その他では、これら2国の10分の1以下の規模であるが、フランスの44.6万人、カナダの39.4万人、英国の29.2万人と続いている。 各国人口に占めるユダヤ人の比率としては、イスラエルの73.93%はイスラエルがそもそもユダヤ人の母国として設立されたことから例外的に高いが、それ以外では、米国が1.82%、カナダが1.03%、フランスが0.69%、ハンガリーが0.48%、ウルグアイが0.47%、オーストラリアが0.46%、英国が0.43%、アルゼンチンが0.39%と続いている。 米国のユダヤ人は人口比以上に大きい政治的、経済的な影響力を有しているが、近年、米国ユダヤ社会の中で、イスラエル政府の利益を代弁する保守的勢力とイスラエル政府に批判的な若者を中心とするリベラル勢力との間に亀裂が広がっているという(巻末コラム参照)。 現在のユダヤ人人口の分布は歴史的な経緯をもっている。以下に参考図としてユダヤ人人口の地域別構成の推移を掲げた。 イスラエル建国以前の1900年段階ではユダヤ人人口の多い地域は、多い順に旧ソ連、東欧・バルカン諸国、西欧であった。
ロシアにおけるポグロム(ユダヤ人に対する集団暴力行為)が1881‐84年、1903‐06年、1917‐21年と3波にわたって多発した。このため、推移図では1939年にかけて旧ソ連のユダヤ人人口は減少し、代わって北米や東欧・バルカン諸国が増えている。 その後、ナチスがドイツの政権を握り、侵攻先の東欧地域でユダヤ人の大量虐殺(ホロコースト)を行ったため、ユダヤ人全体の人口は500万人以上の減少を見ている(コラム参照)。この結果、地域別には東欧・バルカン諸国のユダヤ人人口が急減した。 戦後の大きな動きはイスラエル共和国(1948年成立)への旧ソ連・東欧・北アフリカなどからの移住が拡大した点である。下図の通り、建国当時、及びソ連崩壊後の移住の多さが目立っている。 イスラエルとパレスチナの人口推移・出生率・流出入率は図録9240参照。現在のイスラエルのユダヤ人とアラブ人の割合やイスラエル・ユダヤ人の出生地割合については、イスラエルを含む中東諸国の民族構成を示した図録9284参照。 戦後、ユダヤ人の総人口は増加しているが、なお、ナチスの虐殺前の1600万人以上の水準には回復していない。なおユダヤ人の出生率はイスラエルにおいては他国居住のユダヤ人と比較してかなり高くなっている(図録1025参照)。 ヨーロッパでフランスのユダヤ人がもっとも多い理由は、フランス革命で世界に先駆けてユダヤ人に市民として生きる権が与えられ、「その結果1808年には、唯一の公認ユダヤ人団体として長老会(コンシストワール・イスラエリット)が設立。(中略)そして1860年、こうして「解放」されたフランスのユダヤ人が中心となって世界ユダヤ教連盟がパリで結成され、フランス外のユダヤ人たちの支援にまで乗り出す」(清岡2012)という経緯があるからである。ここでイスラエリットとはユダヤ教徒であることを私生活に限定し、フランス社会に同化していったユダヤ人のことをさす。こうしてドイツ・東欧系のアシュケナジム・ユダヤ人でもフランスに移住したものが多い。そのうえ戦後にはマグレブ地域(アルジェリア、モロッコ、チュニジアといった旧仏領北アフリカのフランス語圏)からセファルディム系のユダヤ人も多くフランスへ移住した。パリのユダヤ人街としてはマレ地区(3区・4区)が有名であり、ドイツ系ユダヤ人のアドルフ・ダスラーが創業者であるアディダスのアンテナ・ショップもここに立地している。 フランスにおける最近のユダヤ人の動きとしては、右図のように、フランスを脱出してイスラエル移住するユダヤ人が増加している点が目立っている(東京新聞2015.1.27)。これは、フランス国内の反ユダヤ主義の高まりに加え、2014年7〜8月にイスラエルとパレスチナ武装勢力との戦闘でパレスチナ側にはイスラエルより二桁多い2000人以上の死者が出たことがこの動きをさらに加速させ、ユダヤ人襲撃事件などを増加させたためと見られる。イスラム過激派による連続テロ事件として2015年1月9日にパリで発生したユダヤ系スーパー立てこもり事件も同一線上の動きともとらえられる。「仏政府はユダヤ関連施設への新たな襲撃を警戒。事件後、全国の学校や教会に兵士ら計4700人を配備した。(中略)危機感を募らせるバルス首相は今月13日の国会演説で「反ユダヤ主義の復活は民主主義の危機だ。ユダヤ人のいないフランスはフランスではない」と強い口調で訴えた」(同上)という。その後、2月14〜15日にもデンマークの首都コペンハーゲンでも「表現の自由」をめぐる討論会会場とユダヤ教礼拝所(シナゴーグ)が銃撃され二人が死亡するという連続テロ事件が起こった。ここでもユダヤ人が標的とされたことから、「欧州のユダヤ人社会に再び同様が広がる中、イスラエルのネタニヤフ首相は、欧州からイスラエルへの移民を呼び掛け、多文化を重視してきた欧州の分断に懸念が高まっている」と報じられている(東京新聞2015.2.17)。「デンマーク国内のユダヤ教徒は約6400人で、人口の0.1%。フランスの0.7%、英国の0.4%と比べると高くないが、歴史的にユダヤ人への寛容が重視されてきた。ナチス支配下にあった戦時中、ナチスによるユダヤ人迫害に唯一、国家規模で抵抗。自国にいたユダヤ人数千人をかくまい、中立国のスウェーデンに海路で送り込んで助けている。(中略)16日に記者会見したトーニングシュミット首相は「ユダヤ人は私たちの社会の強固な構成員だ。国内のユダヤ人社会を守るためあらゆる手段を尽くす」と強調した」(同上)。 最後に、ヨーロッパの国民の対ユダヤ人観についての意識調査結果を掲げた。反ユダヤ感情は、英国、フランス、ドイツといった主要国では小さいが、ギリシャ、あるいはポーランド、ハンガリーといった東欧では、相対的に大きいことが分る。世界で3番目にユダヤ人の多いフランスでは、親ユダヤが89%を占めており、ユダヤ人にとって暮らしやすいことがうかがわれる。参考までに対イスラム観についての同様の意識調査結果も掲げておいた(図録9030参照)。イスラムやロマ(ジプシー)と比較するとユダヤ人の評判はよい(対ロマ観については図録8596)。イスラム過激派のユダヤ人襲撃にはイスラム系住民の不公平だとの感覚に訴えている可能性もある。もっともこの調査は2014年7〜8月のイスラエルによるパレスチナ攻撃後だが状況は変化していない。 この調査でロシアにおける反ユダヤ感情は特に大きいようには見えるが、ウクライナ戦争で反ユダヤ主義の高まりの可能性を懸念してユダヤ人のロシアからの国外流出が続いているという。「昨年末、英紙を通じてユダヤ人にロシアから去るよう呼び掛けたのは元首席ラビのゴールドシュミット氏だ。同氏はウクライナ侵攻で社会混乱が広がれば、ロシア国民の不満と憎悪はユダヤ人に向くと予想。キリスト教世界で差別を受けてきたユダヤ人らが「スケープゴートになる」と懸念した。ロシアでは昨年2月のウクライナ侵攻後、わずか半年でユダヤ系の約2万500人がロシアから逃げ出した。16万5千人と推定される同国のユダヤ系住民の12%に相当する。ゴールドシュミット氏によれば、「ロシアの国家権力は政治体制が危機的状況になると、大衆の怒りと不満をユダヤ人社会に向けようとしてきた」という。現在のベラルーシやポーランド、ウクライナを含むロシア帝国の各地では十九世紀から二十世紀初め、ユダヤ人への集団的迫害「ポグロム」が起きた。英BBC放送はユダヤ人社会の現状について「迫害を受けた歴史の亡霊がよみがえり、人々の心に影を落とした」と分析した」(東京新聞、2013年1月16日夕刊)。 図に国別ユダヤ人人口を掲げたのは25カ国、具体的にはイスラエル、米国、カナダ、アルゼンチン、ブラジル、メキシコ、チリ、ウルグアイ、パナマ、フランス、英国、ロシア、ドイツ、ウクライナ、ハンガリー、オランダ、ベルギー、イタリア、スイス、スウェーデン、スペイン、オーストリア、オーストラリア、南アフリカ、トルコである。
【参考文献】 ・清岡智比古(2012)「エキゾチック・パリ案内」平凡社新書 (2012年8月20日収録、11月19日フランス・ユダヤ人について加筆、2015年1月26日ヨーロッパのユダヤ人観データを追加、1月27日フランスのユダヤ人のイスラエル移住数データ追加、2月17日デンマーク連続テロ関連記事追加、2016年7月11日コラム「米国ユダヤ人社会をめぐる亀裂」、7月14日ユダヤ人観更新、2022年2月20日コラム・リカードの出身、3月7日ユダヤ人観調査更新、2023年1月18日ユダヤ人のロシアからの流出、10月19日イスラエルへの移民人数推移図、11月3日更新、11月12日米国のユダヤ人の区分、11月13日米国ユダヤ人の対イスラエル観、12月4日コラムでエリ・コーヘン)
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