グラフには、富山市の二人以上の世帯の年間の消費金額、あるいは消費量が日本一の品目をすべて掲げている(金沢市については図録7805参照)。毎年データは変動するので3カ年の平均を取っている。そして、それら品目について、全国平均の何倍か、及び、第2位の市と比較して何倍かという2つずつのデータを棒グラフにしている。全国平均の何倍か、はどのくらい消費が多いかをあらわしており、第2位の市との比較は、他の市から図抜けている特徴かどうかを示している。第2位の何倍かという数値が低いと、必ずしも調査の度に1位とは限らないことになる。例えば、生しいたけの消費は富山が全国1だが、2位の金沢の1.01倍と2位の市とはそれほと変わらないので、1位1位だと威張っても数年経つとそうでなくなってしまう可能性が大きいわけである。トップであると自信をもっていえるのは2位の市との倍率が高い品目である。 富山市の消費品目の中でもっとも目立っているのは、「ぶり」の消費金額が全国の3倍、そして2位の市、これは金沢であるが、その1.3倍となっている。全国の何倍かということでは、「ぶり」の次に「魚介の漬物」(注)、3位が「昆布」になっている。一方、第2位の何倍かという点では、「こんぶ」が1.47倍と他の品目を引き離している。 (注)魚介の漬物については、主にぶりやいかの味噌漬・醤油漬などをさすが、富山特産の昆布締めも含まれるものと思われる。「漬」は大漁時に販売が間に合わず漬けたものや、販売店で売れ残った魚介を漬けたのが定着したものであり、「昆布締め」も魚介類を昆布で密封して保存期間を延ばし、風味も倍加させたことで定着したものと思われる。
このように、調べてみると富山の特徴は、「ぶり」と「昆布」だということが出来る。この2つが全国1である理由はそれぞれ異なる。 「ぶり」は氷見の寒鰤が全国ブランドで有名である。また江戸時代から全国に先駆けて稲作の副産物である藁を大量に使ってつくった定置網で鰤を捕まえ、能登の塩で塩鰤にして飛騨や信州、あるいは関西全域に出荷していた歴史がある。鰤は回遊魚である。九州から餌を求めて日本海側を北上し、夏に北海道沖でUターンして、戻ってくる途中で、能登半島にぶつかって入ってきたブリを冬に定置網で漁獲するわけなので、富山のピカ一の地元産品といえる訳である(富山湾自体が定置網のようなものといわれる)。正月の魚としてブリ文化圏と鮭文化圏が糸魚川・静岡ラインで東西に分かれているというが、西の根拠地、本場が富山なのである。塩さけの消費分布については図録7734参照。 昆布の方は栄養塩に富んだ寒流の親潮が到達する北海道と東北太平洋岸の海岸でしかとれない産品である(図録0667参照)。つまり、昆布は富山の地元産品ではないが、何故か、消費は富山がダントツに日本一なのである。これには、北前船の歴史と北海道開拓に果たした越中人の歴史をひもとかなければ理解できない。 北海道大学の昆布博士と呼ぶべき大石圭一によれば、下図の通り、国内は江戸時代までに昆布消費が普及し、食文化的にも、ダシ、とろろ昆布、昆布佃煮と成熟し現代のかたちになった。北陸は、北海道から昆布を運ぶ北前船の根拠地であり、昆布の使い方をいろいろ開発した中心地となった関西食文化の影響も受け、かつ関西より安く昆布を得られたことから消費が最大となったと見られる(この図の詳しい解説は図録0668参照)。 しかし、北陸の中でも富山が図抜けて昆布消費が多いという点はなおこれだけでは説明がつかない。福井や石川にも北前船船主は多くいたし(図録7810参照)、それらの地方の方が関西食文化の影響は強かったといえる。輸送費の差も北陸圏内でそれほどの差があったとは思えない。
これを説明するのは、北海道漁業への越中人の出稼ぎが多かったことである。定置網(台網)が発達しなかった新川地方の漁民を中心に明治10(1877)年頃から北海道に渡ってニシン漁に従事し、さらに明治20(1887)年頃から根室方面に昆布採取に出稼ぎし、その数は明治28(1895)年にすでに800人に達したといいます(「日本地誌〈第10巻〉福井県・石川県・富山県 (1970年) 」二宮書店)。富山では高級昆布で知られる羅臼昆布の消費が多いといわれているが、これは、明治期に羅臼の人口の8割を占めていた富山の移住者や出稼ぎ者が、昆布を故郷の親せきや知人に届けたため、富山での消費が定着したからだといわれます(北日本新聞社編集局(2007)「昆布ロードと越中―海の懸け橋 」)。その他、北海道各地で昆布漁に従事した越中人が故郷に昆布を送ったことが消費日本一をもたらした要因だと考えられる。 大石氏が研究した1970年代のデータでなく、最近のデータで同様に分布を調べてみると(図録0668参照)、昔ほど、地域ごとの区別がはっきりしなくなってきている。東日本でしか食べなかった納豆が全国化し、西日本でしか食べなかったタチウオが全国化したのと同じように、昆布消費も全国均一になりつつあるのだろうと考えられる。その中でも、富山の昆布消費は相変わらずの地位を保っており、地元に根づいた食パターンの頑強さを見て取ることができます。 こうした地元魚介類の豊富さと北前船・北海道開拓の歴史から富山人の好む食べものの特徴は理解される。また、こうした背景の下に、生鮮及び加工を含む「魚介類」という大きな区分でも富山は全国1となっており、まさに日本一の魚好きの地域となっていることが分かる。 なお、「いか」の消費も、対全国比1.93と4番目、対2位都市比1.26と3番目の品目となっており、やはり富山の特徴である。これは、「ほたるいか」が富山湾特産となっているためであろう。 また、「もち」の消費も日本一となっているが、これは、富山県が古くからコメの単作地帯であり、米食の比重が大きかったためであろう(図録0280コラム図参照)。 以下には、富山が1位の品目について、実際の年間支出金額、消費量や2位都市名を掲げた表を示した。 富山市の消費額が全国1位の食品品目
(2013年4月23日収録、8月16日「ほたるいか」に言及、2016年5月2日昆布生産・消費の史的展開について図録0668に移す)
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