散布図のX軸は、「政治家は自己利益の追求だけだ」と思っている人の比率、Y軸は、「政治家は正しいことをしていると信頼」している人の比率である。 X軸については20〜90%の幅、Y軸については0〜50%で回答が分布しており、自己利益の追求かどうかは国民によりまったくそう思うから、まったくそう思わないかまで大きく見方が分かれているが、正しいことをしていると信頼しているかについては、いずれの国民もせいぜい50%止まりである点に違いがある。 両方のプラス・マイナスの評価はだいたい比例している。すなわち、政治家が自己中心だと思われている国では、正しいことをしていると信頼されていないし、逆ならば逆である。マイナス評価の大きい国はラトビア、リトアニア、スロベニアといった国であり、逆にプラス評価の大きい国はノルウェー、デンマーク、スウェーデン、ニュージーランドといった国である。 一方、こうした比例関係から外れた国も多い。政治家は自己中心だと思われているのに、正しいことをしていると信頼されている国としては、フィリピン、南アフリカが目立っている。 日本の場合は、政治家が自己中心かどうかという判断では、32カ国中、20位とそれほどマイナスが大きくないが、正しいことをしていると信頼しているかという点では、下から3位と国民からの信頼度が極めて低くなっている。ある程度善意は認めながらも能力あるいは政治風土のせいで信頼できるという所にまではまるで至らないというわけである。 信頼がなければ優れた政策でも実現しない(逆に言えば信頼があれば無意味な政策でも実現する)。この点について聖徳太子の十七条憲法の第九条ではこう述べられている。「信はこれ義の本なり。事ごとに信あるべし。それ善悪成敗はかならず信にあり。群臣ともに信あるときは、何事か成らざらん。群臣信なきときは、万事ことごとくに敗れん」(決定版中村元選集別巻6「聖徳太子」p.181)。 政治家への信頼度が国の人口規模によってある程度左右されている点を見たのが下図である。日本より所得水準の高い先進国に限定すると「政治家は正しいことをしていると信頼」の割合は人口規模が大きいほど低くなる傾向が見てとれる。人口数百万人と日本の地方自治体に近い人口規模の国ほど政治家への信頼度が高く、逆に、人口数千万人以上の大きな国になればなるほど政治家への信頼度は低くなるのである。大きな国はやはり国民と政治家との距離がどうしても大きくなってしまうということなのであろう。 こうした傾向の中では米国は人口規模が大きい割に政治家への信頼度が高いともいえよう。これが州の独立性が強い連邦制によるものだとしたら、社会保障の維持のために高齢者に負担を納得してもらう必要が増している今、日本の地方分権、あるいは道州制は、こうした観点からも評価した方がよいだろう。 (元データ) 政治家に対する見方(32カ国、2010年)
(2012年12月29日収録、2013年1月9日道州制コメント追加、2016年3月14日聖徳太子引用)
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