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統計は食料需給表ベース、すなわち、生産量、輸出入量から、飼料向けなど食用以外の部分や廃棄部分を除いて、口に入る量を算出し、各食品の含有成分量からたんぱく質等の栄養成分を計算する方法による数字を使っている。 まず、国民1人1日当たりの消費量(純食料供給量)であるが、明治末期(1911〜15年、明治44年〜大正4年)時点と現在では、当然のことながら、大いに異なっている。 明治末期には、米を主食として、野菜、いも類、雑穀が補い、その他の品目は、ごく限られた量しか消費されていなかった。魚介類も当時は近年の10分の1しか消費されていなかった(図録0290参照)。たんぱく源としては大豆・みそが重要であった(注)。 昭和戦前期には、果実や魚介類も多少伸びてきたが、戦中、戦後直後には、食糧難から、果実、魚介類はおろか、米、野菜すら減少し、代わって、いも類の増加がそれを補った。 戦後しばらく、米の生産が回復するとともに、パン食の普及による小麦の増加、戦前に引き続き、魚介類消費の拡大が見られたが、高度経済成長が本格化すると、いわゆる「選択的拡大」の流れの中で、畜産品、果実、野菜の消費量が急激に増加し、米の消費量は落ち込んでいった。 1990年代にはいると、野菜消費に遅れて、魚介類消費も減少に転じ、最後まで消費が拡大していた肉類、乳製品も横ばいないし減少に転じた。近年は、外食、加工食品、冷凍・調理済み食品、惣菜の増加といった消費形態の変化は進行中であるが、お腹を満たす食品の構成としてはほぼ安定的に推移するに至っている。 その後、基本的な傾向は変わらないものの、2010年代からは、米や魚介類の減少と肉類や乳製品の増加が目立つようになっており、一層、食の洋風化が進んでいる。 2005年以降の毎年の動きとしては、高齢化に伴って1人当たりの消費量が全般的に低減する中、野菜、いも類、小麦は横ばい、肉類と牛乳・乳製品は増加となっているのが目立っている。また、2011年に肉類と魚介類が逆転した点が注目される。 次ぎに、第2の図で、たんぱく源の推移を、明治末期からほぼ40〜50年おきに3時点で比べると、大きく様変わりしている様子がうかがえる。 明治末期(1911〜15年平均)では、たんぱく源としても米が圧倒的であり、大豆、みそ、しょうゆやその他の豆類、麦類、雑穀がこれを補っていた。 これ以降、1960年にかけては、大正・昭和戦前期、戦後復興、高度成長期前期を通じ、たんぱく源として魚介類の重要性が大きく浮上した。「魚介類」からのたんぱく質摂取は「米」に次ぎ、「大豆・みそ・しょうゆ」を上回る3本柱の1つを構成するに至った。「戦時・戦中の食糧難、とくに動物性蛋白質の量的不足は、国民に魚種選択の余地を与えなかった。水産物もヤミ・配給を問わず、手に入るものは何でも食用とせざるを得なかったので、どんな魚でも食べる習慣がついた。」(平沢豊「日本の漁業」NHKブックス、1981年)かまぼこなどのすり身製品や今となっては奇妙な食品ともいうべき魚肉ソーセージなど水産加工品の消費が拡大し、鯨油が主目的だった鯨についても「鯨肉生産が大きな比重を持つようになったのは食糧難の戦後であり、鯨肉は国民の生活に広く浸透した。」(同前)(図録0290参照) 1960年以降、高度成長期が本格化して以降の時期の特徴は、やはり何と言っても、食の洋風化であり、それまでの少しづつ消費が拡大していた肉類、鶏卵、乳製品など畜産品の動物性たんぱく質の摂取が一気に拡大した点にある。現時点のたんぱく源としては、こうした畜産品の動物性たんぱく質が第1となり、これに魚介類が続き、米、小麦、大豆・みそ・しょうゆの3つが、それぞれ、第3の地位を占めるといった構造になっている。 現在の男女別・所得水準別の野菜、果物、魚、肉の食品摂取量の違いについては図録2218参照。 食生活の変化が食料自給率の低下に及ぼした影響については図録0316参照。 (注)明治・大正までの食生活は、宮本常一の以下の記述がおおむね的確といえよう(【コラム】2以降を参照)。 「明治・大正時代までは食べ物をうまく食べる工夫というよりも腹いっぱい食べることのための工夫が大きかった。しかもそのような工夫に苦しんだのは町に住む人たちではなく、食べ物を作る農民たちであった。作った米の多くは租税としてとられるか、または生活費を得るために売らねばならず、米作をあまり多く行わない畑作地では生活するための経費を得ようとして農業以外の仕事に携わり、自分の家で食べるものは畑で作った雑穀やイモ類が多かったのである。しかもそういう生活が昭和三十年頃まで続いた。日本人が米ばかり食べて来たように思っているのはもともとは都会に住む人たちの錯覚であった。」(宮本常一・潮田鉄男「食生活の構造 (1978年) (シリーズ食文化の発見〈2〉) 」柴田書店、1981年) また、町場など移入食料中心の地域を除くと地方の農業生産の特徴に応じて主食の内容は大きく異なっていた。「日本人は昔から米ばかり食べて来たように思っている人が多いけれども、そうではなくてそれぞれの土地で出来たものを食べることが多く、むしろ雑食であったといってよい。」(同上、はしがき)
(2006年11月1日収録、2011年8月31日更新、2013年4月2日コラム追加、4月8日雑穀データ、宮本常一引用追加、4月9日コラムの2〜4追加、2015年8月7日2014年概算値追加、2018年5月13日更新、8月10日更新、2020年9月20日更新、2023年12月13日更新)
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