2011年3月11日(金)14:46に東日本太平洋沖で発生した巨大地震は、気象庁によって、「平成23年東北地方太平洋沖地震」と命名されたが、震災の名称としては新聞等の表記ではじまり閣議決定で確定した東日本大震災とされるに至った。

 地震の規模をあらわすマグニチュードは当初7.9とされていたが、当日午後4時の段階では、8.4に、さらに午後5時半ごろ8.8に変更された。その後、13日には、海外約40地点での地震波の観測データを詳しく解析し再計算した結果、9.0となった。これは「1900年以降では60年にチリでM9.5を記録した地震などに次ぐ、世界で4番目の超巨大地震。」(東京新聞2011.3.14)

 ここでは、今回の巨大地震を含め、明治以降の国内外の主要な13の津波地震の規模を図録にした。地震の規模はマグニチュードという単位であらわされているが、エネルギーの規模を対数であらわした数字なので実感を得にくい。そこで図録ではマグニチュードとともにそれをエネルギー規模に直した値も同時に掲載した。エネルギーへの換算はグーテンベルグ=リヒターの式 logE=11.84+1.5M(Eの単位はエルグ、logは常用対数)によっている。

 マグニチュードの測り方は必ずしも統一されていないので、エネルギー換算の場合は、エネルギーの大きさに対応するモーメント・マグニチュード(Mw)の値を使用した。当初はともかく地震の規模を実感できる図が望まれるということでエネルギーの計算で不統一のマグニチュードを使用してしまった。それで東日本大震災がインド洋大津波より地震規模が大きいという誤解を生んでしまった。これらについて、誤りと改善策をメールでご指摘いただいたM氏に感謝します。

 この図録によれば、今回の地震はインド洋大津波の際のスマトラ島沖地震の約7割程度、関東大震災の地震規模の約45倍という巨大地震であったことがわかる。


 米国の地質調査所(USGS)の地震表では、以下のようにM9.0以上の巨大地震をランキングしている。東日本大震災について観測史上第4位の巨大地震という報道はこれによっていると考えられる。

1.1960 05 22 - Chile - M 9.5
2.1964 03 28 - Prince William Sound, Alaska - M 9.2
3. 2004 12 26 - Sumatra-Andaman Islands - M 9.1
4. 2011 03 11 - Near the East Coast of Honshu, Japan - M 9.0
5. 1952 11 04 - Kamchatka - M 9.0
6. 1868 08 13 - Arica, Peru (now Chile) - M 9.0
7. 1700 01 26 - Cascadia Subduction Zone - M 9.0


 巨大地震はいずれもプレートとプレートの境でおこる海溝型地震である。海側のプレートが陸側のプレートに潜り込もうとしてひずみがたまり、耐えられなくなった陸側のプレートが一気に跳ね上がって引き起こされる。記録がある過去最大の地震であるチリ地震の際は1300qの断層が動いた(それでもアンデス山脈沖合の3000qの沈み込み帯の一部)。

 気象庁によると、東日本大震災をひきおこした地震は3回連続だった。岩手・宮城県沖の第1回の150秒後に最初の震源地より南の福島県沖で第2回目、さらに南の茨城県沖を震源に第3回目の地震があった。「この間は約6分で、三つの地震の震源域は南北500キロ、東西200キロ程度に達すると考えられる。新たに判明した2回の地震の規模は合わせてM8.8で、3回の地震の合計はM9.0になるという。」(毎日新聞2011.3.14)「断層のずれ幅は20メートル以上に及ぶ。」(東京新聞2011.3.14)そして余震ともいうべきM7規模以上の地震が周辺で続いた。

 過去の大地震・大津波を想定して各自治体の防潮堤等の防災施設は作られていたが、想定外の大規模地震が襲い、津波被害を防ぐことはできなかった。

 これほど巨大な地震は研究者にも「想定外」だった。13日午後、文部科学省で開かれた地震調査委員会の本蔵義守東京工業大学教授は、会議終了後の取材にこたえ「これまで日本で連動を想定していたのは静岡県沖から四国沖に延びる海底溝『南海トラフ』にある東海、東南海、南海地震の三つ。それでも予測していたMは8.7で、断層の滑り幅は10メートル程度」と話したという(東京新聞2011.3.14)。

 今回、青森から茨城にかけて襲った津波の状況については、図録4363bに掲げた。

 なお、国土地理院は、今回の津波の浸水範囲をあらわした概況地図(16枚)をホームページ上で公表している。また、同院は被災地各地の地盤沈下量を公表している(図録4363cでグラフ化)。

 以下に、図録のもとになった「明治以降に起きた国内外の主な津波被害」の一覧表を掲げる。

明治以降に起きた国内外の主な津波被害
名称 年月日 マグニチュード 同Mwベース 特徴
明治三陸地震 1896年6月15日 8.25 8.0b 本州で過去最大の38.2メートルの津波。死者約2万2000人
関東大震災 1923年9月1日 7.9 7.9b 熱海で最大12メートルの津波。津波の高さ地図は図録4386参照。
昭和三陸地震 1933年3月3日 8.1 8.4b 最大28.7メートルの津波が太平洋岸を襲い、死者・不明3064人
東南海地震 1944年12月7日 7.9 8.1b 熊野灘などで6〜8メートルの津波。死者・不明1223人
南海地震 1946年12月21日 8.0 8.1b 静岡県から九州の海岸で最大6メートルの津波。死者1330人
チリ地震 1960年5月23日 9.5 9.5b 24日未明から津波が日本各地に到達。高さ最大6メートルに達し、国内の死者・不明142人、家屋1500軒以上が全壊
日本海中部地震 1983年5月26日 7.7 7.7a 秋田、青森など全国で死者104人。うち100人が津波で亡くなった
北海道南西沖地震 1993年7月12日 7.8 7.7a 地震発生直後に北海道奥尻島で最大約10メートルの津波。死者202人
パプアニューギニア地震 1998年7月17日 7.1 7.0b 推定最大15メートルとみられる津波が発生。死者約2700人
十勝沖地震 2003年9月26日 8.0 8.3a 北海道、本州の太平洋岸で最大約4メートルの津波を観測
インド洋大津波 2004年12月26日 9.1 9.1* スマトラ沖地震に伴う大津波でインド洋、アフリカ東海岸まで12カ国で死者・行方不明者28万人以上に
ジャワ島沖地震 2006年7月17日 7.2 7.7* 最大約7メートルの津波。インドネシアで死者約700人
(注)マグニチュード以外は毎日新聞(2011.3.12)による。阪神・淡路大震災はM7.3(Mw6.9*)。「東北地方の太平洋沖では、869年(平安時代)にM8.3と推定される「貞観地震」が起きた。記録によると、津波で千人以上が死亡。震源のはっきりした場所は分からないが、津波で陸地に押し上げられた堆積物が宮城県から福島県にかけて確認された。」(東京新聞2011.3.14)
(資料)マグニチュードは以下による(Mwの資料は記号であらわした)
 a 理科年表(平成23年)「日本付近のおもな被害地震年代表」:国内の地震
 b 理科年表(平成23年)「世界のおもな大地震・被害地震年代表」:海外で発生した地震
 c 理科年表(平成20年)「世界のおもな地震(2006年)」同所同日5回のうち最大の第1回目:ジャワ島沖地震同日5回のうち最大の第1回目
 * 米地質調査所(USGS)http://earthquake.usgs.gov/earthquakes/eqinthenews/2006/usqgaf/

(2011年3月14日収録、3月15日コメント改訂、3月18日エネルギー計算をモーメント・マグニチュードに統一、同日に資料を理科年表に統一、3月25日津波の高さ図を追加、3月30日旭市津波のコメント追加、4月2日津波の高さ図を図録4363bとして独立させる、2012年4月3日インド洋大津波マグニチュード8.8、9.0bから9.1*に変更、9月2日過去の海溝型地震の地図とコメント追加)


[ 本図録と関連するコンテンツ ]



関連図録リスト
分野 環境・災害
テーマ  
情報提供 図書案内
アマゾン検索

 

(ここからの購入による紹介料がサイト支援につながります。是非ご協力下さい)