品目数は8品目にのぼっており、金沢市民はけっこう特徴のある食生活を送っていることがうかがえる。 中でも「れんこん」への支出額は全国世帯の2.26倍と際立って大きく、また第2位の新潟市と比較しても1.33倍と目立っている。「れんこん」に次いで「だいこん漬」、「和菓子」などへの支出も目立って多い。 以下には、これら品目について、実際の年間支出金額や2位都市名を掲げた表を示した。
「れんこん」や「だいこん漬」の支出は他と比較して目立って多いが、支出金額規模的にはそれほど大きくない。1位品目の中では、「生鮮魚介」が6万3千円、「すし(外食)」、「和菓子」が2万円と金額の大きさから目立っている。 品目を概観すると金沢で好まれている食べものは、魚料理とむすびついた和食系列が中心であるが、城下町文化の一部である和菓子、あるいは和食文化系統とはややかけ離れた「チョコレート」や「コーヒー」も大いに好まれており、総合して、「食通都市」といった印象の濃い内容となっている。 「れんこん」については、西の吉野川下流(鳴門市)と東の霞ヶ浦(土浦市ほか)が2大産地であるが、金沢にも、加賀野菜の代表的産品に数えられる「加賀れんこん」の産地があり、れんこんをすり下ろして、鰻蒲焼き、椎茸などの具材とともに蒸した「はす蒸し」が名物料理となっている。「れんこん」への支出金額が目立って多いのはこうした背景によるものである。 酢飯を使ったスシが近世初頭に誕生する前段階のナレズシが全国の郷土料理に残っている。その代表的存在が金沢など北陸の「かぶら寿司」である。これはカブにブリを挟んで米麹で漬け込んだものであるが、武家階級以外の一般大衆の愛したものは、 むしろ「大根寿し」 であり、脈々と現代に受け継がれているという。これは、「大根」 と 「身欠きニシン」 を米麹に漬け込んだ物であり、北前船が北海道から運んできたニシンを使ったのがはじまりといわれる。普段食べるオカズ・惣菜を、京都で 「おばんさい」 というが、金沢では 「じわもん」 と呼ぶ。冬の 「じわもん」 の代表が 「だいこん寿し」 だった。 「だいこん漬」といえば全国的には「たくあん」が代表的産品であるが、金沢が全国の1.70倍の支出金額でトップとなっている背景としてはこうした家庭に根づく伝統的な食文化をあげることができる。 一方、「チョコレート」や「コーヒー」へのこだわりも金沢の特徴のひとつである。金沢市のコーヒー好きを取り上げた東京新聞の記事(2011年11月6日「わが町日本一」)にはこうある。 「なぜ、金沢市でコーヒーが好まれるのか。岩本さん(珈琲店3代目)らに尋ねてみると、「食へのこだわり」が理由に挙がる。金沢市は菓子類、生鮮魚介、外食のすしでも支出額が日本一だ。おいしいものを求める市民性といったところだろうか。 岩本さんは「おもてなしの心があって、お客さんには必ずお茶菓子を出します。昔からお茶は飲みますが、新しい物好きでもある」。二代目の父、誠之さん(71)も「金沢の人は見えっ張り。ハイカラで特別感のある物を出すとお互い喜ぶ」と笑う」 なお、金沢市の世帯消費額が全国第2位の品目としては、「生鮮魚介」に含まれる「かれい」、「ぶり」、「かに」とともに、「さつまいも」、「生しいたけ」、「こんぶ」、「油揚げ・がんもどき」、「カステラ」、「飲酒代」があげられる。 全国第2位品目については、家庭に根づいた魚介類を中心とした和食文化が「さつまいも」、「生しいたけ」、「こんぶ」、「油揚げ・がんもどき」の多さにあらわれており、チョコレートやコーヒーと同様のハイカラ趣味が「カステラ」にあらわれており、すし外食と同様の和食系外食好きが「飲酒代」にあらわれているといえよう(「飲酒代」には飲酒に伴う料理代や飲酒を目的とした諸会費を含む)ちなみに「飲酒代」の1位は高知市である(図録7760参照)。 「さつまいも」については「加賀れんこん」と並んで加賀野菜の代表的品目の一つとなっているという背景もある。「れんこん」と「さつまいも」といえば徳島の鳴門地域が関西市場向け中心産地であるが、少し規模を小さくした同様の生産流通圏が金沢を中心に成立しているともいえよう。 それにしても生鮮魚介やすし(外食)の支出額日本一の地位は、もっと大局的な理由づけが必要だと考えられる。こうした意味では、金沢の食文化の背景としては以下の3点が重要だと思われる。 @北前船繁栄の影響(北海道の水産物とのつながり) A加賀百万石の城下町と京都文化とのつながりの歴史 B消費水準の高さ かぶら寿司のブリは北陸の魚だが、金沢の庶民に親しまれているという大根寿しはブリでなく、ニシンを使っている。こんぶの消費も全国2位と多い。こうしたことから、北海道と関西をつなぐ北前船商売、そののちの北海道漁業進出により大儲けした北前船の船主商人が、財力・購買力と取り扱い商品で金沢の食文化に影響を与え、京都方面からの食文化の影響と合わさって、魚介類を中心にした幅広い和食文化・外食文化が金沢で形成されたのでは思われる(図録7810「北前船の船主たち」参照)。和菓子への消費が多いのは、やはり加賀百万石の城下町の影響であろう。 しかし、こうしたかたちの食文化が形成されていたとしても、所得水準上、食への支出に限界があれば、品目別支出額でそうそう上位にあがれないと思われる。しかし、金沢市の世帯は、下表のように、消費支出額全体の水準がさいたま市に次ぐ全国第2位であり、また食料支出額も全国第4位と高い。こうした金沢市世帯の全体的な豊かさが、金沢の食文化のバックボーンとなっていると考えられる。
こうした消費の豊かさの一因として金沢が北陸地方の中枢拠点機能を有している点をあげることができる。文化的に西日本と東日本を分けるラインは呉東呉西という言葉があるように富山市西方の呉羽山を通っている。これは加賀藩と同藩支藩の富山藩の境界がここにあったためである。金沢大学の入試合格者の歩留まり率(実際に入学する比率)も合格者住所をこのラインで区分して適用されているという。つまり金沢市の勢力範囲は高岡や氷見など富山県の西半分に及んでいるのである。省庁の地方出先機関では、国交省の北陸地方整備局・北陸信越運輸局は新潟にあるが、農水省の北陸農政局、財務省の北陸財務局、総務省の北陸総合通信局は金沢にある(経産省の場合は名古屋の中部経済産業局が北陸をカバー)。下表に見る通り、金沢で働く国機関の就業者割合は北陸の他の3市より高く、また札幌や仙台ほどではないが、福岡は上回っている。
金沢の豊かな食文化の背景として、北陸の地場の魚介類や加賀野菜など豊かな食材の存在があげられることが多いが、むしろ豊かな食生活があるからこうした食材が成立したという側面も無視できない。また京都生まれの北大路魯山人が1925年に東京・永田町で「星岡茶寮」を出す前に、京都や近江の長浜の他、加賀の金沢、山代温泉の素封家の食客として転々と生活し、食器と美食に対する見識を深めていったという事跡もこうした地域背景があったからこそと理解できる。 (2011年11月28・30日収録)
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