陸上男子100メートル走は、陸上競技の花形である。ここでは、陸上男子100mの世界記録と日本記録の推移を図録にした。競泳男子100m自由形の同様の図は図録3988s

 日本では、2013年春に高校3年生の桐生祥秀(京都・洛南高)が、日本記録10秒00に0秒01まで迫る日本歴代2位の10秒01を記録したが、日本記録は図の通り19年間「10秒の壁」を破ることができないでいた。

 桐生祥秀は、2017年8月に、新鋭のサニブラウン アブデル・ハキーム、多田修平、ケンブリッジ飛鳥の各選手に阻まれて世界選手権の100m代表を逃すなど苦しい時期を過ごしていたが、これが逆にばねとなったためか、ついに同年9月9日、日本学生対校選手権2日目の福井県営陸上競技場における男子100m決勝で9秒98の記録を打ちたて、日本人はじめてとなる9秒台となった。

 その後、サニブラウン・ハキーム(20歳、フロリダ大)は、2019年6月7日(日本時間8日午前)に米テキサス州オースティンで行われた陸上の全米大学選手権の男子100メートル決勝で9秒97の日本新記録を樹立した。ただし順位は3位だった。

 サニブラウン選手は同年5月に9秒99の日本人2人目、歴代2位となる記録を出していた。かつての日本記録保持者である青戸真司中京大監督はこう言っている。「力があると感じるのは、5月11日に9秒99をマークし、6月5日には追い風参考ながら9秒96を出しているということ。私が日本記録を出したときには、未知のスピードで、これまでとは違う体の動かし方になり、筋肉へ負荷がかかった。翌日以降、体へのダメージは相当なものだった。自己記録を出せば、どの選手もかなりの疲労が残るだろう。だが彼はダメージを持ち越さないのか、回復する力があるのか、体が持ちこたえて、走ってしまう。もしかしたら、能力的にはもっと高いところにあり、まだ100パーセントを出し切っていないのかもしれない」(東京新聞2019.6.9)。

 さらに、2021年6月6日の鳥取市のヤマタスポーツパーク陸上競技場であった布勢スプリント男子100メートル決勝で、山縣亮太(28、セイコー、広島・修道高出)が9秒95の日本新記録をマークした。サニブラウン・ハキームが2019年6月に記録した9秒97を2年ぶりに塗り替えた。

 2024年8月4日のパリオリンピック陸上男子100m準決勝でサニブラウン・ハキームは自己ベストの9秒96の走りだったが、日本新も決勝進出も叶わなかった。なお、同決勝ではノア・ライルズ(米国)が自己ベストの9秒79(追い風1.0メートル)で金メダルを獲得。世界との差は大きい。

陸上男子100メートル日本記録の変遷(電動計時による)
年次 記録 選手 所属 大会
1968年 10秒34 飯島秀雄 茨城県庁 メキシコ五輪
1987年 10秒33 不破弘樹 法大 東京国際ナイター
1988年 10秒28 青戸慎司 中京大 四大学対校
1990年 10秒27 宮田英明 東京農大二高 国体
1991年 10秒20 井上悟 日大 関東学生
1993年 10秒19 朝原宣治 同志社大 国体
1996年 10秒14 朝原宣治 大阪ガス 日本選手権
1997年 10秒08 朝原宣治 大阪ガス ローザンヌ・グランプリ
1998年 10秒00 伊東浩司 富士通 アジア大会
2017年 9秒98 桐生祥秀 東洋大 日本学生対校選手権
2019年 9秒97 サニブラウン
・ハキーム
フロリダ大 陸上全米大学選手権
2021年 9秒95 山縣亮太 セイコー 布勢スプリント
(注)1984年に飯島選手の記録が過去にさかのぼって公認される以前は75年の神野正英(新日鉄八幡)10秒48、82年の清水禎宏(松江四中教)10秒40が日本記録だった。
(資料)東京新聞2014.1.5、2015.3.30、毎日新聞2019.6.9ほか

 世界では、1900年にはまだ100m走は11.2秒の記録に過ぎなかったが、その後、走るスピードは大きく向上した(The Economist July 18th 2015)。1960年6月21日 西ドイツのアルミン・ハリーが10秒0(手動)の世界新記録を樹立し、10秒0に到達したのち、8年間で9人の選手が10秒0を記録した。手動では、1968年に数人が10秒を切ったが、ついに、1968年10月14日米国のジム・ハインズがメキシコシティオリンピック100m決勝で9秒95(電動)を記録、10秒の壁を破った。これは標高2240mで記録された高地記録である。その後、1983年5月14日米国のカール・ルイスがカリフォルニア州モデストの競技会で9秒97(電動)を記録、平地ではじめて10秒の壁を破った(以上、Wikipediaによる)。その後の推移は、図や下表の通りである。

陸上男子100メートル世界記録の変遷
年次 記録 選手 国籍
1968年 9秒95 ジム・ハインズ 米国
1983年 9秒93 アルビン・スミス 米国
1988年 9秒92 カール・ルイス 米国
1991年 9秒90 リーロイ・バレル 米国
1991年 9秒86 カール・ルイス 米国
1994年 9秒85 リーロイ・バレル 米国
1996年 9秒84 ドノバン・ベイリー カナダ
1999年 9秒79 モーリス・グリーン 米国
2005年 9秒77 アサファ・パウエル ジャマイカ
2007年 9秒74 アサファ・パウエル ジャマイカ
2008年 9秒72 ウサイン・ボルト ジャマイカ
2008年 9秒69 ウサイン・ボルト ジャマイカ
2009年 9秒58 ウサイン・ボルト ジャマイカ
(資料)東京新聞2014.1.7

 1980年代後半から1990年代には、世界記録と日本記録の差は0秒4前後から0秒2前後へと縮まったが、その後、日本記録の更新が「10秒の壁」で進まなかったため、再度、差は0秒4ぐらいにまで広がっていた。

 なお、桐生祥秀選手のようなアフリカ系以外の選手で9秒台をマークした例は少ない。「国際陸上競技連盟のホームページによると、世界歴代99位となる桐生の記録は、世界的に見てもごくまれなケースといえる。1968年にジム・ハインズ(米)が電気計時で人類で初めて「10秒の壁」を破る9秒95を記録して以降、公認の9秒台は世界で過去120人を超える。ほとんどがアフリカにルーツをもつ選手で、例外は2010年に20歳で9秒98、9秒97を出した「白人初」のクリストフ・ルメートル(仏)、15年にアジア出身選手として初めて9秒台に突入する9秒99を出した蘇炳添(中国)ら数人しかいないと言われる」(朝日新聞2017.9.9)。

 グラフの推移を見ると日本記録も世界記録もいったん記録更新がはじまり出すと一気にかなり記録更新が進む傾向があるように見える。「誰かが壁を破れば、後続がなだれを打つように続く」(東京新聞2014.1.5)という心理的要因のためなのか、あるいは、トラックやスパイクの進化など環境条件の変化のためなのか、いずれかなのだろう。今後、桐生選手に続いて日本の選手が続々と9秒台をマークすることになるのかが注目される。

 桐生選手が10秒の壁を破ったのですぐに多くの日本人選手がこれに続くと思われたが上述のようにサニブラウン選手が9秒台を再び出すまでに2年近くかかってしまった。

 世界記録がどこまで速くなるのかという点については図録3988k(人間はどこまで速く走れるのか)を参照。結論は女子の記録は上限に達しているが男子の場合はなお若干の伸びしろがあるというもの。限界の予知値は9秒48とされている。

 なおマラソンの世界記録については男子は図録3989e、女子は図録3989k参照。

(2014年1月7日収録、2015年3月30日更新、7月27日補訂、2017年9月9日更新、2019年5月12日サニブラウン9秒99記録、2019年6月8日サニブラウン日本新記録、6月9日青戸氏コメント、日本人記録表の(注)追加、2021年6月6日更新、2024年8月5日サニブラウン自己ベスト)


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