こうした政治的な事件のほとんどは、朝鮮半島が冷戦構造の中の最前線に位置したことから起こっていると言える。軍事的独裁や果敢にそれと戦った民主化運動、あるいは地域的な政治対立(図録8860参照)も冷戦と無関係とは言えない。 日本は、原爆被害をふくみ第2次世界大戦までに大きな犠牲者を出したが、それ以降は、冷戦最前線となった朝鮮半島が緩衝帯となり、むしろ補給線的な位置となったこともあって、100人以上の犠牲者を伴うような政治的事件は起こっていない。 政治的な事件の多くでは、ベトナム戦争を除いて、犠牲を強いたのも犠牲となったのも同じ国或いは同じ民族の人間同士であった。日本でも長州と会津の人間が遺恨をもたない関係になったのは何世代か経過した最近のことである。わだかまりを解消するにはそのためのステップと時間がかかろう。 日本と韓国では、第2次世界大戦後の政治状況の根本構図が異なるため、国同士、あるいは国民同士の相互理解には、こうした点に関する歴史の理解とそれに基づく相手の立場と気持ちへの洞察が不可欠であろう。 朝鮮戦争の犠牲者数が民間人を含めていかに多かったかは図録5228の後半部分参照。 (年表) 多くの犠牲を伴った韓国における第2次世界大戦後の主な政治的事件
(2006年3月18日収録、9月4日朝鮮戦争犠牲者の図を追加、2015年10月22日元図と追加図を一体化)
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