ウィキペディアは今や、われわれが日常的に参照する情報源となっているが、そうなったのはそう前からではない。ここで掲げたウィキペディアの総ページ数増大の推移はそうした状況をよく示している。 図のデータから各年1月の対前年増加率を計算すると以下である。 2002年438%、2003年212%、2004年173%、 2005年211%、2006年175%、2007年116%、 2008年65.8%、2009年42.7% 2010年以後は図の通り、増加率は30〜50%増から10〜20%増へとだんだんと低下してきているが、実数は、3億ページに近づきつつある。 歴史的には長い間、人類は情報や知識の不足を克服しようと努力してきたが、「今日では、それらの過剰についてどう扱ったらよいかに苦労している。止めどもない情報がウィキペディアやグーグル、あるいはその他を通じて広く利用可能なのである」(元になった報告書”OECD, Trends Shaping Education 2022”、p.54)。 「デジタル技術によって提供される前例のない相互結合の発達にともなって、知識が生み出され、流通する仕方が再定義されつつある。数少ないエリートだけが伝統的な百科事典や20世紀のマスメディア(新聞、ラジオ、テレビ)を生み出してきたのに対して、今日のソーシャルメディアやウィキペディアのようなインターネットサイトは大衆に依存してコンテンツを生み出すようになった。例えば、ウィキペディアの総ページ数はこの20年間に1万から2億5千万にまで増えている。 ウィキペディアは、われわれが意思決定をするためにますます頼るようになっている”wisdom of crowds”(「みんなの意見」は案外正しい)(注)の一例に過ぎない。他の例としては、商品やサービスを評価するのにウェブに掲載される他人のコメントを使うとか、エクササイズや健康な食事の料理にデジタル・ビデオを活用したりすることがあげられる」(p.54〜55)。 そして、教育分野にとっての社会トレンドの意味を整理分析するというこのOECD報告書の趣旨に従って、次のように総括している。 「今日、質の高い教育が意味するところは、強力なデジタル・リテラシーを育成する点にある。すなわち、すべての学習者に、多様な形式やプラットファームで活発に創造やコミュニケーションを行うとともに、情報や知識を探索したり、評価したり、利用したりするために必要な能力をつけさせる点にあるといえよう」。 こうした教育の役割の内容変化については図録3941d(「事実」と「意見」を区別できるか(PISA調査))参照。 (注)”wisdom of crowds”は、2004年に刊行された書籍の題名であるが、日本の「三人寄れば文殊の知恵」ということわざに当たると思う。似た趣旨のことは、すでにエドガー・アラン・ポーが述べていて、私の著作「なぜ、男子は突然、草食化したのか」(日本経済新聞出版社、2019年)のp.116でも引用したので、以下に再録する。 ポーは「マリー・ロジェの謎」の中で探偵デュパンに次のように言わせている。「民衆の意見というものは、ある条件の下では、無視されるべきじゃない。それが自然に発生した場合――つまり厳密な意味で自発的に現れた場合には、天才の特徴である直感と酷似したものとして考えるべきだ。百のうち九十九までは、ぼくもその断定に従いますね。でも、そのためには、誰かが暗示したという痕跡が見当たらない、という条件が大切です。つまり、その意見はあくまで民衆自身の意見でなくちゃならぬ」(『ポー名作集』丸谷才一訳、中公文庫、p.147)。 (2022年2月23日収録)
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