ロシアの平均寿命(男性)は欧米先進国の平均寿命(出生時の平均余命)より10歳以上も少なくなっている(図録1620参照)。 こうした状況に至った推移を示す男女別のロシアの平均寿命を欧米先進国平均(主要6カ国平均)とともにグラフにした。 2021年の平均寿命は、男は64.2歳、女は74.8歳である。2019年のそれぞれ68.2歳、78.2歳から大きく低下しているのは新型コロナの影響と見られる。欧米主要先進国でも2020年には低下したが21年には回復の方向に折り返した。これに対してロシアは21年も低下が続き、また低下幅が大きい点に深刻さが認められる。もっとも22年には大きく回復した。 男の平均寿命が60歳代半ば強、すなわち定年年齢程度である点はやはり目を引く。ロシアでは年金問題は生じないとも言われていた位である。男性の平均寿命が短い点とともに男女差が世界一大きい点がロシアの特徴であるとされる(図録1670参照)。 1950年代にロシアの平均寿命は急速に伸長、または回復し欧米先進国に近づいた。1960年代も女性については平均寿命が伸びていた。この当時から男女差は平均以上に開いており、女性の平均寿命は欧米主要国と比べてそれほど遜色なかったが、男性は数歳欧米主要国より低かった。 1970年代以降、ソ連邦下の計画経済期、1991年ソ連邦崩壊後の市場経済期を通じて、起伏はあるが、全体に、男女とも低下傾向をたどるとともに、男性の平均寿命が特に低下した。女性はピーク時より3歳程度、男性はピーク時から7歳程度平均寿命が低下した。欧米諸国が全体として順調に平均寿命を伸ばしているのと比較して、著しく対照的な推移となっていた。 こうした推移は、死亡率の上昇(特に男性)によるものであり、「1992年から2001年の間までの死者数は、例年より250万人から300万人多かったと推定される。戦争や飢餓、あるいは伝染病がないのに、これほどの規模の人命が失われたことは近年の歴史ではなかったことである」(国連開発計画「人間開発報告書2005」) 時期別に見ると、経済計画期においても、1970年代に入って、平均寿命が低下する傾向となった。社会主義圏をリードする国威の発揚のため民生が犠牲にされる結果になっていたといえよう。 具体的には密造酒を含めたアルコール消費量の拡大が背景となっていたといわれ、これに対して1985年に就任したゴルバチョフは1987年まで反アルコールキャンペーンを展開したため、1980年代後半には劇的に平均寿命が回復した(雲和広(2012)「ロシアの死亡動態再考:サーベイ」一橋大学ロシア研究センターワーキングペーパー)。このときの節酒令による価格高騰でオーデコロンなど酒の代用品を酒代わりに飲む習慣が広がり、今でもなお、この習慣が抜け切らないと言われていた点については図録1970参照。 しかし、ゴルバチョフが企業の独立採算制と自主管理制を導入する経済改革などペレストロイカ政策を本格実施しはじめた87年から、いったん低下したアルコール消費量の再拡大と平行して、平均寿命は再度低下しはじめた。1991年のソ連邦崩壊後、1994年にかけては、一層急激な平均寿命の低下をみており、この時期の社会混乱の大きさをうかがわせている。ロシアにおいて飲酒と自殺率がほぼパラレルに推移してきている点については図録2774参照。 その後、いったんは回復に向かうかに見えた平均寿命であるが、ロシアで金融危機がおこった1998年以降は、再度、一進一退の状況となった。2006年以降、やっと回復の傾向となった。女に後れて、男も過去のピークを上回るに至ったが、なお、OECD平均にくらべて、女性では6歳程度、男性では、10歳程度も平均寿命が短くなっている。 ロシアは、社会システムの崩壊がもたらす大変な状況に襲われたと想像されるが、以下に、ロシアの平均寿命の短さについての要因分析を要領よくまとめている国連開発計画UNDPの報告書から引用することとする。 「死因を調べるといくつかの事実が明らかになる。ロシアでは、食事と生活様式の影響で、心血管疾患の発生率が高い。ロシアではこの「先進国病」のほかに感染症が増加しており、結核やHIV/エイズの脅威が増大している。殺人や自殺も、アルコールの過剰摂取と密接に関連している。 労働市場の改革、1990年代の深刻かつ長期にわたった景気後退、そして社会保障の崩壊が人々の心理的ストレスを増やす結果となったと考えられる。これは、アルコール消費量とアルコールが原因の病気に表れている。同時に、法、秩序および治安を扱う国の制度が崩壊したことに伴い、暴力的な犯罪が増加している。インフォーマルな経済活動や、暴力にものを言わせた取り立ても、平均寿命低下の原因となっている。1990年代前半だけで男性の殺人被害者は2倍に増えた。 暴力犯罪や心理ストレスだけでなく、予防可能な感染症(とくに結核、急性腸炎、ジフテリア)の蔓延は、保健医療制度に欠陥があることを示している。公共医療支出は、1997年から98年にかけての1年ではGDPの3.5%を占めていたが、1990年から2001年の間には平均2.9%にまで減少した。裕福な世帯の多くは新たな民間の医療サービスに頼るようになっており、多くの貧困世帯にとっては、あらゆるところで賄賂その他の正規外の支払いを求められるために、「無料」の公的医療サービスは手の届かないものになってしまった。 ロシアの死亡率の動向は、21世紀初頭における人間開発の最も深刻な課題の1つを示している。」(国連開発計画「人間開発報告書2005」) また、WHOの報告書は、社会の状況次第で、いかに健康格差が短期間に拡大するかの例として、以下のようなロシアの学歴別寿命の推移の図を掲げている。 これを見ると市場経済への移行過程の中で高学歴の大卒は男女とも寿命を回復する一方で、初等教育卒は大きく寿命を短くなっており、ロシアの平均寿命が低迷する中で、社会階層による健康格差も急速に広がった状況がうかがわれる。 年金給付開始年齢の延長問題 上に平均寿命の短さから年金問題がロシアでは生じないといわれていた点にふれた。しかし、図のように平均寿命が回復、上昇してくると、そうともいえなくなっているようである。東京新聞(2018.8.5)は以下のように報じている。 「ロシアの年金改革に国民が反発を強めている。政府は制度維持を理由に受給開始年齢の引き上げを議会に提案し、今秋にも可決される見込みだが、世論調査では国民の9割が反対する。強行すれば人心を失いかねず、支持率を頼みにしてきた「ポピュリスト」のプーチン大統領が苦しい選択を迫られている。改革案では受給開始年齢を段階的に引き上げる。男性は来年から2028年までに、現在の開始年齢の60歳を65歳に引き上げる。女性も34年までに、55歳を63歳とする。成立すれば旧ソ連時代を含めて約60年ぶりの改正となる」。提案の中には将来の年金受給額の引き上げも含まれているが、そんなことで国民の納得は得られそうもない。 好調な資源輸出で経済成長を続けてきたプーチン政権下のロシアでは、それにともない民生が安定し平均寿命が回復、上昇してきたわけであるが、最近の原油価格低下や経済成長率低下による財政難で年金会計は見通しが悪くなっているものと考えられる。「プーチン氏は05年に「私が大統領でいる限り(受給年齢を)引き上げない」と明言していた。「前言撤回」の印象は強く、政府系世論調査でさえ支持率を15ポイント近く下げた」という。図で見れば2005年と比較すると平均寿命の伸びは著しく、さすがのプーチン氏も予想外であったのではあるまいか。 英国エコノミスト誌によれば、ロシアの年金受給開始年齢はOECD諸国のいずれよりも低く、旧ソ連諸国の中では、ウズベキスタンとともに、例外的に、ソ連崩壊後に年齢を引き上げていない。ロシアの「年金基金はGDPの約2.5%分の財政補助を受けるにいたっている。政府系のシンクタンクの推計では、受給開始年齢に変更がない限り、年金受給者数は現在の4千万人から2035年に4千250万人に増え、年金保険料を支払う就業者数を上回ってしまう。提案通りの引き上げが実現すれば、年金受給者数は2035年に3千5百万人にまでかえって縮小する」(The Economist June 30th 2018)。 ロシアにおける自殺率の高さについては図録2770、2772、2774参照。自殺率ばかりでなく他殺率も高い点は図録2775参照。北朝鮮においても平均寿命の低落が見られたことについては図録8902参照。
旧ソ連諸国の平均寿命の動きを以下に掲げる。男の平均寿命の動きを見ると、ウズベキスタンを除いて、ロシアと多かれ少なかれ似た動きを示している。 福島第一原発の原子力事故による放射能汚染への不安が高まる中、ロシアの1993〜4年の平均寿命の落ち込みを1986年のチェルノブイリ事故による放射能汚染の影響とする見方から当図録を引用する者が多くなった(例えばツイート数)。チェルノブイリ事故による放射能汚染の影響は、以下の表や地図のように、ベラルーシで大きい。
男の平均寿命の動きで、ロシアより影響度の大きい筈のベラルーシでロシアと比較して特に際立った平均寿命の動きとなっていない点、またベラルーシの男女別の平均寿命の動きで、放射能汚染の影響であれば男女に違いがないはずであるが、実際は、女の平均寿命は男のような落ち込みが見られなかった点、この2点から、平均寿命の動きに放射能汚染が影響していると見るのには無理があるだろう。
またロシアと最も近い平均寿命の動きを示しているのはカザフスタンであるが、チェルノブイリ原発からカザフスタンの首都アスタナまでの距離は、福島第一原発からモンゴルの首都ウランバートルまでの距離に匹敵するので、もしカザフスタンの平均寿命がチェルノブイリ原発事故の影響であるとすると、日本だけでなく中国全体が大きな平均寿命の落ち込みとなると考えなければならない。 (2006年10月11日収録、2007年6月18日更新、2008年5月29日更新、9月1日学歴別寿命推移図追加、2011年3月29日更新、4月10日旧ソ連諸国の平均寿命追加、5月25日カザフスタンコメント、6月3日チェルノブイリ原発事故汚染地図、2012年6月22日更新、2013年7月24日更新、2014年8月31日更新、1980年代後半の寿命一時回復コメント追加、2015年1月2日最近の動きコメント修正、8月1日更新、2017年8月12日更新、2018年8月5日更新、年金改革、8月6日英エコノミスト誌引用、2019年4月5日比較対象についてOECD高所得国から欧米主要6カ国に変更し1950年代データを新たに追加、2019年9月7日更新、2021年11月14日更新、2022年4月9日更新、7月13日1950年代データを国連人口推計に変更、2023年6月21日更新、2024年6月17日更新)
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