北朝鮮は韓国と違って公式にGDPを公表していないため、ここでのデータはあくまで推計である。1973〜1991年の北朝鮮の値がほとんど同じなのも毎年の根拠データの欠如をあらわしていると考えられる。なお米国CIAの” THE WORLD FACTBOOK”もアンガス・マディソン氏の推計をもとにしてPPP(購買力平価)ベースGDPの最新値を推計・公表している。 1970年前半までは両国ともさほどの違いがなく、1971年から73年には北朝鮮の方が韓国を上回っていさえした(図録9482参照)。1970年代中頃から北朝鮮は経済の停滞が続き、1990年代には一層の落ち込みを見たのに対して、韓国は高い経済成長を遂げたため、両者の所得水準は大きく乖離した。 2008年には韓国が19,614ドルと北朝鮮の1,122ドルの約17倍に達しており、両国の間には大きな所得格差、経済力格差が生じていることがうかがえる。 1995年の1人当たりGDP格差は7.8倍であるが、別資料では以下のような格差とされている。「韓国銀行の推計によれば、1995年の1人当たりGDPは韓国9に対し北朝鮮1、ドイツの 4対1とは大きく異なる。」(深川由紀子「韓国・先進国経済論―成熟過程のミクロ分析 」1997年) また、韓国統計庁の最新データでは、下表の通り、所得水準(1人当たりのGNI)は1995年から2010年にかけて11倍から19倍へと拡がっている。 韓国と北朝鮮の経済格差
(資料)東京新聞2012.1.18 国連推計により最近年までの1人当たりGDPの推移を掲げると以下の通りである(実質化はしていない)。
近年も50倍程度の水準で格差がやや拡大していることがうかがえる。 韓国と北朝鮮の1人当たりのGDP(国民所得)の逆転、格差拡大に関しては、北方開発を目指しソ連訪問中の韓国の鄭周永(チョン・ジュヨン)現代グループ会長一行が1991年11月12日にソ連崩壊直前のゴルバチョフ大統領と会見を行った際に話題となったことが当時会見の実現を図り同席した李明博(イ・ミョンバク)現代建設代表(現韓国大統領)の「自伝」にふれられており興味深いので引用する。 「...彼は共産主義宗主国の大統領とは思えない大胆な発言をした。 「朝鮮半島が南北に分断された当時は、北朝鮮の工業がもっと発達していて国民所得も南より高かったです。南はせいぜい農業に依存する水準でした。でも、今は、逆に北朝鮮が南より貧しい。どうしてだとお思いですか?」 私たちは質問の真意が計れず、答えに窮していた。すると彼は自分で説明した。 「北朝鮮は共産主義を採択し、南は資本主義を選択したからです」 国交も樹立されていない国の経済関係者に、ソ連の大統領が話した言葉は本当に率直であった。現実をありのまま見ることのできる視野を備えている。だからこそ、激しいイデオロギーの変化の過程でも大きく混乱することなく、歴史の節目となる重要な局面でリーダーシップを発揮できると見受けられた。 それからの話はもっと印象的だった。 「北朝鮮に社会主義を選択するように促したのは、他ならぬわがソ連です。したがって北朝鮮の問題にはソ連の責任が大きいのです。韓国と北朝鮮は分断前には同じ言語や同じ文化を持った一つの民族でしたね。いつになるかは分かりませんが、韓国とソ連が国交を結び、経済協力をするようになったら、その果実を北側にも分けてあげましょう。そうしなければならない道義的な責任がソ連にはあります。」 実に共感できる話であり、韓ソ経済協力の意義をこの上なく集約していると思った。」(「李明博自伝 」新潮文庫(原著1995年)p.387〜388) 当時のゴルバチョフは守旧派による8月クーデターで軟禁された後、ロシア大統領エリツィンとの政治抗争に敗れ、12月にはソ連崩壊に伴って政権を失うこととなる過程のさなかにあった。まるで、幕末の日本で将軍徳川慶喜がフランスの商人に幕臣の今後の生活についてよろしく頼んだような話であり、読んでいてまことに驚いた。 韓国と北朝鮮の平均寿命格差については図録8902参照。 (2008年3月3日収録、4月28日深川1997引用、2009年1月15日「李明博自伝」引用、2010年7月12日更新、2012年1月18日韓国統計庁最新データ掲載、2016年5月7日国連推計追加、2022年12月25日国連推計更新)
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