ユダヤ人がどの国に居住しているかを調べるとユダヤ人総人口1,517万人のうちイスラエルに687.1万人、米国に600.0万人と合わせて85%はこの2国に集中していることが分かる。2010年にはこの割合は81%だったので、集中度は上昇している。

 その他では、これら2国の10分の1以下の規模であるが、フランスの44.6万人、カナダの39.4万人、英国の29.2万人と続いている。

 各国人口に占めるユダヤ人の比率としては、イスラエルの73.93%はイスラエルがそもそもユダヤ人の母国として設立されたことから例外的に高いが、それ以外では、米国が1.82%、カナダが1.03%、フランスが0.69%、ハンガリーが0.48%、ウルグアイが0.47%、オーストラリアが0.46%、英国が0.43%、アルゼンチンが0.39%と続いている。

 米国のユダヤ人は人口比以上に大きい政治的、経済的な影響力を有しているが、近年、米国ユダヤ社会の中で、イスラエル政府の利益を代弁する保守的勢力とイスラエル政府に批判的な若者を中心とするリベラル勢力との間に亀裂が広がっているという(巻末コラム参照)。

 現在のユダヤ人人口の分布は歴史的な経緯をもっている。以下に参考図としてユダヤ人人口の地域別構成の推移を掲げた。


 イスラエル建国以前の1900年段階ではユダヤ人人口の多い地域は、多い順に旧ソ連、東欧・バルカン諸国、西欧であった。

 ロシアにおけるポグロム(ユダヤ人に対する集団暴力行為)が1881‐84年、1903‐06年、1917‐21年と3波にわたって多発した。このため、推移図では1939年にかけて旧ソ連のユダヤ人人口は減少し、代わって北米や東欧・バルカン諸国が増えている。

 その後、ナチスがドイツの政権を握り、侵攻先の東欧地域でユダヤ人の大量虐殺(ホロコースト)を行ったため、ユダヤ人全体の人口は500万人以上の減少を見ている(コラム参照)。この結果、地域別には東欧・バルカン諸国のユダヤ人人口が急減した。

 戦後の大きな動きはイスラエル共和国(1948年成立)への旧ソ連・東欧・北アフリカなどからの移住が拡大した点である。下図の通り、建国当時、及びソ連崩壊後の移住の多さが目立っている。


 イスラエルとパレスチナの人口推移・出生率・流出入率は図録9240参照。現在のイスラエルのユダヤ人とアラブ人の割合やイスラエル・ユダヤ人の出生地割合については、イスラエルを含む中東諸国の民族構成を示した図録9284参照。

 戦後、ユダヤ人の総人口は増加しているが、なお、ナチスの虐殺前の1600万人以上の水準には回復していない。なおユダヤ人の出生率はイスラエルにおいては他国居住のユダヤ人と比較してかなり高くなっている(図録1025参照)。

 ヨーロッパでフランスのユダヤ人がもっとも多い理由は、フランス革命で世界に先駆けてユダヤ人に市民として生きる権が与えられ、「その結果1808年には、唯一の公認ユダヤ人団体として長老会(コンシストワール・イスラエリット)が設立。(中略)そして1860年、こうして「解放」されたフランスのユダヤ人が中心となって世界ユダヤ教連盟がパリで結成され、フランス外のユダヤ人たちの支援にまで乗り出す」(清岡2012)という経緯があるからである。ここでイスラエリットとはユダヤ教徒であることを私生活に限定し、フランス社会に同化していったユダヤ人のことをさす。こうしてドイツ・東欧系のアシュケナジム・ユダヤ人でもフランスに移住したものが多い。そのうえ戦後にはマグレブ地域(アルジェリア、モロッコ、チュニジアといった旧仏領北アフリカのフランス語圏)からセファルディム系のユダヤ人も多くフランスへ移住した。パリのユダヤ人街としてはマレ地区(3区・4区)が有名であり、ドイツ系ユダヤ人のアドルフ・ダスラーが創業者であるアディダスのアンテナ・ショップもここに立地している。

 フランスにおける最近のユダヤ人の動きとしては、右図のように、フランスを脱出してイスラエル移住するユダヤ人が増加している点が目立っている(東京新聞2015.1.27)。これは、フランス国内の反ユダヤ主義の高まりに加え、2014年7〜8月にイスラエルとパレスチナ武装勢力との戦闘でパレスチナ側にはイスラエルより二桁多い2000人以上の死者が出たことがこの動きをさらに加速させ、ユダヤ人襲撃事件などを増加させたためと見られる。イスラム過激派による連続テロ事件として2015年1月9日にパリで発生したユダヤ系スーパー立てこもり事件も同一線上の動きともとらえられる。「仏政府はユダヤ関連施設への新たな襲撃を警戒。事件後、全国の学校や教会に兵士ら計4700人を配備した。(中略)危機感を募らせるバルス首相は今月13日の国会演説で「反ユダヤ主義の復活は民主主義の危機だ。ユダヤ人のいないフランスはフランスではない」と強い口調で訴えた」(同上)という。その後、2月14〜15日にもデンマークの首都コペンハーゲンでも「表現の自由」をめぐる討論会会場とユダヤ教礼拝所(シナゴーグ)が銃撃され二人が死亡するという連続テロ事件が起こった。ここでもユダヤ人が標的とされたことから、「欧州のユダヤ人社会に再び同様が広がる中、イスラエルのネタニヤフ首相は、欧州からイスラエルへの移民を呼び掛け、多文化を重視してきた欧州の分断に懸念が高まっている」と報じられている(東京新聞2015.2.17)。「デンマーク国内のユダヤ教徒は約6400人で、人口の0.1%。フランスの0.7%、英国の0.4%と比べると高くないが、歴史的にユダヤ人への寛容が重視されてきた。ナチス支配下にあった戦時中、ナチスによるユダヤ人迫害に唯一、国家規模で抵抗。自国にいたユダヤ人数千人をかくまい、中立国のスウェーデンに海路で送り込んで助けている。(中略)16日に記者会見したトーニングシュミット首相は「ユダヤ人は私たちの社会の強固な構成員だ。国内のユダヤ人社会を守るためあらゆる手段を尽くす」と強調した」(同上)。

 最後に、ヨーロッパの国民の対ユダヤ人観についての意識調査結果を掲げた。反ユダヤ感情は、英国、フランス、ドイツといった主要国では小さいが、ギリシャ、あるいはポーランド、ハンガリーといった東欧では、相対的に大きいことが分る。世界で3番目にユダヤ人の多いフランスでは、親ユダヤが89%を占めており、ユダヤ人にとって暮らしやすいことがうかがわれる。参考までに対イスラム観についての同様の意識調査結果も掲げておいた(図録9030参照)。イスラムやロマ(ジプシー)と比較するとユダヤ人の評判はよい(対ロマ観については図録8596)。イスラム過激派のユダヤ人襲撃にはイスラム系住民の不公平だとの感覚に訴えている可能性もある。もっともこの調査は2014年7〜8月のイスラエルによるパレスチナ攻撃後だが状況は変化していない。

 この調査でロシアにおける反ユダヤ感情は特に大きいようには見えるが、ウクライナ戦争で反ユダヤ主義の高まりの可能性を懸念してユダヤ人のロシアからの国外流出が続いているという。「昨年末、英紙を通じてユダヤ人にロシアから去るよう呼び掛けたのは元首席ラビのゴールドシュミット氏だ。同氏はウクライナ侵攻で社会混乱が広がれば、ロシア国民の不満と憎悪はユダヤ人に向くと予想。キリスト教世界で差別を受けてきたユダヤ人らが「スケープゴートになる」と懸念した。ロシアでは昨年2月のウクライナ侵攻後、わずか半年でユダヤ系の約2万500人がロシアから逃げ出した。16万5千人と推定される同国のユダヤ系住民の12%に相当する。ゴールドシュミット氏によれば、「ロシアの国家権力は政治体制が危機的状況になると、大衆の怒りと不満をユダヤ人社会に向けようとしてきた」という。現在のベラルーシやポーランド、ウクライナを含むロシア帝国の各地では十九世紀から二十世紀初め、ユダヤ人への集団的迫害「ポグロム」が起きた。英BBC放送はユダヤ人社会の現状について「迫害を受けた歴史の亡霊がよみがえり、人々の心に影を落とした」と分析した」(東京新聞、2013年1月16日夕刊)。

 図に国別ユダヤ人人口を掲げたのは25カ国、具体的にはイスラエル、米国、カナダ、アルゼンチン、ブラジル、メキシコ、チリ、ウルグアイ、パナマ、フランス、英国、ロシア、ドイツ、ウクライナ、ハンガリー、オランダ、ベルギー、イタリア、スイス、スウェーデン、スペイン、オーストリア、オーストラリア、南アフリカ、トルコである。

【コラム】米国ユダヤ人社会をめぐる亀裂

米国ユダヤ人社会

 米国在住のユダヤ人は、総人口(約3億人)の約2%を占める。一方、米議会のユダヤ系議員は全議席の約5%。政財界の有力者も多く、昨年の米誌長者番付では、トップ50人のうち2割がユダヤ系だった。政治参加の意識の強さから、有権者登録、投票率ともに高いことで知られる。伝統的に民主党支持者が多く、2008、12年の米大統領選では、米ユダヤ人有権者の7〜8割が同党のオバマ大統領に投票した(毎日新聞2016年7月10日)。

 米国のユダヤ社会は囲い記事のように米国社会で大きな影響力をもつ勢力であるが、立山良司氏によれば、近年、「二重の亀裂」が進行中であり、それが、主要政党で本格的な指名争いした初のユダヤ系候補のバーニー・サンダーズ氏が、イスラエルの占領政策や米国のイスラエル寄りの姿勢を批判しながら善戦する結果を生じさせたと指摘している(毎日新聞2016年7月10日)。

 二重の亀裂とは、ひとつに、米国ユダヤ人の多くがリベラルで人権を重視するのに対して、イスラエルのユダヤ人社会がますます右傾化し、占領を当然視しパレスチナ問題の解決にも消極的であるという亀裂であり、もうひとつは、米国ユダヤ人社会内部で、若者を中心にイスラエル政府への批判が高まり、若者が支持する「Jストリート」のような新しいロビー組織が登場しているのに対して、米国イスラエル公共問題委員会(AIPAC)などのイスラエル・ロビー派がイスラエル政府の行動に無批判な支持を与えている亀裂である。

 こうしたユダヤ社会の亀裂が、イラン核開発合意にAIPACが激しいロビー活動を通して断固反対したのに合意が成立しAIPACの歴史的敗北という結果にむすびついたとされる。

 以上は2016年段階の記事であるが、それ以降も基本的には状況は変わっておらず、2023年10月以降のハマス奇襲へのイスラエルの過剰防衛とも言えるガザ侵攻に対して、米国ではユダヤ社会でも若者を中心に批判的な声が上がっているという。以下に米ピューリサーチセンターが行った意識調査から米国のユダヤ人のイスラエル観について掲げた。ネタニヤフ首相のリーダーシップに賛成であるのは65歳以上でも45%と半数以下であるが、19〜29歳では32%と3分の1以下である。イスラエルの占領政策などに抗議するするBDS運動についても19〜29歳は27%しか反対していない。さらに、イスラエルの地は神がユダヤ人に与えたものという考えのユダヤ人は旧世代でも3分の1に過ぎないという点は頭に置いておくべきことだろう。


【コラム】ユダヤ人の区分

 古代パレスチナを去って離散(ディアスポラ)したユダヤ人は移住先によってアシュケナジム(ドイツ・東欧系)、セファルディム(スペイン系)、ミズラヒム(アジア系)に大別される。これらの特徴は平凡社の世界大百科事典やマイペディアによると以下の通りである。

1.アシュケナジム

 イディッシュ語を使用するドイツ系ユダヤ人であり、イベリア半島のセファルディムとともに中世以降のユダヤ人世界を2分した。この2分は,今日のイスラエルで首席ラビ職が2人おかれていることに象徴される。その宗教態度は根本主義的・厳格主義的傾向を示す。

 15〜16世紀から西欧から東欧へ移住。その後、東欧・ロシアで繰り返されたユダヤ人へのポグロム(集団虐殺)により西欧、米国、オーストラリア、南アなどへ移住が拡散した。

 シオニズム運動の推進役をつとめ多くがイスラエルに移民した。同国ではセファルディムと比較して教育・文化水準が高く指導的な役割を担っているとされる。

2.セファルディム

 スペイン・ポルトガルに移住したユダヤ人。ラディノ語を話す。アラブ・イスラム文化にも同化。

 1492年の非改宗ユダヤ人追放令により15〜20万人が北アフリカ、イタリア、オスマン帝国に移住。テッサロニケがセファルディムの中心地となる。

 改宗「隠れ」ユダヤ人(コルベルソまたはマラーノ)は16世紀にオランダ他へ移住。

 第2次世界大戦前にはユダヤ人1650万人のうち150万人以下と少数派だったがナチスによる虐殺(ヨーロッパ全域で510万〜650万人が殺害されたいわゆるホロコースト)でアシュケナジムが主たる対象となったのでその後シェアは拡大。社会的にはアシュケナジムと比較して下層にある。

 経済学者のデヴィッド・リカードは、セファルディム系ユダヤ人の家に生まれた。

 ポルトガル出身の父の家系は、16世紀初頭の異端審問を逃れてイタリアに渡り、1662年頃、当時急成長しつつあった金融センターのアムステルダムに移った。父エイブラハム・リカードは1760年にアムステルダムからロンドンに移住し、アビゲイル・デルヴァッレと結婚した。

 アビゲイルの一族は、1656年に英国でユダヤ人の居住が正式に認められた直後にロンドンに移住しており、デルヴァッレという姓はスペイン系のルーツを思わせる。1772年、少なくとも17人いた子どもの3番目としてデヴィッドが生まれる頃には、エイブラハムは市民権をとり、株や債券の売買で財をなしていた。そしてデヴィッドが11歳になるとアムステルダムに送って2年間勉強させたのち、家業を学ぶため英国に呼び戻した(以上、リカードの出身についてはダイヤモンド・オンラインの記事から)。

3.ミズラヒム

 セファルディムという言葉でアシュケナジム以外のユダヤ人を広く指す場合もあり、その場合は、その中でイスラム圏に居住した中東・アフリカ系をミズラヒムとして区分することがある。

 広い意味でのセファルディムはアラブ系の容姿なのでアラブ諸国への潜入スパイとしても重宝されたようだ。シリアに潜入して軍の要路と親しくなり重要な情報をもたらしたモサドの伝説的なスパイでイスラエルでは英雄視されているエリ・コーヘンもそうだった。エリ・コーヘンを描いたネットフリックスのドラマ「ザ・スパイ −エリ・コーエン−」では、彼の愛妻が、客として訪れた身分を明かせない彼の上司に食事をすすめ「セファルディムの女は客をただでは帰らせないものなの」と言わせている。

4.現代米国におけるユダヤ人の区分

 下に参考までにピューリサーチセンターの調査結果によって、米国のユダヤ人が自らをこれらの何と考えているかをかかげた。米国の場合は、アシュケナジムが大半を占めていること、また最近はそうした区分の意味も薄れて行っていることがうかがえる。


【参考文献】
・清岡智比古(2012)「エキゾチック・パリ案内」平凡社新書

(2012年8月20日収録、11月19日フランス・ユダヤ人について加筆、2015年1月26日ヨーロッパのユダヤ人観データを追加、1月27日フランスのユダヤ人のイスラエル移住数データ追加、2月17日デンマーク連続テロ関連記事追加、2016年7月11日コラム「米国ユダヤ人社会をめぐる亀裂」、7月14日ユダヤ人観更新、2022年2月20日コラム・リカードの出身、3月7日ユダヤ人観調査更新、2023年1月18日ユダヤ人のロシアからの流出、10月19日イスラエルへの移民人数推移図、11月3日更新、11月12日米国のユダヤ人の区分、11月13日米国ユダヤ人の対イスラエル観、12月4日コラムでエリ・コーヘン)


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