日本における自殺者数の男女格差拡大


 図録2758では自殺は本当に増えているのかについて見たが、この図録では、自殺者数の男女比の変化について取り上げることにする。


 図録本体にふれる前に、日本の1900年以降の男女別自殺者数の推移を、まず、見てみよう。男は第二次世界大戦、高度成長期、バブル景気の時期に自殺が大きく減少したが全体的傾向としては大きな増加傾向が認められる。女の自殺は高度成長期までは男とパラレルに増減していたが、その後の動きは、男ほどの大きな振幅はなく、また全体として横ばいか減少傾向となっている。男と異なり過去最多の自殺は最近ではなく高度成長期が本格化する以前の1958年に記録されているのである。

 何か女に比べ男は景気の好い時期に妙に浮かれて、それだけ不景気に転じると反動で自信を大いに無くすようになったかのようである。

 ところがコロナ年の2020〜21年には女性のみが増加するというこれまでにない状況となった。これはコロナの影響が大きかった飲食・レジャー産業で働く非正規女性労働者の職が失われた影響と見られる。

 図には男の自殺者数を女の自殺者数で除した倍率の推移を同時に掲げておいた。戦前から戦後高度成長期までは傾向的な低下が続いたが、1969年の1.25倍を底に傾向的な上昇に転じ、近年は2003年には2.69倍にまで達している。男は女に対しては自殺が倍増したのである。また、コロナ年にはこの倍率が2倍前後へと急減したのが目立っている。

自殺の男女構造の世界的傾向

 日本では男ばかりが何故このように自殺するようになってしまったのだろうか。この傾向が日本だけの傾向ならば日本社会特有の動向に要因を探る必要がある。世界的な傾向ならばもっと大きな文明論的な要因にも考えを及ぼす必要がある。そこで世界各国の自殺数男女比についてなるべく長期的な値を計算し、その結果を冒頭の図録にあらわした。男女別自殺数は今世紀はじめから得られる基本データなのでこうした比較が可能となったのである。

 総ての国の総ての年次で1倍以上、すなわち男が女を上回っているが、驚くべきことに、男女比のレベルまたその変化幅に国ごとの差はあるものの、先進国では共通して今世紀前半には自殺数に関する男の対女倍率が低下傾向をたどり、それが、1960年代後半から70年代にかけて反転、上昇傾向に転じている。1次、2次の世界大戦中には自殺数が男を中心に急減した国が多いがこの時期を除いて推移を見てみるとなおさらこの傾向がはっきりする。

 デュルケーム「自殺論」(中公文庫、原著1897年)は当時の統計データを示しながら、19世紀後半のヨーロッパの自殺男女比について、どこでも男の自殺は女の4〜6倍であるのに英国は2.5〜2.8倍と男女の自殺数がもっとも接近しており、その要因として英国女性の教育程度の相対的な高さをあげている(p.192)。確かに図を見ても1900年近くではイタリア、スウェーデン、ドイツなどヨーロッパ大陸国の男女比は3〜5倍と高く、これは米国やオーストラリアといったアングロサクソン系の植民国でも同様である。英国のデータがある1960年代についてはこれらの国より男女比は明確に低くなっており、デュルケームの指摘を考えるとこうした相対的な男女比の低さは19世紀からの傾向だったことが分かる。

 ところが欧米諸国では1960〜70年代にかけて自殺の男女比が大きく低下し、その後、再度上昇し、近年は英国を含めて3倍前後かそれ以上となっている国がほとんどである。

 20世紀は各国とも農業社会から工業化社会(インダストリアル・ソサエティ)への転換とそれに伴う経済の高度成長、そして工業化社会から脱工業社会(ポスト・インダストリアル・ソサエティ)への転換とそれに伴う経済の成熟化、低成長シフトという2つの転換期を経験してきた(日米の転換時期は図録5242参照)。あたかも男は工業化社会には向いており、脱工業化社会には向いておらず、女はその逆であるかのようである。

 20世紀の工業化社会では計画経済に有効性が認められて社会主義経済が生まれ、他方で、資本主義経済においても大企業による組織的な経営が主流となった(経営史家のチャンドラーはこれをインビジブル・ハンドの時代からビジブル・ハンドの時代への転換と捉えた)。工業化社会では計画性、組織性が非常に重視されたのである。

 ところが情報化、デジタル化、ネットワーク化が進む脱工業社会では下手な計画性に意味が薄れ、ヒトへの進化をとげた長い狩猟採集時代の中で、狩猟を分担したため養われた男性特有の「計画能力の高さ」より、採集・子育てを分担したために養われた女性特有の「状況対応能力の高さ」の方が有効性を増した(NHKスペシャル取材班「女と男 〜最新科学が解き明かす「性」の謎〜」角川文庫、2011年)。機械化によって男女の体格差の意味が薄れ、過酷な職場にも女性が進出するようになったように、時代の変化への適用にも全体的にこのような男女の落差が生じ、これが自殺の男女格差の拡大につながっているといえよう(人類学的な男女の能力差に関する理論は西田利貞らの説によった図録1019参照)。

 AI時代に入るとさらに女性の能力の方が生きてくるという考え方がある。数学者でAI研究者の新井紀子氏はこう言っている。「AIでは絶対に代替できない仕事の多くは、女性が担っている仕事です。介護しかり、子育てしかり。だって、そうでしょう。狩りをするのはGPSと物体検出を搭載したドローンに代替させられるかもしれませんが、子育ては汎用AIが登場したとしても、最後まで人間がすべき高度知的労働として残ります。けれども、男性社会は女性が担っているというだけの理由で、介護や育児やアノテーション設計のような知的な仕事の担い手に対して、十分な地位と対価を支払っていません。でも、まぁ、それもAIが広がるまでのことです」(「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」東洋経済新報社、2018年、p.259〜260)。

 工業化社会では、同時に、男が外で働き、女は家庭を守るといった家族像が理想とされたがこうした理想が少しでも実現する中で戦後しばらくの時期までは男も自信を深めた。ところが脱工業社会の到来とともに家族の形態が多様化し、単純な理想が崩壊する中で男は大きく自信を失ったかのようである。

 米国、オーストラリア、カナダといったアングロサクソン系の英語圏諸国では、男の自殺数の対女倍率は3倍以上と依然として高レベルであるにしても、最近、この倍率がその他の諸国と異なり減少傾向に転じている(アングロサクソン系でも本家英国は例外)。こうした諸国ではプロテスタント的考えにもとづき男女平等、女性にも前線兵士となってもらい、男性だけが家族や社会に責任を持たなければならないという考えを改めつつあるため、再度、変化が生じているようでもある。日本の値も最近やや低下気味であるが、英語圏諸国と同じ理由でないとは言い切れないだろう。なお、痩せか肥満かという体格の変化にもアングロサクソン系の国民は男女差がない点が目立っている(図録2200c参照)。

 我が国において図録2758でふれたように自殺は増えているとは必ずしもいえないが、生産年齢の男の自殺は高齢者や女の自殺が減る中で大きく増加しており、実は、これが自殺の増加として社会的に認知されている可能性が高い(高齢者の自殺率の急減については図録2760)。自殺問題に対して単独の社会問題として取り組むことも重要であるが、社会保障の対象年齢別バランスの問題や時代変化への男女の適合性の問題としても捉え直す必要があろう。

(2015年10月17日収録、2019年7月1日新井紀子著から引用、2023年2月8日更新)


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