ここではギャラップ社のデータで米国人の銃保有率がどう推移しているか、また属性別の保有率の違いについて紹介しよう。 米国人の銃保有率は、これだけ乱射事件が頻発していても(いな頻発するからかもしれないが)、ほとんど安定的、あるいはやや上昇気味に推移している(銃乱射事件については図録9365でふれている)。 世帯保有率(家にある、あるいはどこかに所蔵している)は45%前後で安定的に推移している(1991〜94年には50%以上だったのでやや低下か)。 個人所有率の方はほぼ30%前後であるが、やや上昇気味とも見受けられる。 属性別の銃保有率については個人保有率に着目すると以下のような点が目立っている。
図録2776dでも紹介した説であるが、エマニュエル・トッドによればこうした米国人、特に男性の銃保有率の高さは原初のホモ・サピエンスの特性をなお維持しているホモ・アメリカヌスたる米国人ならでは特徴である。 他殺率の高さは米国の暴力性をあらわしているが、「米国社会に多分に残っているこの暴力性は、ごく単純にひとつの太古性なのである。この太古性が保全されているのは、国家による正統な暴力の独占が不完全で、社会に垂直的原理が欠けていて、結局、人類学的なある種の水平性が維持されているからにほかならない。米国社会で一般市民が拳銃やライフルを所持するのは、中世ヨーロッパにおけるナイフの日常保持の永続化である」(「我々はどこから来て、今どこにいるのか? 」上、文藝春秋、原著2017年、p.345〜346)。 「最も先進的だという意味で「モダン」を体現しているように見えるアメリカが、それでいて同時に「未開」だとも感じられるのは一体なぜなのか。(中略)彼らは、ほとんどまったく洗練されていないからこそ、先を行っているのである。ほかでもない原初のホモ・サピエンスが、あちこち動き回り、いろいろ経験し、男女間の緊張関係と補完性を生きて、動物種として成功したのだ。他方、中東、中国、インドの父系制社会は、女性のステータスを低下させ、個人の創造的自由を破壊する洗練された諸文化の発明によって麻痺し、その結果、停止してしまった(同上、p.351)。 (2022年12月7日収録、2024年12月4日拳銃所持禁止法への意向)
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