世界数十カ国の大学・研究機関の研究グループが参加し、共通の調査票で各国国民の意識を調べ相互に比較する「世界価値観調査」が1981年から、また1990年からは5年ごとに行われている。各国毎に全国の18歳以上の男女1,000サンプル程度の回収を基本とした個人単位の意識調査である。

 ここでは、選択した16カ国において、新聞・雑誌、軍隊、警察、国連、労働組合、行政、大企業、国会、宗教団体について、どの組織・制度に対する信頼度が高いかをこの調査の結果から図示した。質問は各組織・制度毎に別々になされている。(1995年、2000年、2005年の時系列変化については図録5213参照)

 項目順は、日本での結果により、信頼度の高い順に組織・制度を並べている。日本では、新聞・雑誌への信頼度が70.2%と最も高く、国会は19.7%、宗教団体は9.0%と信頼を寄せている人が少ない。

信頼度第1位の組織・制度
新聞・雑誌 日本、韓国
軍隊 米国、中国、インド、英国、ロシア
警察 スウェーデン、カナダ、フランス、ドイツ、オランダ、イタリア
宗教団体 フィリピン、イタリア、ナイジェリア、イラン

 新聞・雑誌への信頼度が第1位の国としては、日本以外では韓国のみである。一般的には、フィリピン、中国、インド、ナイジェリアといった途上国で、新聞・雑誌は、60%近く、あるいはそれ以上の信頼度を獲得しており、英国の14.2%、米国の26.3%を典型に、欧米先進国では、概して新聞・雑誌への信頼度は低いのと対照的である。

 こうした高い信頼度にもとづき、新聞・雑誌など日本のジャーナリズム、マスコミは日本の世論形成に大きな影響力を保っている。

 日本では、自衛隊(軍隊)への信頼度が第2位となっている。軍隊への信頼度は、一般に高く、米国など5カ国で信頼度第1位となっており、また日本における信頼度61.5%より高い信頼度を得ている国も、9カ国と半数以上を占めている。

 警察への信頼度も48.1%と比較的高いが、これも軍隊と同様、世界的に信頼度が高く、第1の信頼度を得ている国もドイツ、フランスなど6カ国に及ぶ(日本でも1995年には信頼度第1位であったが、1999年以降の不祥事の連続で低下し、充分回復していない−図録5213参照)。

 日本の特徴のひとつは、国会や宗教団体への信頼度が低い点にある。宗教団体は、4カ国で信頼度第1位となっているなど、世界的には信頼度が高い国がかなりに上っているが、日本の場合、無宗教が多いこと、祭祀以外の分野での宗教団体の影響力に限界があることなどから信頼度は低くなっている。

 国会は、日本では、憲法上、国政の最高機関と位置づけられていて、実際上の権限も大きく、選挙も途上国などに比べ公正に実施されているにもかかわらず、国民からの信頼度という点では、19.7%と韓国の10.2%を除くと世界でも最低の部類に属している。社会主義国の中国は例外として、スウェーデン、フィリピン、オランダ、イランといった諸国で5〜6割の信頼度、英米、ドイツ、フランスといった欧米先進国でも3〜4割の信頼度であるのと比較するとかなり低くなっているのが目立つ。

 こうした国会、国会議員に対する信頼度の低さは、ロッキード事件(1976年)、リクルート事件(1988年)、東京佐川急便事件(1992年)など一連の汚職事件で明らかになった有力政治家の金権体質に対して国民がうんざりするとともに、世界に対し恥ずかしく思った歴史が大きく関わっており、経済一流政治二流といわれた状況を脱しうるような政治への信頼回復がなお充分でないからであるといえよう。

 私見であるが、国会に対する信頼度の低さの理由としては、さらに、信頼度第1位で影響力の強い新聞・雑誌、そしてジャーナリズムが、日本の場合、西南戦争以来の反体制の伝統をもち、国会、及び国会の多数派(与党)に対して常に批判的な立場を保っている影響、及び戦前の政権が選挙の大衆運動化を恐れて選挙を厳しく規制した結果生まれた政治のマイナスイメージの影響が大きいのではないかと思われる。

 後者については、やや長くなるが、米国の政治学者ジェラルド・カーチス氏の名著「代議士の誕生―日本式選挙運動の研究 」(1969)から、日本の選挙制度についての分析を引用しよう。

「事前運動の禁止、印刷物配布の制限、マス・メディア利用の規制、その他オープン・カーの使用禁止といった一見ささいな規定に至るまで…この法律(公職選挙法)によって一般有権者は選挙運動の単なる傍観者にされてしまっているのだ。本来選挙運動の主な機能であるべき選挙民の”政治的社会化”は、法律によって”圧殺”されないまでも、きわめて効果的に”けん制”されている。…

 一般選挙民の、選挙過程における活動を制限するという意味で、現行の選挙法は1925年の選挙法を踏襲したものといえる。この旧法は、普通選挙権の確立によって、保守勢力の支配継続を脅かすような大衆運動への発展を阻止する意図の下に、選挙運動の規制を法文化したものである。」(サイマル出版会p.209〜210)

「選挙運動の一環として食事、茶菓、飲物類の提供を法で禁止している...米国では選挙運動でバーベキュー・パーティやピクニックの開催、あるいは運動本部でコカコーラを飲ませることを、禁止すべきだなどと主張した人はいない。日本ではそういう種類の行為が法律違反に問われるのである。

 そういった厳格な選挙活動規制には、いくつかの危険性が潜んでいる。1つにはそれらの規制が極めて非現実的であるため、目にあまる違反を次々に生み出し、その結果法の尊重が失われてしまうことである。

 さらには法規と実際の選挙運動とが一貫して明らかに食いちがっているため、日本人はいまだに非民主的、封建的な価値基準で動いているとの印象を、多くの日本人の間に植え付けてしまう。この印象はやがて、日本の政治体制は西欧の議会制民主主義より”非民主的”なのだといった”確信”となって、市民一般の信頼と誇りは、崩れてしまうのである。食事の提供その他の諸活動を禁止することによって、西欧の公職候補者ならそうした行為は一切しまいという、誤った印象を与えてしまうのだが、結果的にはおよそ実行不可能で他の国ではだれも守っていないような行動基準を、日本人自身に課しているのだ。」(サイマル出版会p.232)

 なお、政治家への信頼度がその国の人口規模と反比例している点については図録5212a参照。

(2006年7月26日収録、8月25日コメント加筆)


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