日本人が社会の中で人づきあいが極めて悪い、あるいは社会の絆が失われている(社会的に孤立している)ことを示した図を掲げた。

 日本は家族以外の人と社交のために全く、またはめったに付き合わない人の比率がOECD諸国の中で最も高い。これは高齢者の人間関係を国際比較した図録1307とも共通する特徴である。そこでは夫婦以外の人間関係が日本の場合希薄でありそれだけ夫婦の精神的な相互依存度が高いことが示されている。こうした傾向の時系列的な深まりについては図録2412参照。

 出所である"Society at a Glance"という統計集は、OECD諸国の社会政策について「一般的な背景」「自立」「公正」「健康」「社会的結束」の5項目にグループ化した指標で明らかにしている。ここで取り上げたデータは、「社会的結束」(Social Cohesion)に属する指標である。

 「社会的結束」には以下のような指標が取り上げられている(明石書店発行の日本語訳による)。

・主観的福祉
・社会的孤立
・団体加入
・10歳台の出産
・麻薬の使用および関連する死亡
・自殺

 こうした取り上げ方には、個々人が社会から孤立していると幸せを感じられず、未成年で子どもを生んだり、麻薬にふけり、自殺にも結びつくので社会の結束(つながり、絆)へ向けた対策が必要という問題関心があらわれている。

 ところが結果は、アジア的で伝統的な共同体意識が残っているとも見られる日本で、もっとも社会的孤立度が高く、逆に、犯罪率が高く、自殺、同性愛、安楽死を許容する程度が非常に高い、欧州的な社会意識の1つの典型をなすようなオランダで社会的孤立の指標は最も低い(オランダの特性については図録2783、図録2788など参照)。

 日本の社会的孤立度の高さの理由については、2つの見方が成り立つ。ひとつは、伝統的な社会の絆が戦後の経済発展の中で失われてきたが新時代に順応したコミュニティが形成されていないためとする見方、もうひとつは、社交がなくとも生活に支障が生じない経済や社会が成立しているためとする見方である。

 第1の見方は、この図を引用している広井良典「持続可能な福祉社会―「もうひとつの日本」の構想 」2006年(ちくま新書)に見られる考え方であり、日本の近代化の中で水田稲作に起因する内向きに結束するムラ社会原理が企業社会に移されて急速な経済発展が実現できたが、近代社会を支える欧米型の社会原理(規範による社会結合)は同時導入されなかったため、「構造改革」が進み非正規雇用者が増加して、企業帰属を通じた社会の絆が失われた結果、社会全体がバラバラになってしまい、社会の閉塞感が高まるようになったとされる。

 第2の見方は、社交を通じて実現されていた社会的ニーズが市場サービスや公共サービスを通じて充たされるようになっているので取り立てて社交が必要ないという考え方である。市場が提供する娯楽に富み、治安がよく、社会が安定し、コネがなくとも職が得られ、先輩から個人的に教えてもらわなくとも研修が得られ、相互扶助に頼らずとも年金・医療・福祉の公共サービスが得られ、ゴミ処理などの公共サービスも政府に頼ることができ、社交以外の手段による情報流通が発達しているため、社会的な付き合いをしていないからといって不安になるということもないという訳である。葬儀社が何でもしてくれるから近所の手伝いは要らないという側面があろう(図録2383参照)。

 中国人より日本人の方が、「少しくらい高くても、品質の良い食品を買う」といっている人より「できるだけ安い食品を買う」としている人がずっと多いが(図録8040)、これは食の安全が身の回りの環境として確保されているかどうかによってもたらされる意識の違いである、「できるだけ安い食品を買う」人が34%と中国人の13%より多いからといって日本人の方が食の安全に関する意識が低いとは単純にはいえないであろう。それと同じように人とのつきあいの程度が小さいからといって、必ずしも日本人の人間関係がそもそも希薄といえるかどうか疑問なのである。

 日本人の社会的な付き合い程度が薄いということが以上のように理由づけられても、図に見られるように欧米の中でも、フランス、イタリアと比べてオランダ、アイルランド、米国では何故ひと付き合いが濃密であるかをこうした点から説明するのは難しい。各国民の社交の程度は社交団体がどれだけ重要な社会的役割を果たしているかについての各国の気風の違いを反映していると思われる(諸国民の所属団体数平均における米国と英仏との大きな違いをこうした点から探った図録9503参照)。

 2010年1月31日にNHKが放送した「無縁社会−無縁死3万2千人の衝撃」以来、孤独死、所在不明高齢者など、社会的孤立状況が社会問題化している。2011年1月には首相官邸に「一人ひとりを包摂する社会」特命チームが「新たな社会的リスクとして「孤立化」、「無縁社会」、「孤族」などの問題について、セーフティネットの強化を含めた社会的包摂を推進するための戦略策定を目的として設置された」(官邸HP)。ここでの「包摂」が上記OECDの”Social Cohesion”の日本語訳なのであろう(のちに”Social Inclusion”の訳だといわれていることを知った)。

 訪問看護に従事している看護師宮子あずさは東京新聞の本音のコラム「孤独死」でこう言っている(2010.12.27)。「この一年も、ご縁のあった方をまた何人か見送った。家族に看取られた人もいれば、一人ひっそり亡くなった方もいる。後者の死を「孤独死」と呼ぶことに、私はとても抵抗感がある。死はたまたまの結果に過ぎない。それで生き方まで云々されてはたまらんなあ。孤独でない人間なんているもんか。−そんな風に思う。人と人とのかかわりが薄れる「無縁社会」が問題になっている。その一方で、「一人」が否定的に見られるのもおかしな話ではないだろうか。子なしの私たち夫婦は、いずれ生き残った方が一人暮らしになる。一人で年を越し、やがては一人あの世へ旅立つだろう。それはそれでかまわないと思う。」

 社会的孤立に対して、生活支援、保健、防犯、防災、コミュニティ対策として必要な措置を講じる必要はあろうが、それを孤独死、無縁社会、社会的閉塞などと位置づけ無闇にマイナス面を強調するのは誤りであろう。

 社会的孤立度の高さについての上述の2つの見方をめぐり、米国では論争になったという。米国の2000年の国勢調査で、1人世帯(ひとり暮らし世帯)の占める割合がおよそ4分の1であることが当局者から発表されたとき保守派とリベラル派とで対立する解釈がなされた。「家族の価値を重んじる保守派のアドボケートにとっては、この統計は、伝統的な米国の家族が崩壊している、そして、家族を強化する社会政策が必要だということのさらなる証拠だった。しかし、リベラルな評論家は、一人世帯が増えていることの意味をもっと楽観的に解釈した。豊かさが増し、健康状態が向上したため、若い人々は独立して暮らす余裕をもてるようになり、個人は満足できない結婚を終わらせることができ、年配の人たちは一人で世帯を維持できるようになったというのだ。つまり、一人世帯が増えていることを証明する国勢調査統計を、社会の衰退と生活事情の改善のどちらの表れとも読むことができるのである。」(ジョエル・ベスト「統計という名のウソ―数字の正体、データのたくらみ 」白揚社、原著2004年)

 日本では、家族やコミュニティに対する保守派、リベラル派の対立議論が未成熟なので、社会的孤立や無縁死は自由の副産物なのだから全面否定すべき対象ではないなどという意見は出ないものとみられる。

 最後に、「社会的つながり」に関するこうした論点について、当代きっての経済学者たちによるバランスのとれた見方を紹介しよう(ジョセフ・E.・スティグリッツ、ジャンポール・フィトゥシ、アマティア・セン「暮らしの質を測る―経済成長率を超える幸福度指標の提案 」金融財政事情研究会、原著2010年、p.83〜84)。

「社会的なつながりをもつことで、暮らしの質が多くの面で向上する。最も楽しめる社会的諸活動の多くが社交をともなうものなのでより多くの社会的つながりがもっている人ほど、人生に高い満足度を見出している。社会的なつながりによって得られる利益としては、健康と職が見つけられる可能性があげられる。さらには、住んでいる場所の隣近所の(犯罪が多い地域か、地元の学校の成績はどうかなど)、いくつかの特徴にまで及ぶ。

 社会的なつながりは、それがもたらす(直接的および間接的な)利益を強調するため、しばしば「社会的資本」ソーシャル・キャピタルと呼ばれる。他の種類の資本と同様に、社会的資本から発生する外部経済は、マイナスであることがしばしばありうる。例をあげよう。ある集団に属していると、暴力の風潮と他の集団との対決を煽るような、特異な自我意識を高めることがしばしばありうる。(中略)

 人びとの社会的なつながりに変化をもたらす要因が何であるかは、常によく理解されているわけではない。社会的なつながりは人びとに(たとえば保険や安全のような)サービスを提供する。市場および政府サービスが発達することによって、これまでのものとは異なる取決めが提供されるので、人びとの地域社会とのつながりが減少しているかもしれない。

 はっきりしていることは、経済活動を拡大するようなかたちで市場もしくは政府の事業が、地域社会の機能に取ってかわる場合でさえ、社会的なつながりの低下は人びとの暮らしの質に悪影響を及ぼすかもしれない、ということである。それは一例をあげれば、近所で非公式に見張っていたのが給料を払った警備員の仕事にかわったような場合である。人間の幸福度に関して偏った見方をするのを避けるために、こうした社会的なつながりの計測が必要である。

 社会的なつながりに関する研究は、伝統的には、団体への加盟人数や(慈善事業や投票者数など)社会的なつながりによって生じると考えられる活動の回数などの、代理変数に依拠してきた。しかしながら、こうした数値は社会的なつながりを計測するには不適切な数字であることが、いまでは受け入れられるようになっている。信頼できる数字を得るには、人びとの行動と諸活動に関する定期的調査が必要である。(中略)

 アメリカの労働力調査に関する特別様式の調査票は、人びとに、市民社会組織および政治とのつながり、多様な組織への加入の有無とそこでの自主的活動、隣近所や家族との関係、情報やニュースをどうやって得ているか、といった事柄をきいている。他の国々も同様の調査をし、国ごとの時系列的な比較ができるように、質問と定式に沿った文章をつくるべきである。」

 社会的なつながりがヘイトスピーチなど人種・民族排外主義につながる場合もあるといっている。日本の社会的な孤立が平和の副産物である可能性もあるわけである。

 友人、同僚、宗教団体、スポーツ・ボランティア団体といったそれぞれとの付き合いの程度について、また原資料となっている世界価値観調査については図録9500を参照のこと。また高齢者の人間関係の国際比較から、日本では配偶者など同居親族以外との付き合い程度が薄い点を図録1307で見ている。

 なおここで図録の対象として取り上げた国は値の低い順にオランダ、アイルランド、米国、デンマーク、ドイツ、ギリシャ、英国、ベルギー、アイスランド、カナダ、スペイン、フィンランド、韓国、オーストリア、イタリア、フランス、ポルトガル、チェコ、メキシコ、日本の20カ国である。

(2008年7月11日収録、2010年12月13日葬儀社コメント追加、2011年1月20日「無縁社会」「包摂」関連コメント、宮子あずさ引用追加、1月31日ジョエル・ベスト引用追加、2013年食の安全意識との対比コメント追加、2014年7月16日スティグリッツらからの引用追加)


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