ここでは、日本及び欧米7か国、アジア7か国、合計15か国において、宗教団体、慈善団体、軍隊(自衛隊)、新聞・雑誌、労働組合、警察、議会(国会)、行政、テレビ、政府、政党、大企業、環境保護団体、裁判所、国連、EUという16組織・制度について、どの組織・制度に対する信頼度が高いかをこの調査の結果から図示した(国によっては対象項目が少ない場合がある)。質問は各組織・制度毎に別々になされている。 更新前の2010年期データは図録5215yとして保存したので前回と比較したい場合はこちらを参照されたい。 以下に日本と欧米との比較、日本とアジアとの比較に分けて特徴を整理した。
高い信頼度にもとづき、新聞・雑誌など日本のジャーナリズム、マスコミは日本の世論形成に大きな影響力を保っている(図録3963参照)。
日本の特徴のひとつは、議会(国会)や宗教団体への信頼度が低い点にある。宗教団体は、世界的には信頼度が高い国がかなりに上っているが、日本の場合、無宗教が多いこと、祭祀以外の分野での宗教団体の影響力に限界があることなどから信頼度は低くなっている。 国会は、日本では、憲法上、国政の最高機関と位置づけられていて、実際上の権限も大きく、選挙も途上国などに比べ公正に実施されているにもかかわらず、国民からの信頼度という点では、世界でも最低の部類に属している。 こうした国会、国会議員に対する信頼度の低さは、先進民主主義国共通の政治家と政治家が活躍する議会、政党に対する信頼度の低さに加えて、ロッキード事件(1976年)、リクルート事件(1988年)、東京佐川急便事件(1992年)など一連の汚職事件で明らかになった有力政治家の金権体質に対して国民がうんざりするとともに、世界に対し恥ずかしく思った歴史が大きく関わっており、経済一流政治二流といわれた状況を脱しうるような政治への信頼回復がなお充分でないからであるといえよう。 政治家への信頼度が低いのは先進民主主義国共通の特徴であるが、何故かという点についてはもっと根本理解があって然るべきだと思う。 民主主義国では政治家が選挙で選ばれる。どんなに評判が悪くても、最後は私を選んだ国民が悪いと言い張れるし、信頼を失っても選挙で落選するだけで非民主主義国のように別の権力者によって処刑されることもないので、言動に関して何かと気が緩みがちである。さらに、選挙で選ばれるということは必ずしも政治家は有能で倫理観の高いエリート層から選出されるとは限らないので、そもそも信頼を得られるよな人間でない場合も多くなる。政治家について落語家の立川談志は次のように言っていたというがけだし名言だろう(出所はここ)。 ”談志はよく落語のマクラで、「政治家なんて大したのが出て来ないのは当たり前だよ」といい、周囲を見渡して「よくご覧。この中から出て来るんだよ」と言っていたものでした。” 私見であるが、国会に対する信頼度の低さの理由としては、さらに、信頼度第1位で影響力の強い新聞・雑誌、そしてジャーナリズムが、日本の場合、西南戦争、自由民権運動以来の反政府の伝統をもち、国会、及び国会の多数派(与党)に対して常に批判的な立場を保っている影響、及び戦前の政権が選挙の大衆運動化を恐れて選挙を厳しく規制した結果生まれた政治のマイナスイメージの影響が大きいのではないかと思われる。 後者については、やや長くなるが、米国の政治学者ジェラルド・カーチス氏の名著「代議士の誕生―日本式選挙運動の研究」(1969)から、日本の選挙制度についての分析を引用しよう。 「事前運動の禁止、印刷物配布の制限、マス・メディア利用の規制、その他オープン・カーの使用禁止といった一見ささいな規定に至るまで…この法律(公職選挙法)によって一般有権者は選挙運動の単なる傍観者にされてしまっているのだ。本来選挙運動の主な機能であるべき選挙民の”政治的社会化”は、法律によって”圧殺”されないまでも、きわめて効果的に”けん制”されている。… 一般選挙民の、選挙過程における活動を制限するという意味で、現行の選挙法は1925年の選挙法を踏襲したものといえる。この旧法は、普通選挙権の確立によって、保守勢力の支配継続を脅かすような大衆運動への発展を阻止する意図の下に、選挙運動の規制を法文化したものである」(サイマル出版会p.209〜210)(注)。 (注)当時の警察による選挙運動取り締まりの雰囲気は永井荷風の日記からもうかがわれる。「先月来人家の板壁垣塀など到所候補者の姓名肖像を印刷したる紙片を見る。わが家の板塀にも何やら二、三枚張付けてありし故昨夜ひそかに剥ぎ捨てたり。但し今年は警察の干渉きびしき由にて運動員ぞろぞろと引続きて戸別訪問とやらをなさざるは大いに喜ぶことなり。午後中洲病院に大石国手を訪ひ帰途太牙(タイガ)に憩ひ、風月堂に飰す。給仕人のはなしに選挙運動の監視きびしきがため朝野の紳士万一の嫌疑をおそれ知人の饗応を避くる故、市中の飲食店いづこもひまにて淋しき由。この夜風月堂楼上にて晩餐をなすもの余一人のみなり。思ふに新橋の酒楼は一層寂寥なるべし」(永井荷風「断腸亭日乗」昭和3年2月17日)。 「選挙運動の一環として食事、茶菓、飲物類の提供を法で禁止している...米国では選挙運動でバーベキュー・パーティやピクニックの開催、あるいは運動本部でコカコーラを飲ませることを、禁止すべきだなどと主張した人はいない。日本ではそういう種類の行為が法律違反に問われるのである。 そういった厳格な選挙活動規制には、いくつかの危険性が潜んでいる。1つにはそれらの規制が極めて非現実的であるため、目にあまる違反を次々に生み出し、その結果法の尊重が失われてしまうことである。 さらには法規と実際の選挙運動とが一貫して明らかに食いちがっているため、日本人はいまだに非民主的、封建的な価値基準で動いているとの印象を、多くの日本人の間に植え付けてしまう。この印象はやがて、日本の政治体制は西欧の議会制民主主義より”非民主的”なのだといった”確信”となって、市民一般の信頼と誇りは、崩れてしまうのである。食事の提供その他の諸活動を禁止することによって、西欧の公職候補者ならそうした行為は一切しまいという、誤った印象を与えてしまうのだが、結果的にはおよそ実行不可能で他の国ではだれも守っていないような行動基準を、日本人自身に課しているのだ」(サイマル出版会p.232)。 なお、政治家への信頼度がその国の人口規模と反比例している点については図録5212a参照。 日本の1995年〜2019年の時系列変化については図録5213参照。 |
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参考のため、上掲国以外の国の結果を上に掲げた。
2021年2月に国軍によるクーデターが起こり、政権トップのアウン・サン・スーチー国家顧問兼外相らが拘束された。ミャンマー国民の軍隊に対する信頼度を見ると33.3%と他の組織・制度と比較して非常に低く、文民政権だった政府と比較しても低さが目立っていたことが分かる(ミャンマーの調査時期は2020年1〜3月)。やはり、国軍は追い詰められていたのだろう。 軍隊への信頼度の低い国を掲げると、低い方からニカラグア(22.1%)、グアテマラ(22.2%)、ボリビア(26.9%)、ミャンマー(33.3%)、アルゼンチン(35.2%)、ペルー(35.3%)である。やはり、軍事政権を経験した国では軍隊の評判は芳しくないようだ。 最後に、内閣府の生活の質に関する調査で、組織への信頼の程度別の幸福感(幸福度)を集計してデータを見つけたので下に掲げた。これを見ると、一般に、種々の組織への信頼度の高い人ほど幸福度が高いことが分かるが、報道機関に関しては、信頼している人の幸福度が余り高くなく、また信頼している人と信頼していない人との幸福度の差が小さいという結果になっている。 同様の結果が得られる世界価値観調査の結果についても掲載した。新聞・雑誌やテレビを信頼している人の幸福度は他の組織を信頼している人より相対的に低くなっており、逆に新聞・雑誌やテレビを信頼していない人の幸福度は相対的に高めである。余りマスコミに頼りすぎると不安に陥りがちとなるためという解釈も可能だろう。 このデータの解釈の仕方については図録3963参照。 この図録で取り上げた国は、23か国であり、具体的には、日本、米国、英国、ドイツ、フランス、イタリア、スウェーデン、ロシア、韓国、台湾、中国、ベトナム、マレーシア、タイ、インドネシア、オランダ、オーストラリア、ミャンマー、ナイジェリア、トルコ、イラン、ブラジル、メキシコである。 (2006年7月26日収録、8月25日コメント加筆、2013年10月18日2000年データから2005年データに更新するとともに複数棒グラフ形式から一覧表形式に変更、旧図録は5215x、10月22日その他の国の表追加、2014年5月14日日本の2010年の変化についてのコメント、7月21日2005年期から2010年期へ更新、2014年8月19日内閣府調査データ引用、2021年1月29日更新、更新前図録は5215y、2月4日その他の国のウクライナをミャンマーに変更、2月17日立川談志の名言、8月13日荷風引用、2024年12月13日世界価値観調査による組織への信頼度別幸福度)
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