酒造はもともと女の役目(米をかんでつくる)だったので、この伝統が、宮中の女官に引き継がれ、この結果、家の女主人を意味する「刀自」(とじ、とうじ)から「杜氏」という呼び名が生じたとされるのが最有力語源説(例えば、宮本常一「食生活雑考」著作集24)。 それぞれの杜氏集団が、一つの流派を形成し、その集団ならではの奥義を持っているとされる。図には、1962年と1988年の段階の杜氏数を都道府県別に掲げた。数は減っていく傾向にあるが、両年ともに、新潟、兵庫、岩手が三大出身地である。 代表的な杜氏集団には以下のようなものがある。最も著名な丹波杜氏は、丹波篠山の出身者が昔から池田、伊丹、灘目といった酒造中心地の蔵人をつとめた集団である。 主要な杜氏の出身地
坂口謹一郎「日本の酒」から日本酒の発達過程を整理した年表を以下に掲げる。まるっきり切り替わるのではなく、前段階の酒造法を残しながら、新しい製法を付け加えて段階的にステップアップしていったところが日本酒の特徴とされるが、これは、寿司の歴史(図録7762)など日本食の発達、あるいは日本人の思想史にも通じる共通パターンだと思われる。
日本酒の発達過程
(資料)坂口謹一郎(1964)「日本の酒」(坂口謹一郎酒学集成1、1997年) (2014年2月27日収録)
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