ここでは、日本人がそれらを政府の責任と考えている程度を項目間で比較し、また他国と比較したデータを掲げた。比較は評価点(政府の責任と考える程度が高いほど高い点数)と調査対象国35か国中の順位で行っている。 まず、項目の中で、「物価安定」と「対企業環境規制」の評価点がその他の項目比べて1以上と高く、また、海外と比べ、「物価安定」だけが調査国平均を上回っている点で目立っている。日本人は過去にインフレや公害問題において非常に痛い目にあったことがあるために、この2項目についてはこのように政府に期待するところが大になっているのだと考えられる。 このデータのもう一つの特徴は、「物価安定」以外の経済社会対策では、いずれも対象国平均を下回っている点である。 「職業安定」と「困窮者向け住宅供給」を除く項目は0以上なので、各種の政策をどちらかというと政府の責任だと考える傾向にはあるが、それでも他国と比較すると、日本人は概して政府の責任を低く見る傾向があるといってよい。 順位で見ると、何と「医療供給」、「高齢者生活維持」、「大学生奨学金」、「困窮者向け住宅供給」、「対企業環境規制」の5項目では世界最低の順位となっており、「失業者生活維持」、「男女平等」の2項目では33位、「貧富格差是正」では32位となっている。 医療、高齢者生活、高等教育、住宅、環境規制などについて政府に頼らず個々人や各企業が努力すべきだという考えが日本では根強いことがうかがわれる。 政府より民間の役割を重視することで知られる米国人でも、政府の責任と考える程度が対象国の中で最低なのは「職業安定」と「貧富格差是正」の2項目にすぎず、これと比べても、日本人の政府非依存体質は世界の中で目立っている。 日本の公務員数や財政規模が米国以上に「小さな政府」なのは(図録5194)、基本的には、こうした日本人の政府・国家への非依存体質によるものだといってよかろう。 そうした体質の由来については、第二次世界大戦で大失敗した戦前の富国強兵路線への反動なのか、英米型の小さな政府思想の影響なのか(朱に交われば赤くなる?)、貨幣も海外に依存した日本中世の辺境性の伝統によるものなのか(図録5194)、それとも、最近、寺西重郎氏が唱えている日本型資本主義の精神をつくった鎌倉仏教の影響による求道主義によるものなのか、いずれかであろう。 寺西氏によれば、鎌倉仏教と江戸時代の通俗道徳によって考え方が形作られた日本人にとって、「世界は身近な他者関係の無限に広がる連続体として捉えられているだけで、個人と対立するものとしての公共世界に独自の価値を認めるという意識はなかった」(「日本型資本主義」p.196)。 ISSP調査ではこのほか所得格差と社会保障については、それぞれが政府の責任かどうかをきいた調査を行っている。所得格差については図録4679、社会保障については図録2799を参照。いずれでも日本人は他国と比較するとそれらを政府の責任と考える程度が非常に低いことが分かる。 最後に、2016年の結果を1996年の調査結果(男女平等の設問なし)と比較した図を以下に掲げた。両年でともに調査が行われた18か国の平均の変化を見ると、貧富格差是正を除いて、各対策を政府の責任とする考え方は後退していることが分かる。貧富格差については、この間、世界的に格差拡大が強く意識されるようになったので、課題の重要性に鑑み、格差是正についても政府の責任とする考え方が普及したからと考えられる。 日本については、プラス(上昇)が世界的傾向の「貧富格差是正」と世界ではややマイナスの「大学生奨学金」でプラスとなっているほかは、いずれの項目もマイナスであり、しかも18か国平均より大きくマイナスとなっており、世界的な傾向以上に各経済社会対策を政府の責任と考える見方は後退している。 理由としては、バブル期の考え方がなお払拭されていない1996年の段階から「失われた20年」が経過し、巨大な財政赤字の累積からいっても政府には頼りようがないと考える人が増えたためであろう。あるいは、社会の成熟とともに、福祉国家思想や社会主義思想など欧米流の国家観に免疫がきくようになり、古くからの日本的な考え方に復帰しつつあるのかもしれない。 なお、参考のために、以下に、2016年調査について、各項目の各国・地域の評価点順位を掲げる。
(2015年12月11日収録、2016年2月25日評価点順位表でG7諸国にカラー、2018年10月13日1996年データから2016年データに更新、10月14日補訂)
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