韓国では急速な経済発展(図録8903)にともなって家計に占める食料品比率は大きく低下したが他方外食比率は目立って上昇した。こうした動きを背景にして、特に1988年のソウル・オリンピック前後から飲食店数が急速に増加した。 日本と同様、欧米のファーストフード店が進出し、ファミリーレストラン形式も普及、イタリアのパスタ、日本のスシ、刺身など海外料理も導入されたが、それとともに韓国料理が持続的に展開、伝統食復活ブームも起こって、外食産業の多様な発展が見られる。 韓国の外食費比率は同じSNAベースで比較すると2006年に8.2%と日本4.6%の2倍近い(図録0212)。 ソウルの外食店舗の総数8万4千店という数字自体かなり多い(実際はこの他アウトサイダーがいるという)。図録7840で見たように東京(23区)のスナック等を含んだ飲食店の合計が7万9千5百と8万店に達していないのと比較してソウルの飲食店数は非常に多いといえる。 外食店の内訳としては、韓食(韓国料理店)が約4万店と半数近くを占め、簡易韓食ともいうべき粉食を加えると韓国料理系が半数を大きく上回る。東京では海外料理系が半分以上であるのと対照的である(図録7840参照)。 ここで、粉食(プンシク)というのは、韓国式のファーストフード店で、名前の通り、粉からできた餃子や麺類、トッポッキなどを供するが、メニューにはビビムパプやキムパプ(韓式海苔巻き)なども含まれる。日本のそば屋・うどん屋の類である。粉食店の元祖は戦前1927年頃ソウルの優美館(映画館)の前に出店し学生たちで賑わった大衆食堂の豊美堂だといわれる。日本人が多く住んでいた南村(ナムチョン)には日本食の「うどん」が売られていたが北村(プクチョン)にはうどん屋は少なかった。映画館前の道端で天ぷら・肉・こんにゃくの串刺し(おでん)を大きな鍋をしかけて売っていた「コンニャク」売りが儲かったお金でうどん屋を出したのが豊美堂のはじまりである。「味つけを韓国人の口に合わせて濃いめにし、量を多くしてこれに沢庵を一切れつけた。うどんに沢庵をつけるようになったのは、この時からである。おでんも売っていたから、うどんの他におでんを二本ほどつけ、全部で七銭も食べれば上等だった。」(趙豊衍著、統一日報・尹大辰訳「韓国の風俗−いまは昔−」南雲堂、1995年)日本でいう今川焼きに当たる「菊花饅頭」もこの店の名物だったというが、この店は太平洋戦争が勃発してからなくなった(同書の他の箇所では、豊美堂が風味堂と訳されている。なお、優美館という映画館は韓国映画「将軍の息子」や韓国テレビドラマ「野人時代」に主人公の侠客金斗漢キム・ドゥハンが活躍する鐘路のシンボル的施設として登場する)。 韓食と粉食を合計した韓国料理系の比率は1990年には42.9%であったが、その後、拡大を続け、2005年には55.7%となっている。 韓食は最近も増加しているといわれるが、必ずしも韓国料理の躍進を意味している訳ではないと韓国料理界の幹部は指摘している。 「飲食業中央会のパク・ヨンス常任副会長は、「韓国料理店が最近増えているのは、不景気で『生計型起業』が多いため。国が推進している韓国料理店の競争力強化とは無関係だ。100店が開店したら、50店が1年以内に廃業する。中でも韓国料理店の廃業率が一番高い」と話す。」(朝鮮日報2009.11.1) ソウルでなお屋台が多く見られるのも同様な事情が働いている。働く必要のある高齢者が多い点もこうした生計型店舗が多い背景にあると思われる(韓国の高齢者の状況については図録1305、図録1320参照)。 なお、参考のために、以下に韓国の外食年表を掲げた。 韓国外食年表(朝倉2005など)
(参考文献) ・朝倉敏夫「世界の食文化〈1〉韓国 」農文協、2005年 (2010年2月8日収録、7月26日日韓外食費比率比較、2011年11月25日粉食店の元祖についての記述追加)
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