2009年版報告書では以下のように指摘されていた。 「タイにおける政治紛争が高まってきている要素としては、地域主義、イデオロギー、あるいは個人の問題があるが、背景的な要因として不平等が役割を果たしていることを否定することは難しかろう。」(Thailand Human Development Report 2009 - Human Security, Today and Tomorrow) ここで「個人の問題」とは2006年のクーデター以降対立が続く「タクシン派」と「反タクシン派」との政治的内紛を指していると考えられる。2007年選挙の2大政党のうち片方を支持した地域(25県)の同年の1人当たりGDPは22万バーツであるのに対して、もう片方の政党を支持した地域(32県)は9万バーツと大きな所得格差が存在している(2009年報告書)。 両派のデモ参加者のプロフィールからもこうした点がうかがわれる。「米国の「アジア財団」の調査からは、富者と貧者の対立の構図がくっきり浮かぶ。昨年(2013年)11月、タクシン派、反タクシン派双方のデモ参加者計315人を調べたところタクシン派は約70%が地方からデモに参加し、反タクシン派は約60%がバンコクの都市住民だった。1カ月の世帯収入が6万バーツ(約18万6000円)を超えるのは、タクシン派が4%だったのに対し、反タクシン派は32%に上った」(毎日新聞連載記事「揺れる王国:タイで何が起きているのか」2014.1.28) 一般に経済発展につれて、当初は、不平等度(経済格差)が拡大するが、さらに経済発展が進展すると不平等度が縮小してくるとされる(クズネッツの逆U字仮説)。経済発展の初期には一部の者だけが発展の恩恵を受けるが、経済発展が進化するにつれて多くの者に利益が及んでくると考えられているのである(世界全体の状況は図録4650参照)。 図においては、20世紀後半の近代化の中で、マレーシア、フィリピン、インドネシアがこうした過程に沿って不平等度が低下していると見えるのとは対照的に、タイの場合は、高まった経済の不平等度が根深く残り、他国の不平等度を大きく上回るに至っている(日本の場合は戦前はジニ係数が0.5〜0.6あったが、戦後は0.3〜0.35のレベルに低下した−図録4660参照)。 2000年以降は、タイでは、「社会的保護の改善や労働市場のタイト化もあって」不平等度はやや改善の方向をたどっており、一方で、他のASEAN諸国では不平等度がやや上昇する傾向にあるので、差は狭まっているといえる。ただし、なお、タイの不平等度が他国と比較して大きいことには変わりがない。 タイにおいて不平等度が根深く存続している要因については、定説がないようであるが、UNDPの2009年報告書は、@都市と農村、バンコクとそれ以外などの地域格差の根深さ、Aこれと表裏をなす教育格差、B地域格差是正につながる国家財政機能の弱さ、C民主主義的な代表制や司法アクセスの不十分さ、D文化的要因(パトロン関係、服従文化、日常のささいな慣習による不平等)などが関係しているとしている。タイの不平等度を所得の再分配機能の弱さから見たグラフが図録4666の参照図にあるので参照されたい。 上で紹介したの毎日新聞記事では、1957年の軍事クーデター以降、王と軍の協力で可能となった開発独裁の中で、農村部を取り残すかたちで、軍や官僚、財閥といった支配者層の周辺に富と権力が集中。これに対し、新興財閥を率い、2001年に政権についたタクシン元首相が、貧困対策や「ばらまき政策」で地方の支持を集め、都市部の利権構造にメスを入れた。こうした対立の構図が解消されないため、政争が続くとともに不平等も解消されないという見方をとっている。 国民的課題(アジェンダ)として、この不平等の問題をとりあげることが難しい理由として以下のような点が指摘されている。「タイの都市社会は、成功も失敗も個人(とその家族)によるものとする強い自助の倫理観をもっている。高まる政治紛争の背景として何らかの社会経済的基礎があるとするのは、自然に成立している社会的調和という考えを台無しにするものであるから受け入れがたいと考えている者もあるのである」(UNDP2009年報告書)。 状況はそんなことを言っている場合でなく、社会の統合と不平等の解消へ向けオープンな議論を行い、どのような社会をつくるかは「社会的選択」の問題であることを国民が理解する必要がある(日本や北欧のように)、というのがUNDP2009年報告書のまとめである。 しかし、輸入思想である民主主義で国内がまとまるのは難しいことが、反タクシン派の学者リーダーの次のような言からもうかがえる。「「質の低い1500万人の投票より、上質な30万人の意見を尊重せよ」。反タクシン元首相派の集会で、タイの著名な学者セリ・ワングモンタ氏(65)が声を張り上げると、参加者から大きな拍手がわき起こった−−。(中略)バンコク郊外の事務所でセリ氏がまくし立てた。「海外のジャーナリストは『選挙で支持された政府をなぜ否定するのか』と質問したがるが、うんざりだ。それぞれの国にはその国に適した民主主義がある」。タクシン派政権の汚職体質や金権政治を批判し、タクシン派の有権者が投じる1票を「正しい情報や適切な判断に基づくものではないから質が低い」と断じた。」(上掲の毎日新聞記事) これに対して、タクシン派の考え方では、反タクシン派の反政府行動は、格差維持・拡大につながる相続税も固定資産税もない金持ち優遇のタイの経済制度を維持したい特権層が、「農民や貧困層の1票と自分の1票を同等に解釈されては困るとも思って」、貧困層が「自分たちの1票で世の中が変わると気づいた」状況を打破したいため、ウラで煽動しているものと写っている(【コラム2】参照)。 UNDPの2014年報告書では、不平等の1つの要因である地域格差を取り上げている。 「利益も権力も首都に非常に集中してきた。最近まで、政府は高度に中央集権的だった。バンコクは、国の主要港湾であり、金融センターであり、多国籍ビジネスの中心地である。過去30年にわたる輸出志向の工場は、首都バンコクの周辺部と隣接する東部海岸部にほとんどが立地した。産業の地方分散計画は決して効果的とはいえなかったし、実際のところほとんどが放棄されてきた。所得水準の一方の端には北東部が存在するが、主として、資源の賦存状態が貧弱であることから最貧地域に甘んじてきた。こうした地域的な不平等の是正は政府の政策の中で優先順位が高かったためしがない。」(2014年報告書p.63〜64) 2014年報告書は「Advancing Human Development through ASEAN Community」という副題をもっており、タイの地方開発をタイの隣接諸国との共同プロジェクトで推進しようという考え方をとっている。タイの低所得地帯は外郭地域に立地していることから、すべて隣接する諸国のこれまた貧しい内陸部と境を接しており、それゆえ開発が遅れていた。東南アジア大陸部ワイドの交通網整備や流域開発(メコン川など)が進めば、これまで中心だったバンコクを窓口とした対外ネットワーク開発戦略からのシフトが図られ、低所得地帯の地域開発にも光が当る筈だとされているのである。 戦前からの所得格差の推移を日本を含む東アジア諸国や東南アジア諸国で比較したClio-Infraデータを図録8029に掲げたので参照されたい。
(2010年6月29日収録、2012年2月16日コラム追加、2014年1月28日毎日記事引用、3月1日プラティープ・ウンソンタム・秦氏インタビュー記事引用・コラム化、7月25日UNDP2014年報告書により更新)
[ 本図録と関連するコンテンツ ] |
|