これで見ると、先進国では、1970年代には10%前後であった物価上昇率が1990年代以降は-2〜2%程度の水準と変化し、全体として、1980年代前半を移行期間として、インフレ経済からディス・インフレ経済(インフレでない経済)、あるいはデフレ経済に大きく変化したことがうかがえる。 とくに日本は物価上昇率の低下が欧米より著しく、マイナス基調にまで至っている点で目立っている。 なお、消費者物価と企業物価とは前者が後者を上回っているが、20世紀の間はほぼパラレルに(平行して)推移していた。 こうした変化は、日本の場合は経済成長率のペースダウンと平行的な現象であるので、まさに物価推移は成長率鈍化によってもたらされているようにみえる。しかし、欧米では日本のような目立った経済成長率のペースダウンはおきておらず、それにもかかわらず物価推移には際立った変化が生じているので、物価推移の基調変化(橋本(2002)はこれを「価格革命」と読んでいる)の主要因を成長率にもとめることはできないように考えられる。 ともあれ、インフレ時代には可能であった賃上げ率のチューニングによる生産性向上に合わせた労働コストの調整、あるいは税率を据え置いても累進直接税との組み合わせで可能となる増税がデフレ時代には難しくなる。これまでと同じ状態を維持するために、賃金カットや税率引き上げという抵抗の多い手段を行わねばならない事態となったのである。 さらに21世紀に入って、2001-05年を移行期として、消費者物価上昇率と企業物価上昇率とが逆転しているのが目立っている。図示してはいないが、米国や欧州でも同じタイミングの逆転現象が見られる。原油・鉱物資源や穀物など資源価格の高騰が消費者物価に反映されにくい新しい状況とも見えるが、いずれにせよ、新しい経済の構造変化を示しているといえよう。 下表では、消費者物価上昇率(インフレ率)についてOECD諸国内での日本の下からの順位を追った。高度成長期からオイルショック後の物価高騰の時期までは日本の順位は決して高くはなく、他の国と同様にインフレが進行していた。ところが1970年代の後半以降は、上位を占めるようになり、1位の年も多かった。首位となる国は移り変わっていたが、日本だけはトップ順位の定席を占めていた。日本は世界で最もインフレ要素の薄い国、あるいはデフレ傾向の高い国として目立っていたといえよう。物価は経済の体温計と呼ばれるが、この時期、日本は経済的なテンションが世界で最も低い国だったともえいる。ところが2014年以降は20位台、30位台とそれまでとは別次元の順位となっており、アベノミクスの影響が明らかとなっている。 なお、日本の1989年、1997年、2014年は消費税導入、税率アップの影響で物価上昇率も高くなっているので、1989年を除いて順位も異例に高くなっていると考えられる。日本における毎年の消費者物価上昇率については図録4719参照。最近の主要国の消費者物価指数の動きは図録4722参照。 (参考文献) ・橋本寿郎「デフレの進行をどう読むか―見落された利潤圧縮メカニズム 低かった日本の物価上昇率:年次ごとのOECD諸国内順位
(注)順位はデータが存在する国の範囲の順位。2015年はIMFの推計値による (資料)消費者物価指数(日本、〜1970年は昭和55年基準、1971年以降は平成22年基準)、世界銀行, World Development Indicators(2016.2.17)(1979年以前)、IMF, World Economic Outlook Database, October 2015(1980年以降) なお、下には、日本人が社会経済対策の中で物価安定に関しては例外的に政府の責任であると強く考える傾向がある点を示すデータを掲げた(図録5184のデータ)。過去にインフレーションによって非常に痛い目にあったことにより、アベノミクスまでは、物価安定が日銀の最優先課題となってきた背景を物語るデータであるといえよう。これが大きな要因となって図録に示したような日本の物価上昇率の相対的な低さを招いていたのではなかろうか。
![]() (2004年5月18日収録、2008年6月3日更新、2011年3月11日更新、2015年12月9日ISSP調査結果、2016年4月4・5日インフレ率OECD内順位表)
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