(2011年) 1週間後の3月18日午後10時半の段階ですでに死者は6,911人に上り(毎日新聞2011.3.19)、阪神・淡路大震災(死者6,434人)を超える戦後最悪の自然災害となっている。 3月22日までに判明した死者9,180人、行方不明者と合わせた被害者数は2万2,741人となり、1896年の明治三陸地震の2万1,959人を上回り、明治以降、関東大震災に次ぐ自然災害となった(毎日新聞2011.3.23、図録4363参照)。 3月25日判明分では死者が1万人を超えた。4月18日、死者数が13,895人と行方不明者数を超えた。 福島県の死亡者数が行方不明者数との対比で少ないのは、福島第一原発の放射能漏れが続いていることによって遺体確認等に支障が生じていたためと考えられる。 4月7日には東京電力福島第1原発から半径20キロ圏内の避難指示区域(南相馬市原町区小沢地区)で警視庁機動隊が大規模な行方不明者の捜索を始めた。「福島第一原発の10〜20キロ圏内で7日、福島県警と警視庁の機動隊員ら約360人が行方不明者の一斉捜索を実施し、3遺体を収容した。同県警は3日から 約50人で捜索してきたが、警察庁は「避難者の一時帰宅が実現する可能性がある。その前に本格的な捜索を始めたかった」として態勢を強化した。」(東京新聞2011.4.8)「福島県は行方不明者数が死者数の3倍以上と、近隣の宮城県など他の被災県に比べ際だって多い。放射線量が高く捜索が進まないためで、20キロ圏内はがれき も手つかずの状態となっている。避難している住民からは「せめて遺体の収容を早くしてほしい」という強い要望が出ていた。」(毎日新聞2011.4.7) 宮城、岩手に続き、4月26日、福島の判明した死者数がはじめて行方不明者数を上回った。 5月7日、全国の行方不明者数がはじめて1万人を切った。5月13日、全国の死者数が1万5千人を上回った。 7月10日段階の行方不明者は5,344人に減少した。7月11日のNHKニュースWEBによれば、「行方不明者は、最も多かった3月末には1万7000人を超えていましたが、警察や自治体が精査した結果、避難先で無事が確認されたり、同じ人が二重に届け出られたりしていたケースなどが判明したため、今は3分の1以下にまで減っています。警察庁は、今後行方不明者が大幅に増える可能性はないとみていて、東日本大震災の犠牲者数が、大津波でおよそ2万2000人が犠牲となった明治29年の明治三陸地震を上回るおそれはほぼなくなりました。」 9月後半に行方不明者数は4千人を下回った。 なお、避難者数は11月17日現在からは、3県の住宅等(公設・仮設・民間)入居済みの者(約26万人)も含めて記載。 (2012年以降) 大震災1周年に当たる2012年3月11日現在までに判明した死者、行方不明者は、それぞれ、15,854人、3,155人であり、合計人数は19,009人である。 大震災2周年に当たる2013年3月11日現在までに判明した死者、行方不明者は、それぞれ、15,882人、2,668人であり、合計人数は18,550人である。また、こうした直接の被害者以外に、避難中などの「震災関連死」が被災3県で2,554人にのぼり、さらに、このうち福島県の「原発関連死」は東京新聞が取材・集計によると789人であった(南相馬市といわき市を除く。市町村データは図録4362a参照。東京新聞2013年3月11日)。 東日本大震災後、ただ一つ残っていた埼玉県加須市の旧騎西高校の避難所は2011年4月のピーク時には約1,400人が生活していたが、2013年12月27日に閉鎖され、福島県双葉町の避難者は退去した。 大震災3周年に当たる2014年3月11日の状況は次の通り。「東日本大震災から3年を迎える現在も、仮設住宅などで避難生活を送る人は約26万7千人に上る。避難生活が長期化する中で、被災後に体調を崩して亡くなる人も増えている。政府や自治体は災害公営住宅の建設を急ぐとともに、被災者の心のケアが必要だ。警察庁によると、3月10日時点で震災の死者は1万5884人、行方不明者は2633人。岩手、宮城、福島、茨城県などによると、被災後に体調を崩して死亡したり、避難生活を苦にして自殺したりした震災関連死は増加を続け、計3千人以上に達した。福島県では震災関連死(1671人)の人数が直接死(1607人)の人数を上回った。避難者のうち、生活環境が厳しいプレハブの仮設住宅で暮らす人は岩手、宮城、福島の3県で約9万7千人に上る。遠隔地に避難する人も多い。東京電力福島第1原子力発電所事故の影響を最も受けている福島県では、県外に避難する人が4万7995人いる。」(日経新聞2014年3月11日) 大震災6周年に当たる2017年3月11日の状況は次の通り。「2万1000人以上が犠牲になった東日本大震災は、11日で発生から6年を迎えた。岩手、宮城、福島の東北3県を中心に襲った津波や東京電力福島第1原発事故で、今も約12万3000人が全都道府県に散らばって避難し、被災3県の仮設住宅に約3万4000人が暮らす。災害公営住宅(復興住宅)の建設や宅地造成の遅れ、原発事故の影響などで避難生活は更に長期化する見通しだ。10日現在の警察庁のまとめでは、死者1万5893人、行方不明者2553人で戦後最悪の自然災害になった。避難中の体調悪化などが原因の震災関連死は2016年9月末現在、全国で3523人で前年比116人増加した。このうち福島は2086人で直接死を上回っている。復興庁がまとめる避難者数は、ピークだった12年6月の約34万7000人から3分の1に減ったが、17年2月現在12万3168人。福島県民の避難者数は7万9226人を占める。共同通信の集計(1月1日現在)によると、3県の復興住宅入居者数は3万9664人で、仮設住宅と逆転した。国が福島の11市町村に出した避難指示は、帰還困難区域を除き、9市町村で解除・解除予定で、当初より面積で約3割に縮小するが、帰還するのは解除対象者の8%前後とみられる。大熊、双葉両町は全域避難が続く。避難指示区域外から避難した「自主避難者」について福島県は3月末で住宅無償提供を打ち切る」(毎日新聞2017年3月11日)。 大震災6周年に当たる2017年3月11日の状況は次の通り。「震災関連死を含め2万2000人以上が犠牲になった東日本大震災は、津波や東京電力福島第1原発事故の被害などで、依然として約7万3000人が全都道府県に散らばって避難している。岩手、宮城、福島の3県では、高台移転による宅地造成や災害公営住宅(復興住宅)の建設が進む一方、1万2000人以上が今なおプレハブの仮設住宅で暮らしている。警察庁の9日現在のまとめでは、死者は1万5895人、行方不明者は2539人。復興庁などによると、関連死は2017年9月末現在、3647人(前年比124人増)で、うち福島が2202人(同116人増)を占める」(毎日新聞2018年3月11日)。 各県の避難者数の推移は下図の通り。原発事故の影響の大きい福島では他県への避難者数がなお4万人近くと岩手、宮城と比べて非常に多い。 福島県民の避難先については【コラム】参照。関連死については【コラム2】参照。
(2011年3月18日収録、3/18〜5/13、5/15〜20、5/22〜23、5/26・30、6/6・6/13更新、6/20更新、避難者数更新情報警察庁から未発表に、6/23更新、避難者数内閣府公表データに変更、6/27・7/6・7/11・7/18・7/21・7/25・8/1・8/8・8/15・8/22更新、8/28更新、避難者数東日本大震災復興対策本部公表データに変更、9/5・9/11・9/14・9/26・10/1・10/11・10/17・10/31・11/14・11/28・12/8・12/21更新、2012年1/18・2/7・2/16・2/29・3/5・3/9・3/12・3/21・4/10・4/17・5/7・5/23・6/19・7/12・9/11・12/29更新、2013年3月5日、3月9日更新、3月11日2年目状況追加、3月12日、8月14日更新、2014年3月1日、3月11日更新・コラム追加、3月12日コラム2追加、6月12日更新、9月10日更新、2015年3月8日更新、2016年3月10日更新、県別避難者数推移図追加、2017年3月13日更新、2018年3月11日更新、2019年3月10日更新)
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