大きい政府か小さい政府かということがしばしば議論の的となる。ここでは、OECDが取りまとめたデータにより、OECD諸国の財政規模公務員数の両面から大きな政府か小さな政府かを整理した。OECD諸国の公務員数の定義等については図録5192参照。

 OECD諸国の公務員数(一般政府雇用者数対労働力人口比率)と財政規模(一般政府支出対GDP比)をそれぞれX軸、Y軸に取った相関図を描くと、当然の事ながら、両者は正の相関をしている。一次近似線を右上に行くほど「大きな政府」であり、逆に左下に行くほど「小さな政府」であることはいうまでもない。

 一般政府は中央政府、地方政府、社会保障基金からなっており、公的企業は含まない。一般政府支出の主要項目は公務員給与、社会給付、公債利子、補助金、総固定資本形成である。

 財政規模、公務員数の両方の指標ともにOECDトップ・ランクであるのはスウェーデンであり、スウェーデンは大きな政府の代表とする世評と一致する。財政規模で第2位はフランスであり、公務員数ではノルウェーがスウェーデンをやや上回っている。

 小さな政府のトップは、財政規模(対GDP比)ではメキシコであるが、先進国では韓国、アイルランド、スイス、オーストラリアの財政規模が小さい。日本の財政規模はこれら諸国に次ぐ第6位の小ささである。米国は日本に次いで財政規模が小さい。公務員数(対労働力人口比率)では日本がトップの小ささである。韓国、スイスが日本に次いでいる。

 このように日本はOECD諸国の中で最も「小さな政府」に近い存在である。政府(中央、地方)のサービス水準に問題があるとすると、その原因は、政府の非効率・ムダづかいなのか、それともそもそもの規模の小ささなのかを疑わなくてはならない。

 図のデータからは、スウェーデンは「大きい政府」の代表である。だからといってスウェーデンが反市場主義国家だとはいえず、むしろ市場活用国家だと指摘されることもある。例えば、フォード傘下のボルボ(乗用車)やGM傘下のサーブといったスウェーデンの名門企業が経営危機に陥ってスウェーデン政府に公的支援を求めたが、大方の見方とは異なり、見込みのない企業に税金を投入することはできないので市場に任すとして政府はこれを拒否し、サーブは倒産した(2009年)。また、スウェーデンでは大学や研究所でもある部門が廃止されると、日本では考えられないことだが、その部門で勤務していた従業者は解雇される。一般に、スウェーデンでは解雇された場合のセーフティネットが確立していることもあって雇用者は簡単に従業者を解雇するというのだ(北岡孝義「スウェーデンはなぜ強いのか」 PHP新書、2010年)。

 公務員数と財政規模は正の相関にあると上述したが必ずしも相関度は高くない。財政規模の割に公務員数が多い国も少ない国もあるのである。一次近似線より上に離れた国は、財政規模の割に公務員が少なくて済んでいる国、線より下に離れた国は、財政規模の割に公務員が多い国といえるであろう。前者の代表はオーストリア、イタリアといった国が該当し、後者の代表はメキシコ、ノルウェー、アイルランド、韓国といった国が該当する。日本はだいたい平均的な線の近くである。公務員の給与水準や働きぶりの問題もあるのでこれが必ずしも政府の効率・非効率を直接表現しているわけではない。

 なお、日本が小さな政府であるのは何時からであろうか。公務員数規模はデータが容易には得られないので、OECD諸国における財政規模の順位を下の表に掲げた。データの得られる国の中での下からの順位を見ると1970年以降だいたい一貫して小さな政府であったことが分かる。

 どうして日本は大きな政府だと自らを誤解している側面が日本人にはあるのだろうか。戦後の高度経済成長が国の力で実現したという海外論者の「日本株式会社」の考え方に影響されていたのであろうか。著名な経営学者で日本経済にも詳しいドラッガーは、さすがに「「日本株式会社」という言葉によって欧米で一般に理解されているものの中には、真実といえるものはほとんどない」と言い切り、日本ほど政府の役割が小さい国はないと論じている(【コラム】参照)。

 このように日本が基本的に小さな政府の性格が強いのは、戦前日本とは異なり、憲法上戦争を放棄し軍事費の対GDP比も1%と小さい(図録5220)平和国家だからなのであろうか、言い換えれば、原爆投下にまで至った太平洋戦争の大敗北による、明治国家以来の富国強兵路線への反動なのだろうか、それとも、中世の日本以来の伝統、すなわち、常に対外戦争のため常備軍を抱え、為政者が大宮殿に住み、貨幣の発行も行う中国や中国隣国型国家(朝鮮、ベトナム)と異なり、日本は、古代の朝廷経済(大きな政府)を解体させ(例えば酒造りの民間移転は図録7870)、中世には、ジャワなどと同じく、金のかかる国家事業は行わず、それゆえ貨幣も中国銭で済ましていた辺境型の国家だった伝統があるからだろうか(桜井英治(2001)「室町人の精神」講談社日本の歴史12、p.249〜251)。社会保障面でも日本人は政府に頼りたくない意識が相対的に強い点については図録2799参照。

日本の財政規模(一般政府支出対GDP%)とOECD諸国の中の順位
一般政
府支出
対GDP
順位 データ
のある
国数
下から
の順位
  一般政
府支出
対GDP
順位 データ
のある
国数
下から
の順位
1970 20.2 15 15 1 1990 31.6 21 23 3
1971 21.8 16 16 1 1991 31.6 24 25 2
1972 23.1 16 16 1 1992 32.7 24 25 2
1973 23.3 15 16 2 1993 34.5 24 25 2
1974 25.5 15 16 2 1994 35.0 25 26 2
1975 28.5 14 17 4 1995 36.0 26 28 3
1976 29.1 14 17 4 1996 36.7 25 28 4
1977 30.4 14 18 5 1997 35.7 25 28 4
1978 32.1 16 19 4 1998 42.5 18 28 11
1979 33.2 13 19 7 1999 38.6 23 28 6
1980 33.5 16 20 5 2000 39.0 21 28 8
1981 34.0 18 20 3 2001 38.6 20 28 9
1982 34.2 19 20 2 2002 38.8 22 28 7
1983 34.5 19 20 2 2003 38.4 22 28 7
1984 33.8 18 20 3 2004 37.0 23 28 6
1985 32.7 19 20 2 2005 38.4 21 28 8
1986 32.8 20 21 2 2006 36.2 23 28 6
1987 33.2 20 21 2 2007 36.0 24 28 5
1988 32.4 20 21 2 2008 37.1 24 28 5
1989 31.4 20 21 2          
(資料)OECD Factbook 2010

図の元データ
  一般政府支出
対GDP比率 2006
(or closest year available)
一般政府雇用者
対労働力人口比率
2005
スウェーデン 54.3% 28.3%
フランス 52.7% 21.9%
ハンガリー 51.9% 19.2%
イタリア 49.9% 14.2%
オーストリア 49.4% 10.2%
フィンランド 48.9% 21.3%
ベルギー 48.4% 17.1%
ポルトガル 46.3% 13.4%
オランダ 45.6% 12.8%
ドイツ 45.3% 10.4%
英国 44.2% 14.6%
チェコ 43.8% 12.9%
ポーランド 43.8% 13.4%
ギリシャ 42.2% 14.1%
ノルウェー 40.5% 28.8%
カナダ 39.3% 15.6%
スペイン 38.5% 13.0%
スロバキア 37.1% 9.5%
米国 36.4% 14.1%
日本 36.0% 5.3%
オーストラリア 34.9% 13.6%
アイルランド 33.8% 14.7%
スイス 33.7% 7.1%
韓国 30.2% 5.5%
メキシコ 19.0% 11.1%
(注)財政規模は一般政府支出(対GDP)2006年直近。公務員数規模は一般政府雇用者数比率(対労働力人口)2005年前後(図録5192参照)
(資料)OECD Government at a Glance 2009

 データを取り上げた国は25カ国であり、財政規模の大きい順にスウェーデン、フランス、ハンガリー、イタリア、オーストリア、フィンランド、ベルギー、ポルトガル、オランダ、ドイツ、英国、チェコ、ポーランド、ギリシャ、ノルウェー、カナダ、スペイン、スロバキア、米国、日本、オーストラリア、アイルランド、スイス、韓国、メキシコである。

【コラム】国民国家から巨大国家(メガステイト)にならなかった唯一の例外:日本

 P.E.ドラッガーは1993年の著作「ポスト資本主義社会」の中でこう言っている(ダイヤモンド社訳本)。

「1960年代には、先進国では、巨大国家があらゆる意味において、政治的現実となった。すなわち国家は、社会的機関、経済の主人、租税国家となり、ほとんどの国において、冷戦国家となった。

 唯一の例外が日本だった。

 「日本株式会社」という言葉によって欧米で一般に理解されているものの中には、真実といえるものはほとんどない。しかし、たとえこの「日本株式会社」なるものが真実だったとしても、少なくとも第2次世界大戦後の日本は、冷戦国家だけにはならなかった。

 また日本の政府は、経済の主人になろうともしなかった。社会の主人になろうともしなかった。」(p.221〜222)

 ドラッガーによると以下のような内容で欧米各国は「国民国家」に止まらず、更に進んで「巨大国家」(メガステイト)を形成してきたとされる。

 対社会主義対策としてビスマルクが創始した福祉政策は、第2次世界大戦後は、単なる保障や補助ではなく、社会の管理にまで展開した。米国では復員兵を大学に通わせる復員兵援護法の成功に続き、全体主義国家以外では唯一、人種・年齢・性別による差別を撤廃するために社会の価値観や個人の行動を命じるところまで行っている。英国では、単なる健康保険から進んで病院や診療行為を政府経営とした。

 経済運営についても、欧米各国は、国民経済を世界経済から隔離して政府の支出により管理できると考えるケインズ政策が主流となったほか、産業に対する規制ばかりでなく国有企業化にも乗り出した。地方公共団体の交通、電力、ガス等の経営も普及した。

 そして、20世紀の2つの世界大戦でシュンペーターのいわゆる租税国家が生れた。「国民国家は、市民の生命、自由とともに、市民の財産を主権者の恣意から守るよう意図された。しかし巨大国家においては、英米型の最も穏健なものにおいてさえ、市民による財産の保有は、税務当局の判断のもとにある」(p.210)。それまで国民所得の5〜6%に過ぎなかった租税収入が拡大し、「政府の課税と借入には経済的な限界はいっさいなく、したがって政府の支出にも経済的な限界はいっさいない、という考えが確信されるにいたった」(p.217)のである。

 そして最後には、平時経済を戦時に転用するという旧来のやり方から、平時に軍備を強化し続ける冷戦国家が生れる。当初は、戦争になってから急に確保できない海軍力からはじまり、ついに核戦力が冷戦国家のマスト・アイテムとなった。

 これらすべてに、戦後の日本は「最も控え目だった」(p.223)。「例外の一つが国民健康保険制度だった。しかしそれも、戦勝国アメリカの占領軍によって、半ば強制されたものだった」(p.222)。

(2010年7月29日収録、8月24日・25日用語調整・定義・財政規模順位表追加、2014年3月5日中世日本の伝統コメント追加、2015年10月13日【コラム】追加)


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