ここでは、「生まれ変わるとしたら男がいいか女がいいか」という問への回答結果の長期推移を追った。 結果は男性の回答と女性の回答で著しく異なっている。すなわち男性は無変化、女性は大変化である。男性は一貫して同じ男に生まれてきたいとする者が9割程度を占めているのに対して、女性は、かつては男に生まれたいとする者が6割以上の多数派であったのがこの約50年の間に女に生まれたいとする者が7割以上の多数派を占めるように変化したのである。女性の意識変化はまことに大きいといえよう。この結果、男女という存在についての見方が男性と女性でまったく異なるようになった。 こうした結果となった要因を探るため、関連した2つの問、すなわち、男女のいずれが苦労が多いか、また男女のいずれが楽しみが多いかの回答結果の推移を見てみることにしよう。 「苦労」の面では、男性の回答も女性の回答も、おおむね男の方が女より苦労が多いとしている。男性の回答の方が男の苦労をより大きめに評価しているとはいえる。時系列変化では男性も女性も男女の苦労の差については、男の苦労が多いという回答がやや減り、女の苦労が多いという回答が増えてきている傾向にある。そしてついに、2013年には、女性の回答で、女の苦労が男の苦労を50年ぶりに上回るに至っているのが目立っている。 男女とも、これまでは、男は職場の人間関係に巻き込まれて苦労が多くて大変だ(大変ね)と考えていたようであるが、最近では、この点の男女差はなくなったといえよう。 戦後の大きな意識変化が見られるのは「苦しみ」よりむしろ「楽しみ」の男女差についての見方である。男性の場合、男の方が楽しみが多いとしているが、その割合は下がってきている。むしろ女の楽しみの方が多いのではと思う男性が増えている。女性の場合は、大変化であり、昔は男の方が楽しみが多く、女は楽しみが少ないと思っていたのに、最近は、女の方が楽しみが多く、男は楽しみが少ないと評価しているのである(末尾の【コラム1】参照)。 すなわち、結論的にまとめると、女性が、もう一度生まれるなら女に生まれてきたいと考えるに至ったのは、苦労の面の変化というより、楽しい人生を送れるのは女だと思うようになったからである。おしゃれして快活に笑っている美しい女性が多くなったと感じるにつけ、なるほどと思わせる意識調査結果である(なお同じ結論をうかがわせる男女の生活時間の内容変化を図録2320で掲げた。また日本、韓国、中国、米国の女子高校生に対する同じ問の回答結果は図録2482参照)。 フェミニストは女性の目線ではなく、男性の目線で女性の生活や人生を評価している人たちではなかろうかと感じさせるデータでもある。何か勘違いをしているのは女性の方なのか、男性の方なのかよく考えてみる必要があろう。私は女性の方が勘違いしているとはどうしても思えない。この点については【コラム2】参照。 なお、2008〜13年の変化としては、女は「苦労」も「楽しみ」もより多いと考えられるようになっており、その結果、両方が打ち消しあうようなかたちで「生まれ変わるとしたら男がいいか女がいいか」については回答は不変だった。 関連した応用問題として、欲しい子どもは男の子か女の子かに関する調査結果にふれた図録2477を参照のこと。また本図録を裏づけるデータとして、男女年齢を問わず男より女の方が楽しい時間を過ごしている点については、図録2470参照。
(2010年3月4日収録、8月13日コラム追加、2014年2月1日コラム2追加、2014年10月31日更新、コラム2補訂、12月17日コラム3追加)
[ 本図録と関連するコンテンツ ] |
|