商業流通は、かつて商店街の小売店舗での販売が中心だった時代から、高度成長期以降、百貨店の繁栄、郊外型のスーパー・大型専門店の進出、そしてさらに最近では、ネット販売の躍進と次々と流通の大変革が起こり、かつての問屋街は、全国各地の小売店主による買い付けの足も遠のき、その結果、多くの場合、単なるオフィスビル街へと変貌を遂げている。
ここでは、そうした変貌を遂げる前の「東京」の問屋街の状況を二宮書店の「
日本地誌7」(1967年)によって見ておきたい。
類似事例として、「大阪」の問屋街については図録
7833参照、「京都」の同業者町については図録
7834参照。
江戸時代からつづいている卸売問屋集団は、東京の下町を特徴づける重要な構成要素となってきた(江戸時代の商業中心地だった日本橋北地域からの系譜については図録
7852、図録
7853参照)。
「日本橋から浅草橋にかけての中小問屋の集団地域には、下町の伝統と活況とが満ちあふれている。店先に積まれた品物の山、街路いっぱいに繰り広げられる人と車の混雑、このような問屋街の躍動と混乱の狂騒曲は、下町における商業活動のもっとも特異な景物の一つといえよう」(「
日本地誌7東京都」二宮書店、1967年、p.230)。
こうした活況はもはや過去のものとなってはいるが、かつての賑わいの名残は形を変えながらも今でも各地に残っている。
例えば、秋葉原の電気街はオタクの街への変身してAKB48を生み出し、合羽橋の台所器具街は一般消費者や外国人がショッピングを楽しむ商店街として生まれ変わっている。
図に掲げた1960年代半ばにおける問屋街の状況を一覧表で整理すると以下の通りである。
東京下町における問屋集団(おおむね北から南へ)
品目 |
場所 |
特長 |
履物 |
浅草・花川戸 |
墨田川船便をつかう下駄・草履問屋街から戦後くつ問屋も |
菓子、
台所器具 |
合羽橋 |
菓子・飲食・台所器具 |
神仏具 |
上野〜浅草通り南側 |
通りの南側なのは日射の関係。仏壇・仏具街「稲荷町」 |
工具・機械 |
三筋・元浅草 |
織物・紙・計量器・はし・漆器など雑品、及び自動車部品関連の工具機械 |
家具 |
蔵前 |
いまでは「東京のブルックリン」とも称される地域に |
玩具・人形 |
浅草橋〜蔵前 |
旧神田大和町小物玩具街の移転 |
帽子、
洋がさ |
浅草橋駅北側 |
帽子は仕事を失った馬具職人たちがつくりはじめたとも |
食料品 |
御徒町駅周辺 |
菓子・食料品、「アメ横」 |
宝飾品 |
御徒町南口 |
国内唯一とも言われる宝飾問屋街(ジュエリータウンおかちまち) |
電気機械 |
秋葉原 |
ラジオ関係の大卸売商のまわりに戦後集積 |
既製服 |
岩本町 |
かつての古着市場 |
服地 |
神田須田町 |
服地見本をテーラーに配って受注する羅紗屋は既製服主流化で衰退 |
洋品・雑貨 |
横山町・馬喰町 |
婦人洋品・装飾品・靴下・鞄・文房具・タオルなど品目毎の集団問屋街 |
金物 |
旧神田福田町 |
日本橋大伝馬町・小伝馬町から神田側へ移動 |
織物・呉服 |
日本橋堀留町 |
明治時代には「財閥の町」ともいわれた |
薬品 |
日本橋本町2丁目〜4丁目 |
大阪の道修町に匹敵 |
(地図外) |
穀物 |
日本橋蛎殻町 |
米穀取引所周辺に穀物、肥料、農薬など |
食料品 |
日本橋小網町 |
酒・しょうゆ・かつお節 |
食料品 |
築地 |
東京都中央卸売市場周辺 |
生地織物 |
日暮里中央通り |
フェンツ(織物短尺物、端切れ)と羅紗裏地の卸商2団体が合併して布の街「日暮里繊維街」を形成 |