統計モラリストの楽しみ

平成27年度埼玉県統計功労者表彰式記念講演
(2016年2月4日 浦和コミュニティセンター多目的ホール)

1.統計モラリストとは

 ご紹介いただきましたアルファ社会科学株式会社の本川裕です。

 私はシンクタンクで統計調査の結果データを扱う仕事を長くしており、現在、立教大学で社会人大学院生を相手に、調査活動の中で、統計データをどのようにうまく利用すべきかというような授業も行っております。また、何冊か統計データの読み方のような本も書いています。そんなことで今日皆さんの前でお話していると言う訳です。

 演題についてですが、「統計モラリスト」というのは何のことだ疑問をもつ方もおられるのではないかと思っています。一般的な用語ではないので解説が必要かもしれません。

 モラリストとはここでは道徳家という意味ではなく、ナチュラリストと対になる言葉です。ナチュラリストは博物学者とも訳されるように、自然主義者というより昆虫採取マニアなど積極的に自然に親しんで自然の動植物を観察・研究する人を指します。進化論で有名なダーウィンももともとは生物学者というよりは自然観察家であるナチュラリストの一人でした。同じようにモラリストは道徳主義者という意味だけでなく、モンテーニュ、パスカル、ゾラなど現実の人間の習俗を観察する作家や思想家を指す言葉です。ここでモラルとは習俗、人間の興味深い生態のことを指します。私は統計で人や社会の生態を観察する統計モラリストだと考えているわけです。こういう言い方で何を云いたいかについては最後にもう一度触れたいと思います。

 私の統計データとの関わりは、行政マンや学者、あるいはシンクタンクの研究員と共通しているところもありますが、私だけの珍しいパターンの関わりもあります。この点について、私がお話する内容を理解しやすくするため、私が統計データとどのように関わってきたかを、まず、お話しましょう。

2.統計データマニアとなるまで

 私は農業経済という学問分野を大学、大学院で専攻しました。農業分野は、農家や農地、作物、家畜などに関するものなどの統計調査が数多いことで知られており、農業を勉強するため統計表を見る機会が多くなりました。例えば、履修単位として農村調査が必修でしたが、農村調査に出掛ける前には、農業センサスで専業農家が何軒で、兼業農家が何軒かというような調査対象地区の状況を調べるということもありました。

 今のようにインターネットが発達していなかったので大学の図書館で統計書を調べることが多くなりました。そのうちに農業分野だけでなく、国勢調査やその他の各種の統計調査についてもこんな調査をしているのかと「面白いなあ」と思っていろいろと統計書を調べてみるのが趣味になりました。統計書は、今みたいに結果がグラフになっていたりすることは少なく、数字自体が表になって並んでいるに過ぎないので、普通考えると、面白い筈はありません。ただ、私の場合は、女性の20代前半の未婚の女性が3,121,468人(昭和50年国勢調査)というような数字を見ると、私と結婚するかも知れない適齢期の女性が、こんなにいるんだと妙に数字にコーフンするのです。こうして統計マニアのようになって行きました。

 かつて経済系シンクタンクの老舗として国民経済研究協会という財団法人がありました。大学院生だった私は、調査に馴染みがあるということで、ここが行っている高速道路や本四架橋の影響調査に駆り出されることになりました。

 このシンクタンクはのちに産経新聞の社主にもなった稲葉秀三という人が戦後すぐにつくった研究機関です。彼は、第2次世界大戦の際に、日本の国力に関する各種データを使った率直な調査を行い、日本が勝つのは難しいという結果を得ました。ところが、これが軍部に嫌われて投獄された経緯から、データを軽視した予測や計画はろくなことにならないことが分かり、これを示すために設立したのが国民経済研究協会です。そのためか、この研究所は統計書を、何種類も定期的に入手し、過去のものも、沢山、所蔵していました。地価の高い青山タワービルのワンフロアに研究所はあったので、今から考えると、もったいない話ですが、研究員の研究スペースに匹敵するぐらい統計書の所蔵スペースがあったのです。

 こりゃあいいや、と私は思いました。この研究所に行って仕事をしていると、すぐ近くで統計書を見放題なのです。私の趣味にぴったりなのです。そこで、いくつもの調査のお手伝いを長くするようになりました。当時の学生運動のせいもあったのですが、いつしか大学の先生になるという考えは、頭になくなり、こうした統計書に囲まれて仕事をしていきたいと思うようになりました。そしてその研究所の研究員になりました。研究所の仕事は、大きく、経済予測と受託研究の2種類からなっていました。私は受託研究の方の部署に所属していました。自治体や官庁などから調査を依頼されて、文献調査、現地調査、アンケート調査、統計データによる調査を組み合わせて、報告書を作成するのが仕事です。

3.社会実情データ図録の制作

 そのうちにこの研究所も財政が厳しくなりました。バブルが崩壊し、毎年会費を払ってくれる企業会員が最盛期700社あったのが100社まで減少し収入が減ってしまったからです。組織のリストラを行い、青山から飯田橋に事務所を移して、何とか、仕事を続けていたのですが、2004年に解散となり、私は最後の常務理事として解散の事務を扱いました。

 さあ、失職後、どうしようかと言うことになりました。そこで私が考えたのは、いい機会だから、私個人のライフワークのような仕事を新たに立ち上げることを考えました。今から12年前(2004年)のことですが、当時、インターネットが急速に普及した時期に当っており、私も、ウェブを使って、それまで仕事上で見つけた面白い統計データをグラフにして情報発信しようと考えました。

 スクリーンに映したのが、そのときつくって、現在まで、更新を続けている「社会実情データ図録」サイトのトップページです。トップページは、新しく作成したり、更新したりした図録ページの一覧表です。図録のコード番号をクリックすると各図録ページにジャンプします。

 世界のコーヒー消費の図録を見ていただきましょう(図録0478参照)。これは国連のFAOという機関のデータをグラフにしたものです。北欧のコーヒー消費が多いことが分かります。アジアでは日本と意外なことにラオスのコーヒー消費が多いことも分かります。アラビアコーヒーという名が有名なように最初は中東でコーヒーの消費が盛んになったのですが、今では、中東ではお茶に取って代わられたということも分かります。図の下には、こうしたコメントが入ります。

 こんな図録ページが沢山ぶらさがっているサイトなのです。つくりはじめたときには、100ぐらいの図録ページだったのですが、その後、週に2ページ、最近は、週に1ページの新規収録のペースでページを増やし、今では、1400ページぐらいまでに増えました。最近は新規収録より、新しい年次の統計結果が発表され過去のデータを更新する方が大変になっています。

 ページにはグーグルのアドセンス広告をつけています。ここですね。図録ページの内容と関連する広告が表示されます。ここをクリックしてくれる人がいると私に何がしかの広告料が入るわけです。以前は結構な収入になったのですが、最近は、環境が変って、ほんの小遣い程度しか、この広告による収入はありません。その代わり、このサイトを見た人から統計データを本や雑誌の連載にするお話が出たり、今度のように講演を依頼されるということが増えました。

4.図録紹介

 図録からいくつか統計データを紹介しましょう。

 まず、単純に、数字そのものが興味深いというデータです。敬老の日に向けて発表される百歳以上の高齢者の人数の推移を掲げました(図録1163参照)。20年もたっていない1997年にはまだ1万人以下でした。これが、昨年は6万人を越えています。少し前までは珍しい存在だった百歳以上の高齢者は今では珍しい存在ではなくなったことが、如実に分かります。ちなみに男女比は圧倒的に女性優位ですね。

 次は、皆さんのうちにも担当した方がいらっしゃるかもしれません。総務省統計局の家計調査の結果データです。対象者に家計簿をつけてもらう調査なのでいろいろなものの消費の状況が分かります。県庁所在地別の消費量をグラフにしたものです。醤油とソースを取り上げています(図録7740参照)。醤油の消費は東北で多く、ソースの消費は西日本で多いことが分かります。醤油は山形が最も多く、ソースは広島が最も消費量が多くなっています。このデータをもとに醤油とソースの消費の関係を見たのが次のグラフです。ソースが多くて醤油が少ないソース派の地方、逆に、醤油が多くてソースが少ない醤油派の地域があります。前者は、広島、大阪、岡山など西日本の地域です。後者は、山形のほか、水戸、仙台、秋田など東北の県庁所在地が多くなっています。ところで、両方とも多い地域や両方とも少ない地域もあります。両方とも多い地域は余り多くありませんが、両方とも少ない地域は結構あります。典型は、沖縄の那覇です。

 もうひとつは、パチンコ屋さんの売上高のグラフです(図録5670参照)。以前はサービス業基本調査、最近は経済センサスやサービス産業動向調査で調べられています。この図録を最初に作ったときは、パチンコ屋さんの売上が日本人の医療費全体より多かったりした時代です。そんなんでよいのか、ということをいいたい気もありました。2011年には東日本大震災で自粛ムードで落ち込みましたが、2012年にはなお27兆円の規模を誇っています。医療費は高齢化とともに拡大していますので、かつてのように逆転することはないでしょうが、それでも巨大な規模です。

 こんな感じで、主として統計データを中心に興味深いグラフを作って皆さんに見てもらうのが私の仕事です。これは私にとっては、結構、楽しい仕事です。

 統計調査には大変な人力と多くのお金がかかることは、統計調査員の皆様はよくご存知のことだろうと思います。何も、私のような統計マニアのために統計調査が行われている筈はありません。統計調査が何故行われているかを少し考えてみましょう。

5.統治の手段としての統計調査

 統計調査は、発祥を言えば、統治の道具です。秀吉が全国的に行った「検地」、いわゆる「太閤検地」がよい例です。家来になった大名からの自己申告に頼っていると正しい徴税や人馬の徴発、土木工事の割り当てができません。徴税や戦力、労力の供出をきらって過少申告する者がいるでしょう。逆に、出世の為、あるいは格が高いことを見せかけるため実際より大きな石高を申告する者もいたかもしれません。配下の戦国武将の間の不公平が生じると、反旗を翻す理由ともなりかねません。そこで、調査員を派遣して、同一基準、文字通りの同じモノサシで農地の面積を測り、収穫高を土地の肥沃度に合わせて査定します。土地の持ち主との癒着が生じないよう、独立した調査機関である子飼いの武将によって調査させます。こうして石高制と言う近世の政治体制の基本ができました。こんなことが統計調査の原型だと私は考えます。大変なお金をかけるだけのことはあった訳です。

 民主主義の時代に入ると、自分たちが選んだ政治家がつくる法律に沿って、自分たちが選んだ政治家の指示のもとで、国の役人や県の職員が調査員を募って調査するようになり、いはば、自分たちのために自分たちを統治するというかたちに変化しましたが、統計調査の基本は現代でも同じだと思います。

 国勢調査で調べられた地域別の人口は選挙区区割りの基本となり、国が集めた税金の中から県や市町村に再配分する地方交付税の算定の基本となります。村や町から市への昇格なども国勢調査の人口が基本となります。本当は住んでいない住民までカウントし、人口を水増しすれば、その地方の財政が豊かになったり、市町村の権限が大きくなったりします。こうした算定基準は完全比例でなく、何人以上と以下という規模別で行われることが多いため、4万9999人と5万人だと大きな差が出てきます。そのため水増しの誘惑が生じる。たまに統計調査で不正が生じるのはこうした理由からでしょう。

このため統計法では基幹統計という重要な統計調査に関しては、罰則が設けられています。調査の対象となる国民が調査に応じなかったり、正しい情報を申告しなかったりした場合は罰則の対象となります。ただし、本当に厳しい罰則は、調査する行政側のインチキの方に設けられています。これも公平な統治、ガバナンスを確保するための仕組みです。

 ときどき警察が発表する犯罪件数や交通事故件数などでも、警察署の成績をあげるために、数字の操作が行われたというような報道がなされます。そして関係者が戒告処分や降格になったなどの内部処分を受けることになります。警察の統計などは、国勢調査などとは異なり、調査統計ではなく業務統計と呼ばれます。数字を調べるために独自の調査が行われるのではなく、業務を行っているうちに集積されたデータを統計としてまとめているに過ぎないからです。こうした業務統計では数字のインチキが生じがちなのです。私は大学で業務統計は怪しいので調査統計の方を頼るべきだと教わりました。だから、今でも、同じ雇用状態を示す統計でも、有効求人倍率を発表するハローワークの業務統計を軽んじ、調査統計である労働力調査の失業率の方を重んじているぐらいです。今ではそんなにひどい業務統計はないんですが、何となくそんな感じになります。

 ところで、犯罪統計を基幹統計にしてしまえば数字の不正は防げます。不正を行った関係者は内部処分では済まず、犯罪者として処罰されるからです。警察の内部で犯罪者が出たら大変なので数字のインチキには敏感になるでしょう。業務統計は基幹統計になじまないという意見があるかも知れません。しかし、出生や死亡など人口の変化に関する基本統計である厚生労働省の人口動態統計は基幹統計です。これは戸籍法にもとづき市町村に出さなければいけない出生届や死亡届などを集計したものであり、業務統計に近いものです。警察統計が本当に大事な統計なら基幹統計にしてしまえばよいのです。

 統治の手段といいましたが、民主主義の時代の現代では、政策の手段といいます。政策の資料として統計データが使われる例をひとつだけ挙げましょう。

 スクリーンのグラフは学校教育費が各国のGDPの何%を占めているかの国際比較です(図録3950参照)。日本は最低レベルになっています。特に公費支出が先進国の中で最も低い状況です。文部科学省はこのデータを挙げて学校の先生の増員を主張しています。マスコミなども文部科学省を応援しているようです。さて、もうひとつのグラフは、このデータを各国の15歳未満の年少人口比率と相関させたものです。学校教育費が少ないのは対象となる子供の数が少ないからだということが分かります。財務省は文部科学省の主張に対して、全く同じではありませんが、同様のデータを示して、むしろ学校の先生の縮小を主張しています。例えば、こんな感じで政策決定のために統計データが使われるわけです。

 話が脱線しましたが、統計は、統治の手段になったことから発達したのは確かです。しかし、今では、統計調査は単なる統治の手段という範囲を超えた役割がますます重要となっています。それは、社会観察の手段という役割です。

6.社会観察の手段としての統計調査

 アンケート調査や意識調査、マーケティング調査などが行政ばかりでなく、企業活動や住民活動の一環として行われており、調査票を使った社会調査は花盛りです。それだけ社会データについての需要があるということです。しかし、調査にはお金や労力がかかります。行政が行う統計調査は民間調査に比べて税金を使って大規模に、持続的に、しかも科学的に行われているため、民間調査とは比較にならないほど貴重なデータを得られます。

 統計法では基幹統計の結果はすみやかに国民が見やすい形で公表することを調査機関に義務づけています。調査された人にはどんな結果になったかを知る権利があるということもありますが、統計調査の結果は、統治の手段としてだけでなく、学術目的、企業活動、まちづくり、社会貢献など、多方面の様々な人が活用する社会観察の手段となっているからです。いはば、統計は国民が自分たち自らを知るための重要な手段となっており、そうした意味で国民全体の財産となっているのです。

 こうしたことからインターネットの発達を受けて、統計調査の結果は、基幹統計は義務的に、その他の一般統計でもできるだけ、各省庁のウェッブ上に公開されるようになりました。私が統計調査の結果に興味を持ち出した大学生の頃には、数字を知るために、図書館で統計書を渉猟したものです。いまは、インターネットでだいたいの統計データは入手できます。

7.観察の実例

 最近、女性医療の雑誌の寄稿依頼をキッカケに観察した統計データを紹介しましょう。

 これも皆さんが活躍された統計調査かも知れませんが、厚生労働省の国民生活基礎調査という世帯を対象とした統計調査があります。毎年行われているのですが、3年に1回は大規模調査の年であり、この時には健康に関するデータが本格的に調査されます。

 雑誌の原稿では、女性高齢者の幸福度を調べるということでしたので、細かい男女年齢別に精神面が良好かどうかを集計した結果をグラフにしました。スクリーンではみにくいと思い配布した資料にプリントアウトしていますのでこちらをご覧下さい。

 (注)の解説にも触れておきましたが、国民生活基礎調査の調査票では、健康状態を6つの設問で聞いています。「絶望的だと感じていますか」や「気分が沈みこんでいますか」といった質問です。全部の問の合計点数を計算し、点数が0〜4点と低い人の割合を「精神状態良好」のパーセントとしてグラフを描いています。すべての年齢で男性の方が女性よりやや精神状態が良好です。うつ病になる人も女性の方が多くなっています。

 次に年齢別の変化を見ると、付記した数字は女性のものですがほぼ男性も平行して変化しています。10代では70%だったのが20代に入ると60%台に低下します。そのまま働き盛りや子育ての年代には、いろいろ生活上の悩みやストレスが多いためか、低いまま推移します。ところが、50代に入ると精神状態は良好の方向に変化し、定年年代の60代ではまた10代の頃の快活さを取り戻します。仕事や子育てなど生活上の悩みが小さくなるからだと思われます。さて、そのまま良好なまま推移するかと思いきや、さらに70代、80代と再度精神状態は暗いほうに変化します。健康問題から日常生活に影響がある人の割合を図に付記しました。ちょうど高齢者と呼ばれる65歳以上になるとだんだんと年を取るにつれて、健康状態に問題ありの病気の人は増えていきます。精神状態もそれに影響されて快活とだけはいえなくなるのでしょう。

 これが平均的な日本人の年齢に伴う変化だといえます。

 よく行われている意識調査はせいぜい1000票から3000票ぐらいなので、こんなに細かい男女・年齢別の集計は誤差が大きくなるのでできません。30万世帯、74万人を調べている国民生活基礎調査の大規模調査ならではの結果なのです。

 同じ調査で、入院者を除いた人に、通院しているか、通院しているならばどんな病気やケガでかをきいた設問があります。もう一枚のグラフには、こうした傷病別の精神状態への影響を示したグラフを掲げました(図録2107参照)。こんなグラフが描けるのも、大規模調査のお陰です。

 通院していない人は精神状態良好が70%以上ですが、通院している人は、すべてそれより精神状態の良好度が低くなっています。やはり病気をしていると気分はよくないのが普通だということが確認されます。さらに病気やケガの種類によって、精神的な影響は異なります。図によれば、日常生活への影響度の高い病気ほど精神状態の良好さを失わせる傾向があることが分かります。右下がりのパターンからそれがうかがわれます。

 痛風や高血圧症の場合は、日常生活への影響もほとんどありませんが、そのため精神状態も通院していない人と同程度なのです。逆に、精神や神経の病の人は日常生活への影響が大きく、また当然ともいえますが精神状態は最悪に近くなります。うつ病や認知症は精神上、生活上、深刻な事態をもたらすことがうかがわれます。

 がんと骨折を比較して骨折の方が、精神上、生活上でダメージが大きいという結果が出ています。これは少し意外です。しかし、これらの傷病の値は平均した値であり、がんの場合も、深刻な人も軽微な人も含まれており、軽微な人は日常生活も精神上はそれほどのダメージはないようです。骨折の方が動けなくて仕事ができず精神上も大変ということなのでしょう。

 病気やケガは誰でも関心があることなので、このデータは、多くの人にとって興味深いデータといえるでしょう。このデータが何に役立つかは分かりません。しかし、これを知ることが出来るのは有意義なことだといえるでしょう。

8.おわりに

 データに基づいた合理的な行政の道具としてだけでなく、人々が自分や自分が属する社会を知るための道具としての統計の役割がますます重要となっています。統計は手段というよりそれ自体が目的とさえいえるようになっているのではないでしょうか。

 自分を知るというのが統計の大きな役割だといえますが、方法には、学問的な方法とマニア的な方法とがあります。学術論文に統計データが使われるときは学問的な方法で統計が使われているといえるでしょう。私の仕事は余り学問的ではありません。むしろマニア的です。

 私は冒頭述べたような意味で自分を「統計モラリスト」と考えています。シンクタンクでの仕事で行政の道具として統計を扱うことが多かったのですが、今は、自分たち日本人はどんな生き方や考え方をしているのかを観察する統計モラリストとしての仕事が中心になっています。統計が発達したという恵まれた環境ならではの有意義な楽しみが生れているのです。これも皆さんのご活躍があればのことであり、皆様に感謝の言葉もありません。

 こうした私の歩みと経験をお話ししてきました。統計調査の大切さが意外なところにまで広がっていることを知っていただけたなら幸いです。

 ご清聴、感謝いたします。有難うございました。