これを見ると、戦前と戦後では、全体に出生率が低下するとともに、東高西低から西高東低へと地域傾斜が逆転したことが明らかである。 5年あるいは10年おき(最新年は2年おき)に東西傾斜の程度を回帰直線の傾きとして算出した値(北海道と沖縄の回帰直線上の値の差)の時系列変化を追ってみた(第2図)。 これを見ると戦前から1960年にかけて急速に東高西低の東西傾斜から全国的平準化が進み、その後、1985年〜2005年には0.1台と西高東低の傾向となり、最近、2005年から2022年かけて、これまでの低下傾向から反転して、全国的に出生率が回復する中で、地域構造的には傾きが0.374へと3倍近くとなっており、一層西高東低の傾向が顕著になりつつあると言わざるをえない。 こうした動きをどのような理論で統一的に説明できるかが問われている。 なお、各地域ブロックごとの特徴としては以下の点が指摘できる。
東北日本では早く一人前の働き手を継続的に確保するため初婚年齢が低かったが、厳しい自然の前で多くを養うことはできないため、結婚後の奉公、早期出産停止、間引きなどを通じて、出産数は抑制された(二本松の事例では完結出生数4人以下)。一方、自然に恵まれ、人口を流出させる都市も多かった中央日本や西南日本では、結婚前に奉公したりしていて、初婚年齢は高かったが、結婚すると出産は多かった(尾張・美濃の事例では完結出生数5.9〜6.5人)。西南日本では婚外子も多かった。西南日本では増加人口の流出させる都市も多くなかったため土地を得られないまま生涯結婚しない者も結構いたという。 北関東、東北などの東日本では明治以降人口の増勢が顕著となった(図録1152、図録7242)。自然災害への対応力、内陸輸送など交通・商業の発達、養蚕などあらたな稼得機会の増加などが理由とされる。もともと初婚年齢は低かったのであるから、出産抑制をとりやめるだけで出産数は激増したに違いない。戦前の東高西低の構造にはこうした背景が影響しているのであろう。 (2014年6月16日・17日収録、7月29日回帰直線の傾きの算出法改訂、2016年1月17日2014年の参考値付加、2018年6月1日更新、2022年2月25日更新、2023年6月2日更新、2024年6月6日2023年概数による分布図、7月11日更新)
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