ここで箸の国際比較を概観しておく。
箸を使う歴史を有しているのは、米を主食とする中国、朝鮮、日本、ベトナムなど東アジアの諸民族である。「その中でも、中国大陸や朝鮮半島の人びとが、箸と匙(さじ)を併用する「中国型箸食文化」を形成したのに対し、日本人は箸だけで食べる純粋な独自の「日本型箸食文化」を築いた」(本田総一郎「箸の文化」(週刊朝日百科「世界の食べもの」136号、1983年))。
「中原の漢民族に定着した箸は、飯や菜(野菜や具)は匙で、羮(吸い物)は箸でという「匙主箸従」の形態をとりながら周辺民族へ波及し、大陸全域に広まっていった。長江流域に箸が伝播したのは、この地域を漢が支配するようになった紀元前100年前後のことである」(同上)。
明の時代から飯を箸で食べる「箸主匙従」の食事法へと変化した。この変化の「背景には、匙より箸のほうが食べやすい長江流域の粘りのある米飯が一般化していった事実がある。ここに「箸食文化」と「稲作文化」がはっきりと習合したといえよう」。「中国のご飯の食べ方は、最初が手、戦国・前漢から元代までが匙、それ以降が箸ということになる」(同上)。「明代には南方の粘りけのある米や南方の麺類が契機となって、飯や麺を匙から箸で食べるように変化するが、この習慣も明の統一にともない、南方から北方に普及していった」(西澤治彦「嗜好を形成するもの−中国料理の事例から」(伏木亨編『
味覚と嗜好 (食の文化フォーラム)』ドメス出版、2006年))。
韓国は中国の一時代前のやり方を踏襲している。すなわち「韓国では、「匙主箸従」という漢時代の食事方法が今日も続いている。御飯は匙で食べ、汁も匙ですくって飲み、匙が食事の主役となっている。箸はキムチなどのおかずをつまむためのもので、脇役的存在である。取り箸の習慣は中国と同様に見られない」(同上)。
日本の箸は、百済経由あるいは遣隋使により中国から導入されたものであるが、それ以前にも神饌(しんせん)を神に供える祭器などとして登場し、竹や木で作られたピンセット型の折り箸が日本の箸のルーツとして天皇家の新嘗祭、大嘗祭でも使われている。2本で1膳の箸は「唐箸」と呼ばれた。ただしこのピンセット型の箸は、古墳時代までの考古学の遺物としては出土していないため、それ以降に祭礼用に創作されたものであり、日本人は手食から、直接、二本箸へと移行したと考えざるを得ないという有力な説がある(佐原真「
食の考古学 (UP選書)」1996年)。
日本の食文化は奈良時代から箸を中心に形成された。奈良時代、平安時代の一時期には、宮廷や貴族の饗宴に金属製の箸と匙を併用する中国式会食作法が導入されていたが、一般民衆の食膳には、匙はまったく登場せず、もっぱら箸中心の食生活であった。「箸と匙を併用する複雑な会食作法も、やがて平安後期には、匙の代わりに直接口につけて飲食する椀の文化が発達して廃れていき、鎌倉時代からは、箸だけで食べる純粋な箸食文化が形成されたのである」(本田総一郎「箸の歴史」(週刊朝日百科「世界の食べもの」113号、1983年))。和食では、箸で食べやすいような(すなわち箸でつまんで、ほぐせるような)食材の形、大きさ、固さに調理され、これを前提として美的に盛り合わされる。
箸や匙の使い方
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日本 |
中国 |
韓国 |
惣菜 |
大皿からは取箸で取る(直箸は家族の間のみ) |
大皿から自分の箸で取り分ける(直箸) |
ご飯 |
茶碗を手で持って箸で食べる |
置いてある椀から匙で食べる |
汁 |
お椀を手で持って直接すすり具は箸で食べる |
匙でとって啜り、具は箸や匙で食べる |
中国の箸の形状はずんどう状でかなり長く、箸先も太い。「中国料理では大皿にも取り箸がなく、各自の箸で取り分ける。寸法が長いのはそのためで、直箸を嫌う日本人とは好対照である」(本田「箸の文化」)。「中国における箸の使い方は必ずしも日本と同一ではない。中国人が口へ運ぶ際の便利さ(適度の短さ)よりも、共同の食器から取り分ける際の便利さ(長さ)を選んでいることは、中国の箸の主たる用途が共同の食器から取り分ける段階にあることを示している。中国では、持ち上げてよい食器は飯椀のみである。この飯の食べ方であるが、インディカ種のパサパサしたご飯は、箸ではつかみにくい。従って、中国人の中には、飯椀から箸でご飯を口に押し込むように食べる人もいる。先の太い箸はこうした動作に適している」(西澤治彦「
中国食事文化の研究―食をめぐる家族と社会の歴史人類学」2009年、風響社)。
中国では直箸が一般的であり、会食の主人が客に自分の箸で料理のおいしい部分を分け与えるのが、あるいは、家族の中で年長者が子どもに、友人同士が相互にそうするのが、人間関係を親密にするための作法だった。ところが2020年のコロナの流行でこれが感染拡大を促進するおそれがあるとして、共産党は国営メディアを通じて避けるようにと促しているという。「国営メディアが名づけるところの「舌防衛戦争」の目的は箸の使い方を変更させる点にある。会食者は食事を取り分けるのに取箸を使うように推奨されている。通常より長く、特別なラベルや色が付されていることが多いこの特別の箸は口をつけないものである。取箸は日本や台湾といった中国以外の箸使用社会では通常のものとなっているが、大陸中国では別の箸に持ちかえるのは煩わしいと考えられることが多く、非常に公式の会食以外ではめったに使用されていない」(The Economist April 25th 2020)。
なお、男女子ども用の3種の箸があるのは日本だけであり、韓国・ベトナム・中国は男女用を区別せず、子ども用についてもベトナムでは区別せず、中国では普及していない。従って中国では、若い娘が長い箸をもつ姿が目立つためか、「箸の下の方を持っている娘は、将来、近くに住む人に、上の方を持っている娘は遠くの人へ嫁ぐであろう」という言い伝えがある。また中国では子どもや若者などが屋外に飯椀(おかずを乗せた)と箸を持ちだして一人でまた友人と、場合によっては歩きながら食事することがある(西澤2009)。
箸の持ち方も本田「箸の文化」の写真Aや長谷川良一「食事習慣と食事作法:中国」(朝日百科同前)の写真@、台湾ドラマ(2022)、西澤治彦(2006)の下掲写真などを見る限り、中国人の箸の持ち方の日本では不適切とされる上図2番が主であるようだ。NHK放映の「
人間は何を食べてきたか 第3巻 [DVD]−「麺」特集)では、箸を使って麺を食べるアジア諸民族の様子が写し出されていたが(中国、韓国、タイ)、いずれも2番の持ち方であった。タイとカンボジアは米粉からつくった麺であったが、カンボジアの場合は匙で食べていた。
韓国の箸は銀製、真鍮製、ステンレス製が多い。李朝時代の婦人用懐刀の鞘には箸がセットされており、モンゴルの懐刀と同様の形態をとっていることから考えると、ヨーロッパと同様ナイフで食事をとり、箸でそれを補完する食事文化を朝鮮がモンゴルの影響で取り入れた可能性が高い。
なお、まな板の使用は箸の文化圏と一致しているという。「ヨーロッパや西アジアの台所には、通常、まな板がない。肉や野菜を小さく切る時は、手で持ったものをナイフで切る。...まな板の使用は、日本、朝鮮、中国の特色で、その範囲は箸の使用文化圏とだいたい一致している。従ってこの両者は複合した文化要素で、その起源は中国だと思われる」(中尾佐助「世界の台所と調理器具」(週刊朝日百科「世界の食べもの」137号、1983年))。
関連して、食卓の国際比較を試みた図録
2375(日本人の食卓の変遷)、宴会の東アジア比較(図録
8066)を参照。江戸時代の19世紀前半に外食産業の清浄さを証するために使用され始めたという割り箸については図録
7840参照。