gooランキングサイトから「例えが的確すぎる「ことわざ」ランキング」をとりあげ、49位までのことわざとその票数を棒グラフであらわした。

 下には、それぞれのことわざ(諺)について、主に時田昌瑞「岩波ことわざ辞典」(2000年)を参照し、由来・来歴や使われ方について記した。

 記事を読めば明らかであるが、われわれが普段よく使っていることわざのほとんどが江戸時代から変わらないままであることや江戸系いろはカルタの影響が大きかったことが分かる。

 生活感覚としてはわれわれは江戸時代の庶民と同じだと気づくと少し驚きである。

百聞は一見に如かず
出典は「漢書」だが、一般的となったのは明治以降らしい。世阿弥は「千聞は一見に如かず」と言った。
時は金なり
「一寸の光陰軽ろんずべからず」などと古くから言われてきたが、この形は英語のTime is money.の翻訳が日本で定着したもの。
二兎を追う者は一兎をも得ず
由来が腑に落ちない「虻蜂捕らず」に代わって、明治期の教科書で紹介されたこの英語のことわざが定着した。
三日坊主
出家して仏門に入ってみたもののわずか三日でやめて還俗してしまうこと。西鶴なども使っている。
塵も積もれば山となる
仏書「大智度論」が出典だが、いろはカルタの「ち」で取り上げられたのが普及のけっかけとなった。
知らぬが仏
真相は知らない方がよい場合があるとの意だが、地蔵の頭に鳥やトンボがとまっているいる図柄のいろはカルタが江戸から現代まで続く。
花より団子
室町末期の犬筑波集の俳諧「花よりだんごとたれか岩づつじ」が初出の現代にいたるまで常用されていることわざ。
灯台下暗し
もともとの灯台は火をたく灯明台であり、その真下は薄暗いと江戸前期から使われていたが、近代に入っても、いろはカルタの「と」として岬の灯台の絵柄で同じ意味が転用され一般化した。
好きこそ物の上手なれ
江戸中期から各種文献に用例が見られる。「下手の横好き」おいうこともあるが、嫌いな者が上手になる可能性は低かろう。
後悔先に立たず
後悔の残らないように物事をなせとの意だが、残念だったねとなぐさめる使い方も。古くは「保元物語」に「後悔さきにたつべからず」、日蓮の「下山抄」でも「後悔前に立たず」などとある。
火の無い所に煙は立たぬ
この形は古くは1908年の「日本俚諺大全」で日本のことわざとして引かれているが、明治以前は見られないので、明治時代に西欧から入ってきたものと考えられる。
出る杭は打たれる
江戸中期から言い出されたことわざで「出る杭頭(かしら)打たれる」など多様な表現が見られる。幕末から「出る釘打たれる」もよく使われた。
良薬は口に苦し
「韓非子」などから伝来し、古い江戸系いろはカルタの「れ」で臣下が殿様に忠言・諫言している様子が描かれている。漢方薬など効くものは摂取しにくいというだけでなく、価値ある言葉は耳が痛いという意として用いられる。
焼け石に水
江戸時代を通して多用され、現代にいたる。近松の「双子隅田川」でも「相手も負けじと焼石に水掛論、双方理詰の高声」などと表現されている。
鬼に金棒
「鬼に金尖棒(かなさいぼう)」が古い形。「金尖棒」はいぼが打たれている太い鉄の棒の武器であり、「金棒」が描かれるときは「金尖棒」の形状であることが多い。
喉元過ぎれば熱さを忘れる
ことわざとしてはそれほど古いものではなく、江戸中期から。本居宣長のことわざ集「言彦鈔」にも見えるという。
七転び八起き
武士道精神を謳った江戸中期の「葉隠」に用例が見える。
縁の下の力持ち
昔の神社の縁は人が立てるぐらい高く、その縁の下で舞や種々の芸が披露されたが、そのひとつに「力持」があったことから、人知れず他人のために努力することをいうようにいなった。
仏の顔も三度まで
江戸時代全般に異表現「仏の顔も三度撫でれば腹を立てる」などと多用された。
遠くの親類より近くの他人
江戸時代の随筆「慶長見聞集」の記事に、訴えがあると奉行所は隣人の証言を採用、「下郎のたとへに、遠くの親子より近くの他人といへるは実に実義なり」とあるなど古くは親類ではなく親子が使われた。
憎まれっ子世に憚る
江戸系いろはカルタの「に」に採られたことから普及。憚るは普通の「遠慮する」ではなく、あまり使われない「幅をきかす」という逆の意味。
金は天下の回りもの
西鶴作品で「金銀は回り持ち」などと使われたが、近代以降はこの形に。
長い物には巻かれろ
鎌倉時代の仏教説話に「長きは短きをのみ、大なるは小をくらふ」とあり、古くは単に事実を言っていたのが、江戸中期から命令形になった。
飼い犬に手を噛まれる
「手飼の犬に足を喰るる」(浮世草子)など表現が多様だったのが、18世紀以降「手を喰はれる」と「手」が主になった。
馬の耳に念仏
李白の「馬耳東風」、すなわち人は春風(東風)が吹けば暖かくなると思い喜ぶが、馬は耳をなでる春風に何も感じないという用例から、江戸中期以降「風」が「念仏」に代わったもの。
対岸の火事
江戸時代には類義の「川向かいの喧嘩」がもっぱら用いられていたが、その後、喧嘩→火事→対岸と発展したのではないかと時田氏は推測している。
目と鼻の先
「目」と「鼻」がセットになって成り立っている慣用句には他に「目から鼻へ抜ける」、「南瓜に目鼻=背が低く丸顔で太っている人のこと」などがある。
青天の霹靂
江戸時代には類義の「寝耳に水」は流布していたが、想像を絶する大事件の仰天という当句は明治以降のもの。なお、出典の中国詩では青天に雷が鳴るごとく突如起き上がって筆を執るという意味で、びっくりするという含意はなかった。
泣き面に蜂
江戸系いろはカルタに採り上げられ、よく知られるようになった。
弘法にも筆の誤り
書の名人の弘法大師といえども時には書き損なうという意。江戸中期から多くの用例あり。
光陰矢の如し
光は「日」、陰は「月」で月日の過ぎるの早いの意。中国伝来だが江戸時代に頻出。「光陰」を光線と誤解して使われる場合も。
五十歩百歩
五十歩退却した兵が百歩退却した兵を嗤う愚を批評した「孟子」の語。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い
憎む相手の関係するものがすべて憎くなるという人間心理の機微を突いたことわざであり、江戸初期から常用されるようになった。
怪我の功名
ここでの怪我はケガではなく失敗や過失のことであり、思いがけない良い結果のこと。早い例としては江戸初期の「鷹筑波集」の「春鳴くやけがの高名ほととぎす」(夏を告げるはずの鳴き声の間違い)。
目糞鼻糞を笑う
五十歩百歩より、皮肉が強烈。「腐れ柿が熟柿(じゅくし)を笑う」といった類例もあり。
朱に交われば赤くなる
現代では悪い感化を言うが、江戸時代には良い場合にも用いられていた。周りの悪影響を受けないという逆のことわざとしては「泥中(でいちゅう)の蓮」がある。
虎の威を借る狐
中国漢代の「戦国策」の寓話。食べられそうになった狐が虎に対して、後ろについて来れば俺の偉さが分かるとだまし、虎が狐に従っていくと、ほかの動物は虎を見て逃げ出してしまい、それを見た虎が「なるほど」と狐の言を納得したという話。
取らぬ狸の皮算用
大正時代以降に普及したという点でめずらしいことわざ。
重箱の隅をつつく
「重箱の隅を楊枝で洗う」という用例が幕末に見えるが、この形は明治末期から。
鶴の一声
江戸前期から「雀の千声」と対にして用いられ、雀千羽のチュンチュンより鶴の高らかな一声が事を決めるのに有効とされた。
諸刃の剣
刀剣のうち両刃の刀を剣(つるぎ)という。日本には元々刀があり、剣という武器を使用した歴史や文化がないため、「諸刃の刃」ともいう。
残り物には福がある
順番が後回しになってしまった人への慰めの言葉として使われることが多い。あるいは、本当にその通りになった場合の驚きの言葉としても使われる。
目の上の瘤
「目の上のたんこぶ」とも。江戸系いろはカルタに採用された影響で多用されるようになった。
腐っても鯛
昔から鯛は魚の王様とされた。腐りにくく、少々臭気がしても食べられる鯛ならではの表現であり、生き腐れする鯖では考えられない。
棚から牡丹餅
江戸時代に牡丹餅(お萩)が酒と並ぶ嗜好品の双璧だったことから生まれたことわざだが、それほどの人気がなくなった現代でも「たなぼた」という短縮形を含めて非常によく使われる。
爪の垢を煎じて飲む
「爪の垢」は少量やほんのわずかなもののたとえであり、優れた人のほんのわずかなものでも飲みさえすれば、その人のようになれるのではないかという必死さを表現。
馬子にも衣装
このことわざから逆に近世の馬子(人や荷物を載せた馬を引く馬方)がいかに身なりが粗末で、品行も悪かったかということがうかがわれる。
濡れ手で粟
戦後にはアワを泡と誤解する人もあらわれたほど、アワで細かな粟の粒を連想するのが難しくなった。
風が吹けば桶屋が儲かる
風→砂ぼこり→眼病→失明→三味線商売→猫の皮への需要→猫殺し→鼠の増→桶かじり→桶屋がもうかる。

 このほか、当図録サイトで取り上げたことわざには以下のようなものがある。

図録6306 三人寄れば文殊の知恵
図録5094 1銭を笑うものは1銭に泣く
図録2307 夫婦喧嘩は犬も食わない
図録5690 日本に往きて芸者を見ざるは、エジプトに往きて三角塔を見ざるが如し
図録7762 水がひけばアリが魚を食べ、洪水の時は魚がアリを食べる
図録2263 月夜に釜を抜く
図録7714 鳶に油揚げをさらわれる

(2023年5月10日収録)


[ 本図録と関連するコンテンツ ]



関連図録リスト
分野 教育・文化・スポーツ
テーマ  
情報提供 図書案内
アマゾン検索

 

(ここからの購入による紹介料がサイト支援につながります。是非ご協力下さい)