OECD諸国の中では米国が3.3個(種類)の団体に属しており、最も所属団体が多い。スウェーデンやオランダがこれに続いて3団体以上となっている。反対に、ドイツ、イタリア、フランス、英国といった西欧主要国は日本の0.8団体を下回り、各人が社会団体に所属することは少ないという結果になっている。国によってずいぶん違いがある。 なお、こうした団体で無償で働いたことがある人の比率(ボランティア活動者率)のOECD諸国間比較については図録3003参照。 米国と英国、フランスとの所属団体数の大きな違いは、少なくとも19世紀以来の古くからの各国社会の性格によるものであるようだ。この図録の解説としてこれ以上のものはないと思われる19世紀のフランスの政治思想家トクヴィル(トックビル)の観察と分析を以下に少し長々と引用する(「アメリカのデモクラシー」第二巻(1840年)第二部第五章「アメリカ人が市民生活の中で行う結社の利用について」岩波文庫)。 「アメリカ人は年齢、境遇、考え方の如何を問わず、誰もが絶えず団体をつくる。商工業の団体に誰もが属しているだけではない。ありとあらゆる結社が他にある。宗教団体や道徳向上のための結社、真面目な結社もあればふざけたものもあり、非常に一般的なものもごく特殊なものも、巨大な結社もあれば、ちっぽけな結社もある。アメリカ人は祭の実施や神学校の創設のために結社をつくり、旅籠を建設し、教会を建立し、書物を頒布するため、また僻遠の地に宣教師を派遣するために結社をつくる。病院や刑務所や学校もまた同じようにしてつくられる。ついには一つの真理を顕彰し、偉大な手本を示してある感情を世間に広めたいときにも、彼らは結社をつくる。新たな事業の先頭にたつのは、フランスならいつでも政府であり、イギリスならつねに大領主だが、合衆国ではどんな場合にも間違いなくそこに結社の姿が見出される。」 イギリスのような有力市民が社会を主導する貴族社会にあっては「人々が全体として固く結びついているから、行動するために結社をつくる必要がない。...民主的な国民にあっては、市民は誰もが独立し、同時に無力である。一人ではほとんど何をなす力もなく、誰一人として仲間を強制して自分に協力させることはできそうにもない。彼らはだから、自由に援け合う術を学ばぬ限り、誰もが無力に陥る。...民主的な国民にあって、境遇の平等によって消え去った有力な個人に代わるべきは結社である。」 フランスでは「個人が無力、無能になるのに応じて、政府をより有能、より行動的にして、個人のできないことを社会が遂行できるようにしなければならぬと考える。」だが政府が、「政治の領域から脱して、この新しい道に身を投じた瞬間から、政府は欲せずして耐え難い暴政を行うことになろう。なぜなら、政府は厳格な規則を押しつけることしか知らぬからである。」 「合衆国で十万人からの人々が強い酒を飲まないと公に約束しているという話を最初に聞いたとき、私には真面目でなく冗談のように思われ、それほど節度のある市民たちが自分の家で水を飲んでいるので満足できない理由が当初分からなかった。やがて私は、これら十万のアメリカ人は、周囲に酒害が広がるのに脅威を感じて、節酒を後援しようとしたのだということを理解した。彼らは一般市民に贅を軽んじることを教えるために、いつも同じ身なりで通した大領主とまさに同じ行為をしていたのである。もしこの十万の人々がフランスに住んでいたとすれば、一人一人別々に政府に宛てて、王国全土の居酒屋の取締りを誓願したであろう。」 図の対象は29カ国であり、所属団体数平均の多い順に米国、スウェーデン、オランダ、アイスランド、オーストラリア、ノルウェー、スイス、カナダ、デンマーク、フィンランド、ベルギー、オーストリア、韓国、ルクセンブルク、ギリシャ、アイルランド、スロバキア、チェコ、メキシコ、日本、ドイツ、イタリア、フランス、英国、スペイン、ハンガリー、ポーランド、ポルトガル、トルコである。 (2008年7月8日収録)
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