定期的に共通の調査票で世界各国の国民に対して意識調査を行っている米国のピューリサーチセンターは、2013年春の調査で、不倫、中絶、同性愛といった倫理的な諸事項について道徳的な許容度を聞いている(図録2787d参照)が、その中には、飲酒も含まれている。図には飲酒を「不道徳」(「道徳的に許されない」)とする者の比率の小さな順に並べた結果グラフを掲げた。 飲酒への許容度の高さは、上から下に、ほぼ以下の国順・国グループ順となっている。 1.日本 2.欧米プロテスタント国 3.欧州カトリック国 4.韓国・中国 5.南米カトリック諸国 6.ロシア・インド・サハラ以南アフリカ諸国 7.イスラム圏諸国(アジア・中東・北アフリカ) 日本人は「不道徳」の割合の低さ(6%)、「道徳的に許される」の割合の高さ(66%)の両方ともが世界一である。欧米のプロテスタント国でも「不道徳」とする比率が低く、同じように飲酒への許容度が高くなっているが、これらの国は「道徳と無関係」の比率が高く、飲酒は道徳と関係ないから不道徳でもないと考えているのに対して、日本人の考え方では、道徳的に好ましいから不道徳ではないと考えている点が大きく異なる。ビールの故郷チェコの人々はアルコール摂取量も世界一レベル(図録1970)の飲酒好きの国民として知られ、「道徳的に許される」の割合も46%とドイツを凌駕する世界2位の高さであるが、同じ割合が66%の日本を20%ポイントも下回っており、とても日本には及ばない。日本人は、飲酒に関し、世界の中でも特に親しみをもつ国民性を有していると断じて差し支えあるまい。すなわち、日本人は価値観的には世界一のお酒好き民族といえる。 東アジア儒教圏でも日本と韓国、中国とではかなりの違いがある。韓国人の22%、またさらに中国人の41%は飲酒を不道徳としているのはやはり意外だ。孔子も「酒の困(みだ)れを為さず」といっている(論語子罕第九)。サハラ以南アフリカ諸国で飲酒を不道徳とする者の比率が南米諸国より多く、またイスラム圏と余り変わらない水準であるのも意外である。イスラム圏ばかりでなく、世界では、飲酒の弊害や飲酒に伴うトラブルを嫌って、お酒を否定する考え方が案外根強いのである。 日本人の飲酒への愛着度が目立つ背景としては、日本人が歴史的に飲酒を好んできたという側面と飲酒を禁じる宗教の影響が強くなかったという側面の2面があると思われる。日本人の酒好きには、飲酒によるトラブルを回避し、飲酒を伴う宴会を所属集団の融和に役立てて来たという長い伝統・習慣が背景にあると言わざるを得ないであろう。ただし遺伝的にアルコール分解酵素の保有率が低く、飲む量は多くない。そもそも呑めない人も多いから、禁止という最後の手段に訴えずともトラブルの発生が比較的抑制が容易だったことも影響しているのであろう。 日本人の酒好きは太古からの習慣だったようだ。卑弥呼の時代の倭の国について古代の中国人は「魏志倭人伝」の中でこう伝えている。人が「死んだとき、さしあたって十余日は喪に服し、その間は肉を食べず、喪主は声をあげて泣き、他人はその周りで歌舞・飲酒する。(中略)その集会や居住の坐位には、父子男女の区別はなく、人々は性来酒が好きである」(弥生ミュージアムサイトから)。酒盛りにおける参加者の身分のこだわりのなさが古代の中国人にとって奇異に映った点は図録8066参照。 酒盛りの習慣から日本人が酒好きであることを指摘する論者が多い。「どこの国でも男の人たちはお酒が好きです。しかしその中でも日本人は酒好きではないかと思います。これは神のまつりには必ずお酒を供え、そのあとで、みんながわけ合って飲むならわしがあったからです」(「宮本常一著作集 24 食生活雑考」、p.73)。 柳田国男は日本人のこうした習慣を「群飲制度」と呼び、懇親の手段としての根強さを強調した。「祭礼その他の晴れの日の式というものは、それ自身が昂奮の力をもっていたのだけれども、なお一時に多数の人の気持を揃えさせるべく、酒によってある種の異常心理を作り出す恒例となっていた」(柳田国男「明治大正史 世相篇」中公クラッシックス、p.218)。古くから、宴会でのお酒は、村人同士の意気投合に役立っていたのである。明治以降になると、群飲制度は、あらたな集団形成の手段となった。「知らぬ人に逢う機会、それも晴れがましい心構えをもって、近づきになるべき場合が急に増加して、得たり賢しとこの古くからの方式を利用しはじめたのである。明治の社交は気の置ける異郷人と、明日からすぐにもともに働かねばならぬような社交であった。(中略)根本は人が互いに知り、速やかに全国感覚の統一を図ろうという志にあったので、いわば世間知識の授業料の覚悟をもって、この第三生活費の膨張を厭わなかったのである」(同217〜218)。日本人の宴会の特徴については図録8066参照。 世界の中でも特異な日本人の飲酒に対する道徳観については少なくとも戦国時代にまで遡ることができる。16世紀に日本にやって来て宣教活動を行ったポルトガルのルイス・フロイスは当時の日本の政治文化についての貴重な資料を残しているが、飲酒に対する日欧対比については以下のように書き残している(ルイス・フロイス「ヨーロッパ文化と日本文化」岩波文庫、原著1585年、p.101)。 「われわれの間では酒を飲んで前後不覚に陥ることは大きな恥辱であり、不名誉である。日本ではそれを誇りとして語り、「殿Tonoはいかがなされた。」と尋ねると、「酔っ払ったのだ。」と答える。」 こうした戦国時代の日欧対比が現代の国際比較意識調査でも明確にあらわれているのであるから驚きである。なお、酒愛好度の男女差が縮まって来ている点については図録0336参照。 このように古い昔から飲酒や飲み会が無類に好きな日本人であるが、上述のように、アルコール摂取の程度に関しては、頻度的にはまあまあ高いと思われるが(図録8042参照)、量的には、日本人の場合、遺伝的な体質もあって、余り多くない(図録1970参照)。 こうした点を端的に示すグラフとして、飲酒許容度と飲酒量の相関図を下に掲げた。おおむね、飲酒許容度と飲酒量は比例しているが、許容度の割りには酒を飲まない日本、イスラエル、レバノンといったグループもあれば、許容度以上に飲酒量が多い韓国、チェコ、ロシア、ウガンダ、ナイジェリアといったグループも存在することがうかがわれる。図上の位置から、日本人は、お酒が大好きだけれどそれほどは飲まない(飲めない)ことが明らかであろう。 (2015年1月3日収録、8月31日フロイス引用、2016年3月17日魏志倭人伝引用、2017年4月26日論語引用、2019年10月21日飲酒量更新)
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