総務省統計局が実施している家計調査により県庁所在都市別の水産加工品3品目、すなわち、塩さけ(塩しゃけ)、揚げかまぼこ(薩摩揚げ)、かつお節(鰹節)・削り節の消費量をグラフにした。

 この3品目については、トップ消費地の消費量の多さが目立っている。塩さけは新潟市(新潟県)、揚げかまぼこは鹿児島市(鹿児島県)、かつお節・削り節は那覇市(沖縄県)である。

1.塩さけ

 塩さけ(塩サケ)はサケが遡上する地域での消費が多い。サケは数万キロの長旅を終え、生まれ故郷の日本海と北太平洋に注ぐ川に秋から冬にかけて産卵のために戻ってきて遡上する。遡上の南限は、日本海側では山口県、太平洋側では千葉県の夷隅(いすみ)川、あるいは最近はやや北よりの栗山川といわれる。

 以下、同じ家計調査のデータにより、「サケ文化”発祥の地”首位」と題した塩サケの消費量についてのランキング記事を引用する(東京新聞2009.11.29知り得ランキング)。

「新潟県といえば、村上市を流れる三面(みおもて)川のサケ文化が有名である。サケが生まれた川に帰る「母川回帰性」に世界で最初に注目したとされる越後国村上藩士の青砥武平治。三面川にサケの産卵場所を設置した人工川を造り、自然増殖に努めた。その後、1878(明治11)年には、日本で初めて米国のふ化技術を取り入れ、これを成功させた。

 新巻きサケの取材で北海道別海町の加工工場を訪ねたことがある。新巻きとは、もともとサケを開き、塩をして開いた身を合わせてワラを巻いたことから「ワラ巻き」と呼ばれていた。しかし、冷蔵技術の進歩とともに薄塩になり、ワラで巻かずに貯蔵したので「新巻き」と呼ぶようになったといわれる。」

 東日本の「塩さけ」に対して、西日本の「塩ぶり」が対比される。富山では、江戸時代から全国に先駆けて稲作の副産物である藁を大量に使ってつくった定置網でぶりを捕まえ、能登の塩で塩ぶりにして飛騨や信州、あるいは関西全域に出荷していた歴史がある点については図録7806参照。

「東日本で正月に食べるのはさけの荒巻であるが、富山や京阪神でこれにあたるのが塩ぶりである。東からさけが、西からはぶりが入ってきた信州では、富農は塩ぶり、中農は塩ざけ、小農は塩ます、貧農は塩さばと家によって格があったという」(鈴木秀夫・久保幸夫「日本の食生活」1980年、p.216)。
2.揚げかまぼこ

 関東の私などは「薩摩揚げ」と呼ぶが、「揚げかまぼこ」の名称は地域により種々である。地域名称が様々なので家計調査は、いずれでもない名称を採用したと思われる。

東北・関東 薩摩揚げ(商品名から名称普及)
中部地方・広島県 はんぺん
関西・西日本・北海道 てんぷら
鹿児島 付け揚げ、つきあげ
沖縄 チキアギ(付け揚げの意)

 薩摩揚げの由来については諸説があるが、鹿児島県薩摩地方が発祥で、島津藩が琉球との交易・侵攻の過程で、1864年頃に沖縄県の揚げかまぼこであるチギアギ(付け揚げ)を持ち帰ったことが始まりであるとも言われている(ウィキペディア)。琉球から伝えられた中国料理の「揚げる」技法が、古来からのかまぼこ作り製法に加わって、現在のさつま揚げができたと 言われているのである(味の老舗有村屋HP)。

 揚げかまぼこの消費量は発祥地とされる鹿児島県が最も多いほか、四国を初めとする西日本の消費量が東日本を大きく上回っている。

 かつての日本は仏教の影響で肉食文化から遠ざかっていたため油の使用も限られていた(図録0214参照)。調理に当たって油が多く用いられるようになったのは16世紀半ば以降の南蛮文化の影響である。てんぷらの語源がスペイン語やポルトガル語だとされるのはそのせいである。宮本常一の説を紹介しよう。「テンプラはテンポラとよばれるイタリア語、またはポルトガル語から出たという。キリスト教では金曜日の祭りをテンポラとよび、この日は鳥獣の肉を食べず魚を料理して食べた。日本人もその料理法を学び、料理されたものをテンプラとよんだという。そして天麩羅の字をあてた。『嬉遊笑覧』に「天文三年(1738)の小栗判官の浄瑠璃の波羅門組という悪党の名にてんぷら長九郎というあり、是よりさき、長崎などには魚の油揚げを然云えると見ゆ。蛮語なるべし」。とあって、魚の油揚げがテンプラであったことがわかる。そしてテンプラは、17世紀の初めごろから京阪地方に流行して、まもなく江戸にもひろがっていったとみられる。」(宮本常一「日本における調味料の歴史」(宮本常一著作集〈24〉食生活雑考 、1977年、p.274〜275))。

 こうかんがえると、さつま揚げをてんぷらと呼ぶほうが由緒正しいといえよう。ただし、てんぷらという呼称も中国伝来の魚の油揚げ方式を南蛮用語で呼んでいる訳であるが。

3.かつお節・削り節

 かつお節、あるいは既に削られた密封パック製品が普及しているカツオ、サバ、イワシ等の干し魚を薄く削った削り節の消費量を次ぎに紹介する。

 JAS法にもとづく食品表示上は、「かつお削り節」と「かつお節削り節」(ないし「かつお枯れ節削り節」)は異なる。前者はカビ付け工程に入る前の荒節という産品の削り節であり、後者は荒節の表面を削ってカビ付けしたかつお節(枯れ節)の削り節である。すなわち「かつお削り節」は市販されているあの硬いかつお節を削ったものではない点に注意が必要である。

 かつお節・削り節の消費量は、那覇市(沖縄県)が全国平均の7倍以上と圧倒的である。沖縄には「ラフテー」(皮付き豚三枚肉料理)や「足てびち」(豚足料理)などの和風だし煮込み料理が多く、また沖縄そば(ソーキそばなど同じく和風だしの小麦粉麺)の定着と拡大によって、その消費量は年々増加しているという。

 第2位以下は、徳島市、静岡市、鹿児島市と続いており、かつお節の産地県、あるいはその周辺地域で多い。かつお節の生産量は、鹿児島県(枕崎、山川)が最も多く、これに静岡県(焼津)、和歌山県、熊本県、高知県が続いている。

 こうしたかつお節分布の地域性は、歴史的経緯と他のだし材料との競合によっている。ニンベンのHP(だしの話)では次のように述べている。

「鰹節については、江戸時代以来培われた食習慣の影響が現在まで受け継がれています。全国的な需要としては西高東低で、鰹節の産地である高知・鹿児島・静岡などの需要は当然大きいですが、江戸時代から食文化の発達した大津・岐阜・京都・名古屋なども古くから鰹節の需要が根付いています。中国地方は西日本に位置しながら、需要が少ない地域です。中国地方に需要が少ないのは、瀬戸内海は煮干、日本海側は北陸地方までアゴ(トビウオ)の産地であることが要因といえます。北陸地方も需要が少ないですが、これは北海道からの昆布ロードの陸揚げ地で昆布だし文化が発達しているのと、煮干し・アゴの需要が盛んな土地柄によります。

 沖縄が全国一の消費地なのは、江戸の初期から、外国船により長崎港・平戸港を出発して南方や中国(明・清)へ輸出される鰹節の中継港であったのと、薩摩藩が領内産鰹節の中国向け輸出基地としたことによります。これらの要因から、鰹節だしが沖縄の食文化に根付くことになりました。」

 なお、かつお節(鰹節)はインド洋のモルディブでも生産されており、スリランカ・カレーなどにはモルディブ・フィッシュと呼ばれて使用される(図録0260参照)。モルディブ・フィッシュはカビ付けする前の鰹節であり、形状は、削って用いる日本の鰹節と異なり、そのまま煮込みなどに加えられるよう細長い粒状に砕いた「かつお砕き節」とでも呼ぶべきものである。日本の鰹節の起源をモルディブから東南アジアを経て伝わったとものとし、沖縄が日本における鰹節の最古だとする説がある。

 かつお節が昆布とともに和風だしの基本要素となっている点については図録0214、図録0216参照。

(2011年1月6日収録、2014年5月22日ニンベンHP、宮本常一引用追加、2016年6月13日塩さけと塩ぶりの対比)


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