モノの価格とサービスの価格は長期的に対照的な推移を辿っているという点を傘と床屋の値段の推移を代表例として示した。

 1本当たりの傘の値段は1951年905円、そして71年後の2022年に1,447円とあまり変わりがない(1.6倍)。1973年のオイルショックの頃のインフレの時期、バブルの頃の高級品志向が高まった時期に傘の値段も上昇したことがあるが、その後の値下がりで相殺されている。一般には貨幣価値はこの間大きく低下しているので、実質上は、傘の値段は大きく下がってきているのである。

 一方、1回の床屋の値段は、1951年に62円だったのが2022年に2,676円と43倍に値上がりしている。

 1.6倍と43倍という差はひどく大きい。1951年段階では傘一本買うお金で14回床屋に行くことができた。ところが、2022年には、床屋1回の値段で傘が2本買えるのである。我々は70数年経つうちに全く異なった商品世界に生きることになったと言うことができる。

 こうしたモノの価格推移とサービスの価格推移の違いは労働生産性の上昇率格差と貿易を通じた国際流通への適性の2つから説明できる。

 労働生産性の上昇率格差とは、傘一本を製造する労働時間が大規模生産や機械生産によりどんどん少なくなったのに対して、床屋1回には必ず理髪師1人の小1時間を要するというという違いである。傘で第2次産業を代表させ、床屋で第3次産業を代表させると、この労働生産性上昇格差がいわゆるサービス経済化の基本要因となっている(巻末コラム参照、図録5240参照)。

 貿易を通じた国際流通への適性とは、傘を作る労働者は人件費の低い例えば中国の労働者でもよいのに対して、理髪師は人件費の高い日本に住む労働者でなければならないという違いである。

 傘の単価がバブル経済崩壊後に大きく低下したのには、コンビニや100円ショップで売られている安価なビニール傘の影響が大きい。ビニール傘は、もともとはホワイトローズという江戸時代創業の老舗雨具メーカーが1958年ごろに開発した新製品だったが(当時、高価品)、1964年の東京オリンピックで来日した米国バイヤーの目に止まり米国販売から世界的に普及し、その間に途上国に生産がシフト、今では国内50社あったメーカーがホワイトローズ1社となっている(老舗企業を紹介した図録5407参照)。

 なお、理髪料は1999年をピークに低下傾向にあった。競争激化、美容室との競争、価格破壊新サービスなどによるものと思われる。実際、理容師の数は停滞している(図録3550参照)。一方、傘も使い捨て商品化がやや見直され、2009年を底に最近やや上昇している。

【コラム】ボーモルのコスト病

 モノとサービスの労働生産性の上昇率格差にもとづく相対価格の変化は、経済学上は、ボーモルのコスト病 (Baumol's cost disease) として知られている。経済学者ウィリアム・ボーモルとウィリアム・G・ボーエンによって1960年代に見出された現象として知られているが、実演芸術、例えばモーツアルトの弦楽四重奏の演奏の生産性は18世紀末と現代とで変わらない(同じ時間が必要)のに対して自動車製造の生産性は、T型フォードの新生産方式で1台12時間から2時間以内へと短縮されたという事例からも分かる通り、時代の進展につれて大きく改善するのである。

 また、看護師が包帯を交換する時間や大学教授が学生の文章を添削する時間、そして官僚が執務する時間の生産性がほとんど変化せず、そのため、これらに要する価格がモノの価格に対して大きく上昇、その結果、医療や教育、そして行政の対GDP比率が大きく上昇することとなると説明される。生産性がそもそも上昇しにくいこうした経済活動をボーモルは「滞留的」("stagnant")活動と呼んでいる。

 英国エコノミスト誌は、ボーモルの著述("The Cost Disease: Why Computers Get Cheaper and Health Care Doesn't", by William Baumol,2012)を紹介し、米国の医療費対GDP比率のこれまでの激しい上昇(1960年の5%から2011年の18%)、そして100年後の2105年には何とGDPの6割に達するという予測の根拠をこのコスト病に求めている(The Economist September 29th 2012 "Free Exchange - An incurable disease")。

 このコスト病はおそれるに足らないということもボーモルは強調している。モノの生産性の上昇とともにGDPも成長し、「滞留的」な活動はそもそも十分まかなうことができることになっているというのだ。「ボーモル氏が論じるには、真の問題は、コスト病ではなく、それへのお決まりの反射的な対応だという。公共的に供給される医療や教育の財政的な膨張に対して最もありそうな対処法はそれらを私的セクターへとシフトさせることである。しかし、こうした対処で根本的な病が治癒されるわけではない。高コストはまたそれらの供給制限につながり、結果として長期的な経済成長を阻害しかねない。こうした対処は滞留部門の高コスト化は人々を貧しくするという間違った前提にもとづいている。実際は、購買力は医療、教育、芸術が高価になるテンポ以上に早く拡大していくのである。ボーモル氏の占い水晶球によれば、100年の間にモーツアルトの弦楽四重奏の実演チケットは馬鹿みたいに高くなるが人々はそれを買えるだけ豊かになるという訳である。」(同上)

 これは経済学的には正しいといえる。ただし、米国の医療費対GDP比が世界の中でも馬鹿高くなっているのは、このコスト病で説明できる範囲を超えていると思われる(図録1900参照)。

【コラム2】折りたたみ傘先進国日本

 東京新聞の東京名物というコーナーでは「手品?折りたたみ傘」という題で海外観光客に人気の日本の傘を紹介している。なかなか、楽しい記事なので、以下、引用する。

 米国ドラマでこんな場面があった。ヒロインがにわか雨に遭い軒下へ。雨宿りをする隣の男性と目が合い「パリでなら恋の始まりね」と笑う。日本では難しいシーンかもしれない。なぜならば、日本洋傘振興協議会によると、傘の年間消費量は推計約1億3千万本と市場規模世界一。ウェーザーニュース発表の一人当たり所持本数も3.3本とトップ。世界で一番傘を愛用する国だからだ。

 思い返せば、米国で雨に降られた時は探せど傘がなく、タイではコンビニ袋をかぶる学生集団に遭遇。調べると、傘がどこでも安価で買え、小雨でも傘をさす日本の方が少数派らしい。

 そんな日本は「折りたたみ傘先進国」。問屋街や量販店はもちろん、空港の売店などでも、土産にと何本も求める外国人が多い。

 人気の秘密は、小さくたためるだけでなく、軽くて丈夫、ワンタッチ機能や晴雨兼用など機能性にも優れ、デザインや色も豊富だからだ。しかも安くてかさばらない。「三つにたためるなんて手品のよう」とフランス人男性は驚き、「華やかで選ぶのも楽しい」と中国人女性は言う。

 ちなみに、あまり傘をささない外国人には、雨が降るとパッと傘の花が咲く光景も日本ならではの「名物」と映るようだ。(文と写真 広山直美)

(2007年12月11日更新、2009年12月2日更新、2012年11月19日【コラム】ボーモルのコスト病追加、2013年4月30日更新、コラム2追加、2016年2月16日更新、2019年5月12日更新、2023年2月7日更新、2024年6月28日傘のコメント補訂)


[ 本図録と関連するコンテンツ ]



関連図録リスト
分野 物価
テーマ  
情報提供 図書案内
アマゾン検索

 

(ここからの購入による紹介料がサイト支援につながります。是非ご協力下さい)