合計特殊出生率(TFR)が全国一、すなわち最も子沢山の県は沖縄県であることは比較的知られている。ところが戦前は沖縄県は同じ値が全国最下位に近かったことは余り知られていない(データを見るまで私も知らなかった)。昔から風土的に沖縄が子沢山であったわけではないのだ。

 戦前に全国一の子沢山だった県は青森県である。1925年の青森県のTFRは6.48と全国の5.10を大きく上回っていた。一生涯に6.5人の子どもを生むというのは今では考えられない状況である。現在(2010年)の青森県のTFR値は1.38で全国37位と低位にある。

 沖縄と青森と全国のTFRの推移を戦前からほぼ10年おきにグラフにした。

 これをみると青森は全国と平行的に全国平均に近づく形で急速にTFRを低下させてきたことが分かる。戦後の長い経済成長の中で、地域経済格差や社会資本整備水準の格差が縮小し、年金、医療保険などの社会保障が全国統一的に整備された結果、かつてほどの大きな地域差はなくなったと理解できよう。

 戦前、相対的に低いTFR水準にあった沖縄は、戦後四半世紀米国統治下にあったため、その間、日本の急速な出生率低下(図録1550コラム参照)と地域格差縮小の動きから隔絶されており、その結果、施政権返還後、図らずもTFR日本一に躍り出たと解釈するのが妥当であろう。

 以上は、歴史を知らず、現在の状況の特徴から印象的に風土論を展開することがいかに誤った理解に結びつきやすいかを示しているものとして私にとっては極めて印象深く、自戒の銘とすべきと思っているデータである。

 こうした青森と沖縄の逆転は、沖縄が米軍統治下におかれ本土の社会変化から遅れたという側面のほかに、戦前から戦後にかけての出生率に関する東高西低から西高東低の全国的な地域構造転換の中で生じている側面も大きい。この点については図録7258参照。

 沖縄以外の島しょ部でも似たようなところがある点については図録7257参照。また、沖縄と青森の平均寿命についてはやや状況が異なる点については図録7252参照。

 なお、戦前の沖縄における出生率の特段の低さについては疑問視する見解もある。沖縄県の「統計には疑問がある。死産や乳児死亡が異常に少なくしか記録されておらず、出生についても、過少申告されている可能性が高い」(速水融・小嶋美代子「大正デモグラフィ 歴史人口学でみた狭間の時代」文春新書、2004年、p.210)。

(2012年9月10日更新、2013年3月19日コメント更新、2016年1月19日西高東低の全国動向について言及、7月27日速水ら著書引用)


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