「現代文明ふたつの源流―照葉樹林文化・硬葉樹林文化」朝日選書、1978年、p.45)。蛋白問題については図録0218参照。

 その後、80年代後半から90年代、21世紀へと急拡大したのが、肉類、乳製品、野菜、水産物、果実といった品目である。1979年以降豚肉が急拡大を始め、1983年以降野菜が急拡大を始め、また水産物は1985年以降拡大を始め、1990年代後半にはさらに拡大が加速された(末尾コラムによると1990年頃から「海鮮ブーム」が起きたというがこの加速はその影響であろう)。もともと中国の食文化に根付いていなかったためシェア水準はそれほど高くなっていないが、それでも牛肉は1990年代以降、そしてついには牛乳・乳製品が21世紀に入って拡大を開始した。もともと食にはこだわりの強い中国人が、経済成長に伴って、それまでの「長年の禁欲の反動」(張競)で一気に食への欲望が解き放たれたと見なければ、こうした世界シェアの目覚ましい展開は理解が難しい。所得上昇に伴って、よりおいしく、多様な食生活へと向かう動きは、世界共通の法則のようなものであるが、中国の場合は、歴史的に例を見ない鮮明なかたちで短期間のうちにこの法則が顕在化したのである。

 特に豚肉の消費は2000年代に入ってから世界の40%を越え、驚くべき世界シェアとなっている(以前のFAOdatabaseでは50%を越えていたが新しいまとめではこのようになった)。国内消費における豚肉の地位は大きいので、子豚疾病による豚肉の価格上昇が中国の物価上昇率全体をかなり押し上げた事例については図録4722参照。

 近年は、有機栽培食品である「緑色農業」がブームになったといわれる。21世紀にはいると野菜の世界シェアが豚を上回るに至っている。最近のいも類のシェアの横ばい化は野菜としての消費増によるものであろう(2006年には再度落ち込んだが)。

 野菜のシェアがなお伸びているのに対して、2014年をピークに豚肉消費の世界シェアが低下に転じた点が目立っている。これは健康ブームで、豚肉好きの中国人もさすがに脂肪摂取を減らそうと考えはじめたからだと考えられる。餃子も豚肉を減らし野菜を増やしたタイプの売り上げが伸びているらしい(ロイター、2017年6月27日)。

 このほか、養豚場の汚染対策が2014〜15年に強化され、全国各地で“畜産農場建設禁止運動”が盛んになり、豚肉生産量が減少、豚肉価格が上昇傾向となり、これが需要量の低迷に結びついているという見方もある(JBpress、2019年10月25日) 。2018年8月以降に中国国内で発生したアフリカ豚熱の影響を受け、19、20年の生産量・消費量がともに大きく落ち込んだ。2010年代後半の豚肉の落ち込みはこの影響が大きい。

 一方、牛肉など赤身肉の消費は伸びており、しかも輸入牛肉でその需要を満たす傾向があるので、ラテンアメリカの森林減少や温暖化ガスの増加(牛のゲップ)を通して地球環境問題の深刻化が懸念されている(The Economist October 19th 2019)。

(なお、こうした動きを供給カロリーに占める穀物比率の動きとして総括し日本、韓国と比較したグラフを図録0200-1に示した。)

 米国のワールドウォッチ研究所所長のレスター・ブラウンが「誰が中国人を養うか」という論文を発表したのは1995年である(「だれが中国を養うのか?―迫りくる食糧危機の時代」ダイヤモンド社 、1995年)。これは、中国人の食料消費の拡大、特に肉類消費の拡大に伴う飼料穀物の需要爆発により、世界が穀物不足になるという懸念を指摘したものである。ところが、95〜96年の一時的な洪水と干ばつによる食料輸入を別にすると、80年代までの食料輸入基調とはうってかわって、中国は土地生産性の向上から食料輸出基調となっているためもあってか、こうした観点は現在は目立っていない。

 しかし、世界の豚肉の半分近くを中国の巨大な胃袋が消費している。サステナブルな世界的な農業生産体制にもっと関心が払われてもよいと思われる。

 特に中国南部で食への意欲が高い点については、図録8520参照。

 21世紀に入ってからの動きとしては、対世界シェアが横ばいに転じている品目が多い点が目立っている。量的な充足はそろそろ一段落し、味や安全性、品揃えなど質的な充実へと向かっているものと思われる。また、消費の拡大が食から高級品へと展開している点については図録7218のコラムを参照。

 2014年以降は野菜が伸び続け世界の半分を上回った点や豚肉シェアが低下に転じたのが目立っている。

 食品や鉄鋼などそれ以外の資源についての中国人の巨大な消費が目立っている。この点に関し、かねてより描いてみたいと思っていたグラフを英国エコノミスト誌が掲載していたので以下に引用する。


【コラム】中国人の食生活事情〜過去と現在〜

 以下は、張競「中国人の胃袋-日中食文化考」バジリコ、2007年からの引用。張競は日本で活躍する中国人文芸・文化評論家であるが、1953年上海生まれであり、子どものころに大飢饉の状況を経験している。()内の小見出しは引用者による。

1.食糧難時代の食生活状況

(1959〜61年大飢饉の状況)
 1950年代以前に生まれた中国人にとって、「三年自然災害」という言葉は忘れられない。それは洪水や日照りといった異常気象の被害というよりも、むしろ「飢饉」というイメージが強い。(中略)「三年自然災害」という言葉は1959年から3年間続いた自然災害の時期を指しているが、実際は3年で終わったのではない。1963年になっても、状況はまだかなり深刻であった。自由市場に食材がやや増え始めたのは1964年頃であった。それまで、米や小麦粉のみならず、肉や野菜、豆腐などの副食品も極度に欠乏していた。知識人の中に自然災害と認識する人は少ない。陰では早くから「三分天災、七分人災」(3割が天災、7割が人災という意味)と言われていた。(中略)「民は食を以て天となす」という名文句がある。為政者にとって、「食」の問題はまず主食の米や小麦粉の配給である。三年自然災害のときから80年代まで、中国の都市部ではすべての穀物は配給制になっていた。(中略)配給された米も小麦も2、3年も貯蔵したもののようで、品質が極端に悪い。虫がついているだけでなく、米粒を親指と食指で軽く押すだけで、粉々になってしまう。

(肉不足)
 凶作になると、市場からまず消えるのは肉である。肉とはむろん豚肉のことで、食料とともにいち早く配給制となった。「肉票」(肉のチケット)がないと買えないが、チケットがあっても、深夜から列に並ばないと手に入らない。もっとも困難な時期には供給さえ途絶えたこともあった。(中略)豚肉は国営の店より闇市で入手しやすい。ただ、値段は驚くほど高かった。わたしが住んでいた集合住宅(場所は上海−引用者)には、ときどき近郊の農民がつてを頼って、肉を売りにくる。もっとも高いときは一斤(500グラム)が6元もした。高卒の初任給が18元の時代。一ヶ月の給料で1.5キロの肉しか買えなかった。大人たちが豚肉を前にして嘆いている姿はいまもはっきり覚えている。

(食糧難時代の工夫)
 肉が不足していたから、タンパク質を補うために、「豆製品」(大豆製品)はたいへん重宝がられていた。(豆腐、しめ豆腐、厚揚げ、薄くしぼった木綿豆腐の「百頁」、緑豆澱粉でつくった春雨といった豆製品を、直接、食するばかりでなく、貴重な豚肉料理の増量食材、また白菜やナズナなどの野草との組み合わせ料理として活用されたという。この外、「お腹を満たし、飢餓感を一時的にしのぐ」ため、のびきったラーメンをつくり、白菜や青梗菜で増量する料理なども食糧不足時代の料理として普及したという。−引用者)

(食糧難時代の魚食の状況)
 1959年から始まる、いわゆる三年自然災害は中国の食文化に大きな打撃を与えた。さらに文化大革命はそれに追い打ちをかけた。1970年代頃になると、「セイギョ(青魚)」と「ソウギョ(草魚)」(コイ、フナと並ぶ現代中国「四大川魚」の2種−引用者)は配給食品になり、「魚票」(魚を買うチケット)があっても、年に2、3回しか手に入らなくなった。

2.最近の食生活事情

(海鮮ブーム)
 中国では海水魚は淡水魚よりランクが低く、値段も安い。(中略)15年ほど前に、中国では海鮮ブームが起こり、レストランには生け簀が置かれるようになった。客は生きた魚介類を選び、厨房は客の指定した方法で調理する。このスタイルは最初、広州や上海などで始まったが、現在、各地に広がっている。食べる魚の種類も大きく変わった。(ロブスター、クエ、サーモンなどもよく食べるようになった。−引用者)刺身が中国人の食生活に入ったことも注目すべき変化であろう。この料理がはじめて中国に入ったとき、一般の人たちのあいだで大きな抵抗があった。しかし、いつの間にか受け入れられ、いまや若年層を中心に広く好まれている。刺身と同じように、寿司も高級料理として若者のあいだで人気が高い。

(外食事情)
 ひと昔前に比べると、物は豊富になり、メニューの品目もだいぶ増えた。ふかひれ、ツバメの巣などはかつてただ噂を聞いただけで、庶民が利用するレストランではまったく見られなかった。いまでは金さえあれば町のいたるところで食べられる。1980年代の半ば頃まで、美食はステータスのシンボルで、庶民は金があっても高級ホテルのレストランには入れなかった。市場経済が導入されてから、金銭の力がしだいに強くなり、権力がなくても金さえあればなんでも手に入れることができるようになった。朝オーストラリアで捕れたロブスターが夜の食卓に出されているぐらいだから、昔、想像もできないようなことが現実と化した。むろんその値段も常識ではほとんど考えられないほど高いが。

(エンゲル係数)
 もともと中国人の食事に注ぐ情熱にはすさまじいものがあった。それに長年の禁欲の反動なのか、食に対する欲求は日に日に増大している。人々は給料をもらってまず第一に考えるのは食べることだ。いまも市民たちの食にかける金は多い。生活水準が高くなっても、エンゲル係数はいっこうに下がらない。欧米の経済学者の理論は中国には当てはまらないようだ。(特に中国南部でエンゲル係数が下がらない状況については図録8520参照)

(2004年10月1日更新、2006年8月22日更新、2007年7月30日更新、2010年6月8日更新、2011年2月26日21世紀動向を追加、4月20日コラム・張競引用追加、7月11日豚肉価格上昇参照追加、2012年7月17日更新、2014年8月11日更新、2014年9月29日中尾引用、2015年4月9日牛乳・乳製品追加、2017年2月13日更新、2020年2月8日食料需給表新推計により更新,、2月12日豚肉減、牛肉増のコメント、2022年1月25日中国消費の対世界比グラフ、2024年1月7日更新) 


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