これによれば、市場規模では米国が整形手術件数109万件と最大であり、これにブラジル、中国が91万件、42万件以上で続いており、日本は37万件、4位、韓国は26万件、7位となっている。 人口千人当たりの件数では、ギリシャが5.34件で最も多く、イタリアの5.21件、韓国の5.19件がほぼ同水準の値で続いている。市場規模2位のブラジルは4.60件で3位、市場規模1位の米国は3.51件で6位である。日本は2.92件で韓国の半分強(56%)である。 整形大国は市場規模では米国、ブラジル、整形頻度では、ギリシャ、イタリア、韓国ということになろう。 国際美容外科学会(ISAPS)の統計については、注意が必要である。2014年1月4日の朝日新聞デジタル版では「いいね!世界イチ?」連載記事の1つとしてテヘラン特派員が「イラン、禁断の美容整形」という題で、イランや韓国、その他の美容整形を取り上げている。「取材余話」によれば、日本には2つある美容外科学会のうちの片方しか国際美容外科学会に加盟しておらず、またいずれの学会にも属さない整形医もいるように、各国のデータは網羅的ではないようだ。また、国によっては、税金のがれのため件数を過少に見積もっている美容外科医も多いという。犯罪統計と同様(図録2788参照)、本当の整形頻度を知るには、むしろ、国民に対して整形手術の経験を聞いた方が正しいのかも知れない。今のところはこのデータに依拠せざるを得ないだろう。 日本で美容整形がそう多くないのは、”身体髪膚これを父母に受く、あえて毀傷せざるはこれ、孝の始めなり”という中国の古典、孝経の一節が影響していると思われるが、同じ儒教の国でも韓国ではむしろ整形が多くなっている。これは、小倉紀蔵「韓国は一個の哲学である 〈理〉と〈気〉の社会システム 」(講談社学術文庫) 、原著1998年)よれば、韓国の場合は理と気の原理からなる朱子学システムが生活に溶け込んでいるからとされる。頑固で几帳面な「ゆるさない理」の世界を補うように、鷹揚で人情深い「ゆるす気」の世界が同時存在しており、「<理の顔>と<気の顔>の関係でいえば、前者は<見る顔>で、後者は<見られる顔>であることが多い。女の顔は<見られる顔>=<気の顔>とされたので、その美醜に対する関心は強烈である。顔のつくりが悪い女は韓国では、幼い時から周囲の人びとに、これでもか、これでもかと事あるごとに「おまえの顔はできそこないだ」と指摘され続ける。それは実にあからさまで強力で楽天的な否定なので、誰もそれを「ひどいこと」とは思わない。韓国で整形手術が、あたかも通過儀礼のごとく盛んなのも当然だ。またかつては鉄の仮面のごとき化粧で武装したものだ。楽天的に否定されたら、楽天的に直せばよいのだ。」この説を赤坂の韓国料理屋のお母さんに披露したら、どの国の親でも、自分の子をブスと決めつけたりはしないと反論された。むしろ、yesかnoかをはっきりさせないと気が済まない朱子学的論理精神が庶民にまで浸透した結果なのではないかと私は思っている(韓国の意識調査では日本とは対極的に「わからない」という回答が少ないという点については、図録8598参照)。美人か美人でないかはっきりしない状態には耐えられないのではなかろうか。 上記の朝日の記事によれば、韓国で、この20年間で整形医が約5倍に増えるなど整形が目立ってさかんになった経緯としては、「整形は芸能人の「告白」でイメージアップ。1997年の経済危機によるリストラや就職難で「同じ能力なら外見の優れた人が有利」との考えが広まった」とされるようだ。裏話としては、日本よりも早く進んだ韓国のネットの発達がきっかけだったという。「というのも、誰かが卒業アルバム写真などをネットに転載し、顔の「変化」を広めることが当たり前になってしまったんだとか。そこでやむを得ず整形を告白した芸能人が、むしろ誠実な印象を与えて好感度を上げたという。以後、「バレる前にバラした方が得策」とばかりに、こと芸能界では整形の告白が盛んになったとのこと。」 朝日の記事はテヘランの特派員の取材記事であることからも分かるとおり、イランで整形がさかんである点を主題としている。根拠としては整形医が3,600人と米国、ブラジルに次ぐ人数規模だということがあげられる(下表参照)。国際美容外科学会(ISAPS)の統計データにイランが登場しないのは、国際美容外科学会(ISAPS)のイラン支部への取材によれば、手術件数ばかりでなく、手術の種類や部位など統計調査は多岐にわたっていて手間もかかるため、イランでは国際本部へ上げるデータ作成にまでまだ手が回らないと言うことらしい。 美容整形件数・整形医人数(2011年)
(資料)国際美容外科学会(ISAPS)ウエッブサイト、人口は世銀WDI(台湾は中国統計年鑑) イランでは、イスラムが整形を禁じているにもかかわらず、鼻を低くして頭がツンと上を向くようにする手術など整形が盛んであるのは、儒教が禁じているのに韓国で整形がさかんなのと同じ事情らしい。「肌は露出できないし、髪の毛もスカーフで隠すから、私たちが外に出せるのは顔だけ。印象を決める鼻はとても大事なの」とイラン女性は言っている。やはり西洋的な美へのあこがれは強いらしい。日本や韓国と違うところは、鼻を高くするのではなく低くする手術、胸についても豊胸手術ではなくスリム化する手術が主である。日韓とは逆の方向から西洋に近づこうというわけだ。また、整形に対する意識の違いも顕著らしい。
「イランと韓国を比較して面白かったのは、美容整形に対する意識の違いだ。 イラン人は手術後、鼻に白いばんそうこうをつけて街を自慢げに歩く。なにせ平均的な月給の3カ月分以上という大金だから、整形ができること自体が一種のステータスなのだ。友人・知人にも隠さず話すという。中には整形手術をしていないのに、まねをしてばんそうこうをつける人もいるそうだ。 テヘランでは四つの医院をまわり、病室や待合室で10人ほどから話を聞いたが、取材拒否はゼロ。ほとんどが実名を出し、写真を撮らせてくれた人も多かった。特に女性は家族以外に顔を見せることすら良しとしないのがイスラム社会で、写真の撮影は禁止されている国もあるが、どこ吹く風といった様子だ。 一方、ソウルで整形をした人から取材をするのは骨が折れた。匿名が大前提、写真はもちろんNGで、短いコメントを聞くのがやっと。」 イラン人の意識変化は激しいようだ。「イスラム教では本来、人の体は個人の所有物ではなく、神からの預かりもの。自殺をはじめ、自らに傷をつける行為は厳禁だ。唯一の例外が医療行為。命を救うためにメスを入れることは許されている。同様に、美容整形も劣等感を取り去るなど、心の病を治すときだけ許されるという建前だ。しかし、イランの若者たちは整形の目的を「美しくなるため」「見た目を良くするため」と何のてらいもなく言う。実のところ、政教一致国家というイメージとは裏腹に、若いイラン人はイスラム教の戒律を自在に乗り越えている印象だ。結婚前にデートをするカップルは珍しくないし、女性はスカーフから大胆に前髪をのぞかせ、今夏の流行は足のラインをきれいに見せるレギンス(イランではサポートと呼ぶ)だった。」(この点と関連して図録1548参考コラム参照) イランでは、服装既定の緩和により、小鳥という意味の「フェンチ」という言葉が、街中で見かけるファッションやメイクが派手な女性たちを指す流行語となっていたらしい(NHK-BS地球アゴラ2011年11月20日)。整形ばやりもこの延長線にあるといえよう。 (2011年2月28日収録、7月25日韓国コメント追加、2014年1月7日更新、国数を増やし手術件数で比較、イランのコメント追加、2014年7月2日NHK-BS情報追加)
[ 本図録と関連するコンテンツ ] |
|