明治維新当初の祝祭日については、正月や盆、および武家時代に祝われていた節句に加え、1868年(明治1)9月22日、長らく宮中行事以外では途絶えていた天皇の誕辰を天長節と称して復活した。ついで1872年の太陽暦換算により9月22日を11月3日と定め、翌年1月、従来の上巳、端午、七夕などの節句を廃す一方で、この天長節と神武天皇即位日(紀元節)を国民の祝日とした。以降、皇室関係の祝祭日に合わせ国民の休日を増やした。 休日となる祝祭日は、戦前は、四大節、八祭日と呼ばれた。官庁、学校で祝典式を行う祝日が四大節であり、四方拝(四方節とも、1月1日)、紀元節(2月11日)、天長節(4月29日)、明治節(11月3日)からなっており(図では法令上の祝祭日ではなかった四方拝が省略されている)、先帝忌(命日)を含め、皇室の大祭が行われる大祭日が、図の通り、8日あり、これも休日となっていた。 戦後の祝祭日は、@戦前の皇室関係の祝祭日の主要なものを名前を変えるなどとして引き継いだもの、A小正月、端午など明治以前からの節句を復活させたもの、B憲法記念日、敬老の日、体育の日など新たに創設したもの、の3種類からなるハイブリッド型の祝祭日となり、時短政策や余暇政策にそって日数も増加していった。戦前の先帝忌は廃止されたので、祭日はなくなり、すべて祝日的なものとなった。なお、2000年以降、土日と合わせて連休を増やすハッピーマンデー制度として、4つの休日が毎年の月曜日に移動することになった。 こうして、季節の記念日、皇室の記念日、国民の歴史記念日が入り交じり、頻度が月1回よりも多くなり、しかも日にちも定まらないという仕儀となったため、単に休日という要素のみが意識される祝祭日となった点が日本の特徴である。堀井憲一郎の言う通り、「何の日か深く考えずにふわふわっと休めるのはいいね」という訳である(「ホリイのずんずん調査 かつて誰も調べなかった100の謎 」文芸春秋、2013年)。 年間休日数を国際比較した図を以下に掲げたが、日本の場合、週休日以外のいっせい休日が多く、反対に、個々人の都合で休む年次有給休暇が少ないのが大きな特徴となっている。週休日以外の休日が多いのは、諸外国からの働き過ぎ批判に対して世界に向け公約した年間労働時間の短縮を週日の労働時間の短縮というより、週休2日の普及と国民の休日の増加(公約時1987年から2000年に2日増)で消化したからである(図録3120)。私は、通勤時間の長い東京で政策決定が行われたからだと考えている。休日方式なら通勤時間の無駄も排除されて一挙両得という訳である。むしろ、通勤時間の短い地方からの発想で時短政策が進められたなら、毎日の労働時間を減らすことになり、結果として、ボランティア活動や家事の手伝いなどの拡大を通じて、地道で幅広い生活の充実にむすびついただろうと思っている。 以下には諸外国の祝日を掲げたが、日本との違いは、
諸外国の法定祝日
・米国は、ほかにリンカーン誕生日など、 州や地域によって休みとなる日がある。 ・カナダは、ほかに家族の日, 市民の日など、 州や地域によって休みとなる日がある。 ・カナダ、英国のボクシングデーは、クリスマスの翌日。教会が貧しい人のために寄付を募ったクリスマスプレゼントの箱を開ける日であったことが起源。 ・英国の4/1、 8/26はスコットランドを除く。ほかにスコットランド,北アイルランドでは独自の祝祭日がある。 ・ドイツは、ほかに州・地域・事業所によって休みとなる日がある。 ・イタリアの聖ペテロとパウロの日はローマのみに適用される休日だが、 国の法律に定められているため記載。そのほかロンバルディア祭(8/16)、 聖アンブロージョの日(12/7)など、 地域や事業所によって独自の祝祭日がある。 (資料)労働政策研究・研修機構「データブック国際労働比較2013」 世界の祝日数
(2013年12月27日収録、29日コメント修正、2014年1月26日東京新聞記事からの内容を追加、2022年11月3日更新)
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