世界数十カ国の大学・研究機関の研究グループが参加し、共通の調査票で各国国民の意識を調べ相互に比較する「世界価値観調査」が1981年から、また1990年からは5年ごとに行われている。各国毎に全国の18歳以上の男女1,000サンプル程度の回収を基本とした個人単位の意識調査である。

 2000年に行われたこの国際意識調査によると、「女性が充実した生活を送るためには子供が必要か」という問に対する回答は国によって大きく異なっている。

 図にあらわした国は、36カ国、具体的には、子供が必要と回答した比率の高い順に、バングラデシュ、インドネシア、ナイジェリア、エジプト、フィリピン、ベトナム、ウクライナ、インド、韓国、ロシア、ルーマニア、トルコ、モロッコ、デンマーク、ギリシャ、ポーランド、フランス、チリ、ポルトガル、イタリア、アルゼンチン、ドイツ、スペイン、イラン、日本、南アフリカ、ルクセンブルク、アイスランド、中国、スウェーデン、カナダ、英国、アイルランド、米国、フィンランド、オランダである。

 「子供が必要」と回答した比率は、最大のバングラデシュの96.9%から最小のオランダの7.0%まで大きく異なっている。逆に「必要ない」と回答した比率は、最小のバングラデシュの1.9%から最大のオランダの92.3%まで大きな幅がある。

 日本は、中間的な位置にあるが、特徴は、「わからない」が32.7%と36カ国の中で最大値を示している点である。迷っているとも、どちらとも決めかねると考えているともとれる。「必要ない」の値で並べると順位はトルコからギリシャぐらいの間に位置することとなる。なお、日本の時系列変化はページの最後にふれる。

 おおまかに傾向を見ると、途上国、貧困国ほど「子供が必要」と回答する割合が高く、経済の発展した先進国ほど「必要ない」の比率が高くなっている。

 そこで、下の図に、ヨコ軸の経済発展度との相関図を掲げた。これを見ると、経済発展度が高い国ほど、必ずしも子供は必要ないと考える傾向があることが見てとれる。また経済発展度が高い国では、この点の価値観の幅が大きくなることも分かる。このように変数の値の大小によって相関度に変化が生じることを私は「片相関」と呼んでいる(他の例としては図録9482、図録3001)。

 貧困国、途上国では、子供が必要とする者が大体の場合多くを占めるが、先進国では、同じぐらいの所得の国でも、子供が必要かという点の意見に大きな差があるのである。オランダとデンマークを結ぶ縦に並んだ国々は、ほとんど経済発展度は同水準であるが、「子供が必要」が70%近くを占めるデンマークと10%以下のオランダとでは、まるで意見が異なっている。

 英国、米国、カナダといった英語圏は、子供は必要なしとする意見が強いようだ。

 また、途上国でも、中国、イランといった実効的な産児制限政策をとっている国では、経済発展度との相関において、相対的に、子供は必要なしとする意見が多いということも分かる。中国については一人っ子政策がこうした意見を生んでいると考えられる。また、イランについては、エマニュエル・トッドのように、宗教的過激国家という通念とは裏腹にイスラム圏諸国の中で、旧来型の宗教精神からの転換ともいうべき低出生率と両立する生活信条を形成している点で将来性の高い国家とする見方がある(巻末コラム「「文明の衝突」か「文明の接近」か」参照)。相関図におけるイランのはずれ値的な位置は、こうした見方を裏付けるものといえよう。

 逆に、韓国は、経済発展度の割には、「子供が必要」とする者が多い。儒教の影響であろうか。1990年代以降、韓国では出生率が極端に低下している(図録1550参照)。意識と現実のギャップをどう埋め合わせているのであろうか。

 この点に関する日本の意識変化についてのグラフを次ぎに掲げた。これを見ると「子供が必要」の比率は、1990年以降、傾向的に、「わからない」あるいは「必要ない」の増加に伴って、縮小していることがうかがえる。


【コラム】「文明の衝突」か「文明の接近」か

 近代化にともなう多産多死から少産小死への歴史的移行を、死亡率の低下とそれから一定期間遅れて実現する出生率の低下で説明する理論を人口転換理論というが、この理論を文明論にまで高めた思想家としてエマニュエル・トッド(フランスの人口学者)が有名である。

 彼は、各国社会の発展において不可避な識字率の高まりと出生率の低下は、多産と適合的な信仰体系をもつ在来型の宗教と矛盾を来たし、低出生率と両立する生活信条が定着するまで、それぞれの国で革命や戦争にむすびつく暴力的な事態がある時期訪れると考える。フランス、ロシア、中国では、戦闘的無神論が近代革命の思想的なバックボーンとなったが、日本の明治維新のように仏教という宗教の崩壊によって生じた空白が天皇制・国家神道という「民族主義的代替信仰」によって埋められたという例も見出されるとしている(図録2655参照)。

 近年、欧米的価値観との根本的対立から世界中で恐れられているイスラム的思潮の影響力の増大もイスラム圏諸国における人口転換期の一時的現象であり、神がかり的であった日本人も自らの文化的価値を保存しつつ今や欧米以上に少子化社会に適合的な考え方をもつに至っていることを見れば、いずれは原理主義的傾向を薄め、新しいイスラム的価値を創造して、世界との調和的な考え方に転じていく筈であると考える。

 そしてイスラム圏の中でそうした歩みの先頭に立っているのが、実は、欧米から宗教的過激国家と捉えられているイランだとし、その証拠として、イスラム圏の中でも特徴的な民主主義的意思決定の政治風土と特段に低い出生率をあげている(エマニュエル・トッド、ユセフ・クルバージュ「文明の接近―「イスラームvs西洋」の虚構」2007年)。

 こうした主張は、世界的ベストセラーとなった米国の国際政治学者のハンチントンによる「文明の衝突」(1996)への反論となっている。ハンチントンは冷戦後の世界は、共産圏と自由圏との対立や国民国家間の国際関係というより、世界観を異にするので解け合うこともない諸文明の相互関係、相互衝突から説明されるべきだとする考え方を打ち出し、諸文明の中でもイスラム文明と中華文明を西欧文明との衝突の危険性の高い文明と位置づけている(日本は一国のみからなる日本文明と考えられている)。2001年のアメリカ同時多発テロ事件やそれに引き続くアフガニスタン紛争やイラク戦争を予見した研究として注目された。トッドは、こうした見方を短視眼的として排除し、諸国民は共通する歴史傾向を違ったかたちでたどっているのであり、「文明の接近(ランデブー)」は十分可能だと主張している。

 この図録で掲げた相関図の中のイランは、経済発展度の割に子供は必要ないとする者が多い、はずれ値的な位置をとっているが、イラン人がその宗教的国民という見かけとは裏腹に、少子化社会と適合的な考え方をもっていることを裏付けるデータとしても読める。すなわち、トッドのような文明論的な観点からこの相関図を捉え直すことも可能である。

 イスラム教が禁じているにもかかわらずイランが整形大国になっている点もこれと関連していて興味深い(図録2485参照)。

(2006年6月5日収録、6月22日時系列変化追加、2010年9月29日コラム追加等) 


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