ロシア周辺国の人口規模、及び各国における主要民族、ロシア人、その他の民族構成をグラフにした。

 ロシア周辺国には、フィンランド、モンゴルといったソ連邦の影響力が大きかったが、ソ連邦を構成してはいなかった国もあるが、ソ連邦解体までソ連邦を構成していた国が14カ国と多い。

 逆時計回りに旧ソ連構成国をあげると、エストニアなどバルト3国、次ぎにベラルーシ(白ロシアと呼ばれていた)、ウクライナなどのスラブ系諸国(ウクライナに隣接してラテン系のモルドバ)、黒海とカスピ海に挟まれたカフカス地域にグルジアなど3カ国、そしてカスピ海以東の中央アジアにカザフスタンなど5カ国である。

 中央アジアとカフカスは世界でも最も塩分摂取量が多い地域である点については図録2174の世界マップ参照。

 中央アジアとカフカスには宏遠なイスラム世界が広がっている。「このイスラムの大海の中には、アルメニア人やグルジア人といった独特な文化をもつキリスト教徒の誇り高い孤島が浮かんでいる。また、ロシア人はじめスラブ系の入植民が人工島というべきコロニーを随所につくりだして、現地で生まれて育った新世代がムスリム住民の間に水玉模様を描くように混住している」(山内昌之「ラディカル・ヒストリー」中公新書、1991年、p.251)(注)

(注)歴史をさかのぼればロシア人(ルースと呼ばれた)はイスラム文明人にとっては、ローマ人にとってのガリア人、ゲルマン人のように未開の原住民だった。イスラム最盛期「アッバース朝時代の912年にヴォルガ中流域に派遣されたイブン・ファドラーンは、スラブ系住民の生活習慣に驚きを隠していない。イブン・ファドラーンは、「ルース」が「さまよい歩く野生ロバ」のように大小便の後始末は無論せず、仲間たちがいる前でも平然と行う性行為のあとでも体を洗わず、アッラーの創造物のなかで最も不潔な人々だと驚いている」。水の入った同じ大盤で家中すべての者が各自洗面した後、髪の毛を洗い、鼻をかみ、唾をはくなど水を汚すだけ汚しながら、そのまま次々に一巡させていくという(山内、上掲書、p.40〜41)。

 周辺国の中で人口規模が群を抜いて多いのがウクライナの4千6百万人である。これに次いで、中央アジアのウズベキスタンが2千6百万人、カザフスタンが1千5百万人となっている。中央アジア諸国の中では、面積的にはカザフスタンが最大であるが、人口的には、首都タシケント、古都サマルカンドを擁するウズベキスタンが中心であることが分かる。

 バルト3国は百万〜3百万人と小国であり、3カ国を合計してもフィンランドより少し多く、タジキスタン1国程度の人口規模である。

 民族構成を見ると、各国とも支配的な民族がおり、6割〜10割近くを占めている。ロシア人比率はほとんどゼロに近い国から約3割の国まで様々である。支配民族の比率が低く、ロシア人比率が高いことで目立っているのは、エストニア、ラトビア、カザフスタンの3カ国である。逆にグルジア、アルメニア、アゼルバイジャンといったカフカス3か国はいずれもロシア人比率が低い点で目立っている。

 ロシア周辺国におけるロシア人比率は各国の政治情勢に大きな影響を与えて来ている。

 バルト3国のうちエストニア、ラトビアでは、チェコのビロード革命やベルリンの壁崩壊の後、1989〜90年には、民族語優先の就職差別を公然と掲げる反ロシア、反ユダヤの民族至上主義がはびこるようになった。ロシア・キリスト教の立場からソ連の共産主義にもバルトの民族至上主義にも反対のあるインテリは当時次のように語ったという(佐藤優「自壊する帝国 」2006年)。

 エトノクラチア(自民族独占支配)について「リトアニアはだいぶマシだ」。リトアニアとその他2国の違いは、「基本的には人口比率だと思う。リトアニアでのリトアニア人の比率は80%だ。エストニアでのエストニア人の比率は五割を少し超えたくらいだ。ラトビアでのラトビア人比率は五割を切っている。...小さな民族で、これまでまともな国家をもったことがないからこんなことになる。積極的な原理でラトビア人を纏めていくことができないんだよ。ラトビア人を纏めるために敵のイメージを作り上げる必要がある。そこでラトビア人はロシア人とユダヤ人を敵にしているんだ」

 各国のロシアとの距離感についてはギャラップ調査の結果を示した下図参照(図録j041より再録)。ロシアのウクライナ軍事侵攻によってロシアの指導力は各国で低下しているが、それでもキルギスやウズベキスタンではなお6割以上の国民がロシアの指導力を認めている。一方、ウクライナは当然であるが、バルト三国やジョージアではロシアの指導力を受け入れる国民は1割以下となっている。この2極に加えて、その他の国は中間の第3極を構成している。


 以下、各国の民族とその構成についてコメントした表を掲げたのち、CIA,The World Factbookによる民族構成の原データを掲げる。旧ソ連諸国のソ連崩壊への意見、価値観など国民意識の状況については、図録8973参照。

ロシア周辺諸国の民族(旧ソ連圏諸国のみ)
民族








エストニア人
ヨーロッパ圏としての性格の強いバルト三国の1つエストニアの中心民族であり、宗教はキリスト教(プロテスタント−ルター派など)であり、民族的・言語的にはフィン人と近く、通訳を介さないでもフィンランド人の言っていることが分かるという(インドヨーロッパ語族とは異なるフィン・ウゴル語族に属す)。
ロシア人
工業国としての歴史が長くロシア周辺諸国の中でもロシア人が多い。



ラトビア人
リトアニア人と並んでバルト系民族に属し、言語的にはインドヨーロッパ語族に属するが西欧語やロシア語とは遠い。宗教はキリスト教(プロテスタント−ルター派など)。塩漬けニシンやサバの燻製など、ラトビア人はソ連圏随一の魚食民族として知られる。
ロシア人
ラトビアは、帝国ロシアの重要な交易拠点とされ、20世紀まで、ロシアでモスクワ、サンクトペテルブルグに次ぐ第3の都市はリガであった。ラトビアはこうした商工業国としての歴史が長くロシア周辺諸国の中でもロシア人が多い。第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの占領下にあった首都リガをソ連政府は軍事的に取り戻し、ロシア人を集団移住させた。ソ連のバルト軍管区司令部が置かれていた関係で軍人が多く、KGB関係者も多かったが、「これら軍・治安機関将校の子弟たちは、リガの自由な空気に触れて、自然とソ連の公式イデオロギーを超えた思想をもつ者が増えていった」(佐藤優「自壊する帝国 」2006年)といわれる。




リトアニア人
ラトビア人と並んでバルト系民族に属し、言語的にはインドヨーロッパ語族に属するが西欧語やロシア語とは遠く、古代インドのサンスクリット語に近いと言われる(プロイセン人も同様であったがドイツ帝国を構成して以降多くがドイツ人に同化)。宗教はキリスト教(カソリック)。ポーランド王国とともにリトアニア大公国は16〜17世紀ヨーロッパ随一の版図をもつリトアニア・ポーランド共和国を形成したが、この共和国はカトリックを国教としていた。
その他
バルト三国の中では農業国的性格が強く、ロシア人の比率は小さい。ポーランド人が6.7%とロシア人の6.3%を上回る。







ベラルーシ人
以前は白ロシア人と呼ばれていた。15世紀以降ロシア語、ウクライナ語とともに古ロシア語から分化したベラルーシ語というスラブ語系の1言語を話す。1945年に第二次世界大戦が終わると、それまでポーランド領であった部分を含めベラルーシ全域がソ連領ベラルーシ共和国となり、この地域に住むポーランド系住民(元々の住民がポーランド化・カソリック化した場合が多い)は西方へ追放された。これにより、ベラルーシ共和国は家系がポーランド化せずにルテニア人(ベラルーシ人)だった者か、あるいは19世紀にロシアから大量に移住してきたロシア系・東欧系ユダヤ系の家系の者(俗に「リトアニアのユダヤ人(リトヴァク)」と呼ばれていた)が残り、両者は政府の無宗教政策の影響によりベラルーシ人として完全に融合化していった。さらにロシア共和国などから多数のロシア人が移住してきて現在の民族構成となる。ポーランド人が3.9%と少数派なのはこうした経緯による。




ウクライナ人
「ウクライナ人はロシア人、ベラルーシ人とともに東スラブ族に属する。他の東スラブ族に比し身長は高く、肩幅が広い。陽気で、歌や踊りを好み、コサック・ダンスと民族楽器のバンドゥーラが有名である」(平凡社大百科事典1998)。自分はコサックの子孫であると自負するウクライナ人が少なくないといわれる。ロシア人の比率には首都キエフを含む西部とハリコフを含む東・中部、クリミア半島の南部で地域別に片寄りがある。「18世紀、東・中部はロシア帝国の一部に。一方、西部はオーストリアやポーランドの領土となり、第2次世界大戦でソ連に編入された歴史がある。ウクライナ語を話し、元々「ウクライナ人」意識があった西部と違い、ロシアと人も文化も一体化した東部には、独立に戸惑った人も多かった」(朝日新聞2014.2.26)。また、ロシア黒海艦隊の軍港がある南部クリミア半島(中心都市セバストポリ)は1954年に旧ソ連のロシア共和国からウクライナ共和国へと帰属が変更され、現在はクリミア自治共和国となっているが、人口約200万のうち6割程度がロシア人とされる(東京新聞2014.2.26)。図録8990参照。
ルーマニア人
チェルニフツィ州では12.5%がルーマニア人である(図録8990参照)。チェルニフツィ州からルーマニア北東部の古都スチャーバを中心とする地方にかけては合わせてブコビナ(ブコヴィナ)地方というもともと1つの文化圏だった。第2次世界大戦が始まると地域が分断され一部がソ連に併合され、ソ連を構成するウクライナ共和国の一部となった。こうした経緯から、スチャーバで目立つのは「ブコビナ地方は1つ」と訴える案内板であり、欧米のウクライナ支援に疑問をもつ人も多いという(東京新聞、2023.8.9夕刊)。






モルドバ人
モルドバ語はルーマニア語と同じ。ただし、ルーマニア語がラテン文字表記であるのに対して、モルドバ語はキリル文字(ロシア文字)表記。1939年の独ソ不可侵条約の付属秘密協定でバルト三国とともにモルダビアのソ連への割譲が決められた。
ロシア人・ウクライナ人
モルドバ東部を流れるドニエストル川とウクライナ国境との間の細長い土地にある沿ドニエストル共和国は、民族構成がルーマニア(モルドバ)系が31.9%、ウクライナ系が28.8%、ロシア系が30.4%とされ(ウィキペディア2022.3.28)、ロシア人が多い地域。モルドバはソ連崩壊に伴い1991年に誕生したが、前年に分離独立を宣言した沿ドニエストル共和国と武力紛争に突入。92年に停戦したものの、ロシアは平和維持を名目に約1500人の駐留軍を維持。ウクライナ侵攻でオデッサが陥落すれば、同共和国も軍事占領される可能性が大きいとうわさされる。








グルジア人
自称カルトヴェリ人。幾たびもの他民族支配にさらされる地にありながら、キリスト教信仰をはじめとする伝統文化を守り通してきた。他の言語との系統関係の不明なカフカス語族(他動詞の主語が能格という特別の格をもつという特徴がある)の最有力言語であるグルジア語を話す。スターリンの出身地(ゴリ)である点、温暖な気候を利用しワイン生産が盛んである点が有名。
オセチア人(オセット人)
南オセチア州に住むペルシャ語系のオセチア語をつかう民族であり、カフカス(コー カサス)山脈の北側、ロシア領の北オセチア共和国と共通。もとはスンニ派イスラム 教徒であったが、18世紀後半からのロシアのカフカス地域への進出に伴い、多くがロ シア正教に改宗している。2008年北京オリンピック開会式でロシア首脳が不在の時に グルジア軍が分離独立の動きを見せる南オセチア州へ侵攻したが、その後ロシア軍が グルジア領内の南オセチアと西部黒海沿いのアブハジアに向けて反撃を開始、係争地を越えてグルジア軍を圧倒した。ロシアは8月26日南オセチアとアブハジアの独立を一方的に承認、国際問題となっている。
アブハジア人(アブハズ人)
北カフカス系のアブハジア語を話し、グルジア文字ではなくロシアと同じキリル文字を使う。キリスト教だが、グルジア正教ではなくロシア正教を奉じている。グルジア人のスターリンの時代に中央アジアへの強制移住を経験したことからグルジア人への恨みが深い(藻谷浩介「世界まちかど地政学」毎日新聞出版、2018年、p.109)。




アルメニア人
キリスト教徒(単性論派・アルメニア教会)。アルメニア人はユダヤ人・華僑・印僑とともに商才に長けた移民集団として有名。女性はくっきり大きな目に高い鼻、ほっそりとした体型の”アルメニア美人”(藻谷同上書)。オスマン帝国により「敵国ロシアに内通した」という理由で、アナトリア半島東部に住むアルメニア人が虐殺された事件で一説によると1915‐18年だけで150万人が死亡し、60万人が国外に移住したといわれる。米国在住者の多くはこの事件の際の移民の子孫である。2009年10月にこの事件の事実認定をめぐってほぼ1世紀途絶えていたトルコとアルメニアの国交を樹立する協定が結ばれた。
ヤジド(ヤジディ)教徒
太陽を最高神としてあがめクジャクを地球の創造主とみなす神秘のベールに包まれた民族宗教。聖人の霊が宿る布団を客人に出す。オスマン帝国の異教徒迫害を逃れ20世紀初頭に一部がこの地にやってきた。3万人ほどが世界最大のヤジド教寺院を抱えるアルメニアで暮らす。イスラム過激派ISが邪教と見なしイラクで2014年に虐殺事件が起こった(東京新聞2021.8.25夕刊)。







アゼリ人
シーア派に改宗したトルコ系民族。南の隣国イラン人口の24%をしめ、イランのアゼル人の方が倍以上多い(図録9280参照)。
アルメニア人
アゼルバイジャンのアルメニア人は1.5%と少ないがアルメニアに隣接するナゴルノカラバフ自治州(1923設置)にほとんどが集中している。この地域の領有権をめぐってアルメニアと対立している。











カザフ人
キルギス人と並んで遊牧系生活の伝統を持つトルコ系民族。自称はカザク人であり、これは独立不羈の者の意であり、ロシアのコサックと同一語源。中国の新疆ウイグル自治区北西部にも約130万人が居住(図録82308231参照)。カザフ北部ではサモワールが普及するなどロシアの影響が強い。
ロシア人
19世紀後半帝政ロシア下でロシア・ウクライナ農民を草原地帯に入植させたことに淵源し、工業化や第2次大戦後の北部処女地への穀物ソホーズ建設などに伴いロシア人の人口が増えた。







トルクメン人
伝統的に遊牧とオアシス地帯での農耕に従事してきたスンニ派トルコ系民族。先住のイラン系民族と混血しているとされる。イランでも人口の2%。馬肉を最高とするカザフ人に対して羊肉を好む。






ウズベク人
もともとイラン系住民が多かった地域にトルコ系遊牧民が移住してトルコ化が進み、さらに遊牧国家を形成したウズベク族の到来により、ウズベク人が形成されたという。
朝鮮人
全体の0.9%を占める。スターリンによる強制移住で,1937年にロシア極東から中央アジアに追放された朝鮮人の多くがこの地にいる。





タジク人
ユーラシア草原から中央アジアに移動・定着したイラン系諸族にさかのぼるイラン系民族。中央アジアの他国民族がいずれもトルコ系であるのと対照的。アゼルバイジャンのアゼリ人がトルコ語系の中で唯一シーア派となっているのの逆転版として、ペルシャ語系でいながらスンニ派である(エマニュエル・トッド「文明の接近」p.192〜193)。「タジキスタン、ウズベキスタン共和国などに約380万、アフガニスタン、イランなどに500万以上の人口を有している」(平凡社大百科事典1998)。



キルギス人
祖先がインド・ヨーロッパ系であると言われるが、匈奴に服属して以降テュルク化したトルコ系民族。多くがスンニ派イスラム教徒。
ドゥンガン人
19世紀中国から移住したイスラム教徒の中国人
(資料)各種

民族構成データ−Ethnic groups(%)
Russia Russian 79.8%, Tatar 3.8%, Ukrainian 2%, Bashkir 1.2%, Chuvash 1.1%, other or unspecified 12.1% (2002 census)
Finland Finn 93.4%, Swede 5.6%, Russian 0.5%, Estonian 0.3%, Roma (Gypsy) 0.1%, Sami 0.1% (2006)
Estonia Estonian 67.9%, Russian 25.6%, Ukrainian 2.1%, Belarusian 1.3%, Finn 0.9%, other 2.2% (2000 census)
Latvia Latvian 57.7%, Russian 29.6%, Belarusian 4.1%, Ukrainian 2.7%, Polish 2.5%, Lithuanian 1.4%, other 2% (2002)
Lithuania Lithuanian 83.4%, Polish 6.7%, Russian 6.3%, other or unspecified 3.6% (2001 census)
Belarus Belarusian 81.2%, Russian 11.4%, Polish 3.9%, Ukrainian 2.4%, other 1.1% (1999 census)
Ukraine Ukrainian 77.8%, Russian 17.3%, Belarusian 0.6%, Moldovan 0.5%, Crimean Tatar 0.5%, Bulgarian 0.4%, Hungarian 0.3%, Romanian 0.3%, Polish 0.3%, Jewish 0.2%, other 1.8% (2001 census)
Moldova Moldovan/Romanian 78.2%, Ukrainian 8.4%, Russian 5.8%, Gagauz 4.4%, Bulgarian 1.9%, other 1.3% (2004 census)
note: internal disputes with ethnic Slavs in the Transnistrian region
Georgia Georgian 83.8%, Azeri 6.5%, Armenian 5.7%, Russian 1.5%, other 2.5% (2002 census)
Armenia Armenian 97.9%, Yezidi (Kurd) 1.3%, Russian 0.5%, other 0.3% (2001 census)
Azerbaijan Azeri 90.6%, Dagestani 2.2%, Russian 1.8%, Armenian 1.5%, other 3.9% (1999 census)
note: almost all Armenians live in the separatist Nagorno-Karabakh region
Kazakhstan Kazakh (Qazaq) 53.4%, Russian 30%, Ukrainian 3.7%, Uzbek 2.5%, German 2.4%, Tatar 1.7%, Uygur 1.4%, other 4.9% (1999 census)
Turkmenistan Turkmen 85%, Uzbek 5%, Russian 4%, other 6% (2003)
Uzbekistan Uzbek 80%, Russian 5.5%, Tajik 5%, Kazakh 3%, Karakalpak 2.5%, Tatar 1.5%, other 2.5% (1996 est.)
Tajikistan Tajik 79.9%, Uzbek 15.3%, Russian 1.1%, Kyrgyz 1.1%, other 2.6% (2000 census)
Kyrgyzstan Kyrgyz 64.9%, Uzbek 13.8%, Russian 12.5%, Dungan 1.1%, Ukrainian 1%, Uygur 1%, other 5.7% (1999 census)
Mongolia Mongol (mostly Khalkha) 94.9%, Turkic (mostly Kazakh) 5%, other (including Chinese and Russian) 0.1% (2000)
(資料)The World Factbook (CIA) 2009.6.24

(2009年10月13日収録、10月17日加筆、2011年9月19日ロシア崩壊後20年年表追加掲載、2014年2月26日ウクライナ情報追加、3月3日イングルハート価値空間図の追加、3月12日イングルハート図をコラム1に組み替え。さらにコラム2「ウクライナの地域別民族構成」追加、3月17日コラム2の内容を図録8990へ移行、2014年4月11日ソ連崩壊20年年表とコラム「イングルハート価値空間における旧ソ連諸国の位置変化」を図録8973へ移管、2019年5月6日表中アブハジア人、2020年2月4日表中タジク人補訂、2021年8月25日ヤジド教徒、2022年3月28日モルドバのロシア人・ウクライナ人コメント、6月13日山内昌之氏引用、2023年ウクライナの民族にルーマニア人を追加、12月26日ロシア指導力の承認率)


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