輸送量の1指標として輸送重量・人数に輸送距離を掛け合わせた輸送トンキロ・輸送人キロが用いられる。輸送機関ごとの輸送トンキロ・輸送人キロのシェアを分担率という。

 旅客輸送の輸送機関別分担率については、図録6395に掲げたところであるが、ここでは、国内におけるモノを運ぶ貨物輸送の輸送機関別分担率(トンキロベース)の長期推移を1895年からほぼ5年ごとに掲げた。

 この図録をもとにしたネット記事(メルクマール2022.4.24)も参照されたい。元になった1970年以降の輸送機関別の輸送トンキロの年次推移については、図録6400参照。

 わが国の貨物輸送の近代史を大きく概観すると、明治以降、内航海運、鉄道、道路へと主役交代させながら、大きく構造を変転してきたといえよう。

 明治維新後の文明開化の中で、旅客輸送においては鉄道輸送が急速に発達したが、貨物輸送に関しては、鉄道輸送も拡大しつつあったとはいえ、江戸時代から引き続き船舶輸送のシェアが大きかった。江戸時代からの内航海運史は、図録7810参照。

 日本では、江戸時代に、幕府が諸大名の軍事力の移動を困難にするため、主要な河川に架橋を禁じ、また街道の幅を制限し、車両の使用も禁止していた。そのため、人の移動はともかく、貨物の大量輸送用の道路インフラは極めて脆弱だった。道路輸送が統計に登場するのがずっと遅れるのはこうした事情による。

 戦前、道路輸送や鉄道輸送が大正時代から昭和初期にかけてなかなか拡大しなかったのは国民の間で陸上輸送インフラへの関心がなお低かったからという見方がある。永井荷風は日記のなかでこう言っている。「新聞紙例によりて国内諸河の出水鉄道の不通を報ず。四五日雨降りつづけば忽交通機関に故障を生ずること、江戸時代の川留に異ならず。当世の人頻りに労働問題普通選挙の事を云々すれども、一人として道路治水の急務を説くものなし。破障子も張り替へずして、家政を口にするハイカラの細君に似たりと謂ふべし」(「断腸亭日乗」大正9年5月9日)。

 戦後しばらく鉄道が分担率50%を越えていた時期があったが、これは内航船舶が戦時中に失われ(図録6807参照)、なお道路網整備とトラック輸送が本格化する以前であったためである。

 戦後の高度成長期の中で、内航船舶の建設が進み、当時経済成長を主導していた鉄鋼、セメント、石油精製など重厚長大型産業からの需要増にこたえ、内航海運の分担率が拡大し、1975〜2000年には50%を越えている。

 自動車の普及や全国の道路ネットワーク、高速道路の整備に伴って自動車(トラック)の貨物輸送分担率が戦後一貫して伸びてきた。ただし、オイルショック後の1970年代前半やリーマンショック後の2010年代前半にはやや停滞した。しかし、2010年以降は50%を越えている。

 近年もドアツードア輸送、小口多頻度輸送、24時間対応などのニーズに対する適合性から自動車輸送の分担率は伸び続けてきたが、近年は環境対応やニーズへの過剰対応の見直しから自動車の分担率も横ばいに向かいつつある。

 鉄道輸送は内航海運と自動車(道路)輸送のはざまで優位性を失い分担率は戦後直後の50%以上から2000年の4.6%までに縮小したが、その後はやや持ち直している。

 内航海運は重量貨物の輸送についてはなお重要性を失っていないが、貨物全体の中で重量貨物の占める割合が低下してきているので分担率も縮小傾向にある(図録6500参照)。

 自動車輸送に比較して鉄道輸送や内航輸送はエネルギー効率やCO2の発生など環境負荷においては優位性を有しており、いわゆるモーダルシフトの中で今後さらに分担率を回復できるか注目される。

 最後に、少し古いデータであるが、参考までに、距離帯別の分担率(航空輸送を除く)を示した。

 距離帯の短い輸送ほど自動車の比率が高く、逆に、遠距離の輸送ほど海運の比率が高いことが分かる。10年間の変化としては、中距離帯で自動車のシェアがやや拡大している。


(2008年12月2日収録、2022年4月15日更新、5月13日自動車分担率1925年まで延伸、荷風引用、2023年12月25日1950〜2000年の計算間違いを補正)


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