人口重心とは、人口1人1人が同じ体重だとして地理的にちょうどバランスを取れる重心の位置をあらわしている。ここでは、日本と米国の人口重心の変遷をあらわした。

 日本の人口重心については、鬼頭推計、1971年以降の江戸幕府調査、明治以降の政府調査を使用した社会工学研究所の調査結果、1950年以降の国勢調査資料による結果を掲げた。

 日本の人口重心の最大の変化は縄文時代から弥生時代への東日本中心から西日本中心への大シフトであった。

 その後、琵琶湖左岸にあった人口重心は800〜900年には東国の開発に伴って琵琶湖右岸へと移動した。

 江戸時代の1721年以降、19世紀中頃までは人口重心が琵琶湖を、再度、東岸から西岸にわたっており、東日本の人口停滞と西日本の人口増加という地域人口変化の影響を見せている。

 また19世紀後半以降は、一貫して、北東方向に人口重心が移動しており、北陸や北海道を中心とした北前船経済圏の躍進(図録7242参照)、そしてその後の都市化、産業革命の動きの影響をあらわしている。

 第2次世界大戦後は、北東方向から南東方向への軌道修正が行われた。太平洋ベルト地帯を中心とした経済高度成長、そしてその後の東京圏への一極集中の動きを反映していると考えられる。

 1965年以降の国勢調査による人口重心については、その算出方法について、総務省統計局の元資料ではこう述べている。「平成12年までは、市区町村役場の位置にその市区町村の人口が集まっているものと仮定し、都道府県及び全国の人口重心を算出してきました。平成17年は、市町村合併の進展を踏まえ、より精緻に算出する観点から、基本単位区の図形中心点にその基本単位区の人口が集まっているものと仮定し、市区町村、都道府県及び全国の人口重心を算出しました。」

 結果については同資料はこう解説している。

「平成17年国勢調査による我が国の人口重心は、東経137度00分27.43秒、北緯35度36分20.65秒となっており、これは岐阜県関市立武儀東小学校(東経137度00分40.60秒、北緯35度35分08.15秒)から北へ約2.3kmの位置にあります。...

 我が国の人口重心の動きを長期的にみると、首都圏への人口の転入超過が続いてきたことなどにより、東あるいは東南東方向へ移動しています」(大都市圏への人口移動については図録7675参照)。

 1965年から2005年までの40年間の総移動距離は22.8qであり、年平均は570メートルとなる。移動は岐阜県という同一県内に止まっている。高度経済成長期1965〜70年の移動距離は8.3qであり、年平均は1,660メートルであった。

 さらに2020年国調結果によると「我が国の人口重心は、東経137度03分20.44秒、北緯35度34分03.64秒。岐阜県関市立武儀(むぎ)小学校(東経137度00分40.60秒、北緯35度35分08.15秒)から東南東へ約4.5kmの位置。2015年の人口重心に比べ、南東へ約2.2q移動」である。この点の資料を末尾に掲げたので参照されたい。

 高度成長期の動きは基本的には太平洋ベルト地帯の経済発展の影響による大きな地域構造の変化をあらわしているといえるが、江戸時代から明治、大正にかけての時期もそれに劣らぬ地域構造の変化があったことがこの時期に人口重心の方向変化や移動距離が激しかったことからうかがうことができる。

 世界銀行が毎年発表する世界開発報告書の2009年版(日本語訳「世界開発報告〈2009〉変わりつつある世界経済地理」)では、経済地理を特集している。この報告書では、一定の経済水準を達成した先進国では重要な課題となっている地域格差の是正を、これから経済発展を本格化させようとする開発途上国に単純に適用するわけにはいかないという点を強調し、結論的なメッセージとして「経済発展は不均衡であっても発展は包括的であり得る」と述べている。この点をめぐり、種々のデータが掲載されていて興味深いが、ここでは米国の経済発展史を人口重心の推移で総括している図を引用する。

 米国の人口重心は1800年には東部沿岸のメリーランド州にあったが、1900年にはインディアナ州、そして2000年にはミズーリ州に達した。その移動距離は210年間で1,371q、年平均に換算すると6.53qである。日本で移動が激しかった高度成長期の約4倍である。米国の国土面積は日本の25倍(図録1167)と比較にならないほど大きいので単純には重心の移動距離の長短を評価するわけには行かないが、それにしても米国全土にわたりダイナミックな人口移動が行われてきたことは確かである。

 19世紀の西部開拓、1948〜49年のカリフォルニアのゴールドラッシュ、20世紀の2次の世界大戦を挟む時期における南部農村部から北部・西部への黒人大移動などが人口重心の10年ごとの移動距離や移動方向の変化にあらわれていると考えられよう。

 報告書は、米国における経験から、交通手段の発達や州間通商制限を禁止する憲法上の規定など、物理的、制度的な移動の自由の実現が、各州における大都市形成と空間的な「規模の経済」の発揮による経済成長を可能とし、同時に地域格差を結果として平準化させてきたと結論づけている。「ヨーロッパは社会的な不平等が少ないことが称賛されているが、北米はもっと空間的に平等だ。そして経済生産物の流通はもっと空間的に効率がいい。...ある測定法によれば、一人当たり所得の州間のばらつきは2000年までに1880年水準の3分の1まで低下した。」(World Bank, World Development Report 2009、訳は一灯舎発行版による)(米国を含むOECD諸国の地域格差の比較は図録8390参照)

 そして今後の課題は、米国とカナダ、米国とメキシコの間の分裂(移動の自由の障害)を乗り越え北米大陸の国同士の収斂(格差解消)を実現することだというのだ。

 もっとも報告書は、移動の自由の負の側面も指摘することを忘れていない。「アメリカの地方政府の財政制度では、住民へのサービス提供資金を地方固定資産税に依拠しており、所得の再配分に影響を与えるような制度設計がほとんどなされていない。それで金持ちや中流の人々は新興郊外へ移動することによって、他の人々への資金援助を免れることができるわけだ。ここでも人種が一役買う。都市中心部は圧倒的に「黒人」となり、郊外は「白人」という構図だ。」(同上)


(2009年8月7日収録、2013年2月26日日本の人口重心推移に江戸時代から1910年にかけての変化を追加、3月18日日本の原資料を変更、2023年1月18日更新、令和2年国調資料)  


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