1.概括

 米CIAの各国統計集から、インドとその周辺、南アジア諸国の民族構成をグラフにした。

 民族といっても各国によって、語族、言語集団、種族、部族など捉え方のレベルが異なっている点には留意が必要である。この図のネパールの民族分類並みにインドの民族構成を捉えたら大変長いリストになると考えられる。

 南アジアでは、東南アジアの民族構成と異なり中国系の居住民は少ない(図録8590参照)。

2.インド


 インドはアーリア系が72%と多数であるが、ドラヴィダ系も25%と多い。インドにもムンダ人など、ベトナムやカンボジアなど東南アジアと共通するオーストロアジア語族も住んでおり(図録8130参照)、ここではモンゴロイドその他に含まれていると考えられる。

 インド亜大陸の民族については、時系列的に古い順に、オーストロアジア語族、モンゴロイド系のシナ・チベット語族、ドラヴィダ族、そしてインド・アーリア民族の4つが重層する形で民族移動が行われ、最後にやってきたインド・アーリア系が先行民族の文化を吸収しながら支配的となった。上の南アジアの言語地図を見ると、オーストロアジア語系、シナ・チベット語系、ドラヴィダ語系は孤島的な分布となっている場合があり、それを取り囲むようなインド・アーリア語系の分布状況とは対照的である。こうした点からもインド・アーリア語系が遅れてインドに侵入してきた様子がうかがわれる。

 オーストロアジア語族は、現在は、ムンダ諸語(ムンダーリー語、サンタリー語)、アッサム地方のカーシー語など少数(インド共和国の1.5%)となっているが、
  • @ シヴァ神のシンボルとしてヒンズー教のなかで重要な位置を占めるリンガ(男根)という言葉自体、オーストロアジア系の言葉(リンガの原型が、後に南インドへと移動していったドラヴィダ族のものといわれるインダス文明の遺跡から出土し、これがアーリア系のヒンズー教へと引き継がれたとされる)
  • A アーリア民族のバラモン教根本経典「リグ・ヴェーダ」の中の信仰のいくつかはオーストロアジア民族に神話に由来
  • B カレー料理の基本となるコショウ、ウコンなどの使用は元来オーストロアジアの文化にあらわれたもの
  • C 現在ヒマラヤ山麓に残るチベット系言語の中には、オーストロアジア系言語を基層にもつものがある
などから、かつてはインド亜大陸に広く分布していたと考えられている(「民族の世界史(7) インド世界の歴史像」(1985)序章(辛島昇))。

3.スリランカ

 スリランカではシンハラ人が7割以上と多数を占める。北部の少数派タミル人との激しい武力闘争を伴う民族紛争が長く続いてきた。タミル人が話すタミル語は南インドのドラヴィダ語系に属している一方、シンハラ人の話すシンハラ語はヒンディー語やベンガル語と同じ北インドのアーリア語系に属する。シンハラ人の起源はアーリア系の言語を話す民族集団の北インドからの移住によるものとされる。宗教的には、シンハラ人は今では北インドでも衰えてしまった仏教をなお信仰するものがほとんどであるのに対して、タミル人はヒンドゥー教徒である。スリランカ人の自殺率が高いのは仏教の影響もあるとされる(図録2770)。一方、食文化などは辛さやココナッツの多用という南アジアと共通するスリランカ料理が成立しており、モルディブ・フィッシュ(柔らか味のある鰹節)を使った味の特徴は南インドでもスリランカ料理の特徴となっているといわれる(辛島昇「カラー版 インド・カレー紀行」岩波2009)。

4.バングラデシュ・パキスタン・アフガニスタン

 バングラデシュはインド隣接部と同じベンガル人の国であるがイスラム教を奉じている点が異なる。

 ベンガル人は世界の中で中国語、英語、スペイン語に次いで話す人口の多いベンガル語を母国語とする民族集団であり、インドのカルカッタを中心とする西ベンガル州とバングラデシュ、およびインド北東インド諸州やビルマ・アラカン州(主にロヒンギャ)などベンガル湾周辺の広大な地域に暮らしている。アーリア系やドラヴィダ系など人種的には混交している。バングラデシュでは98%がベンガル人であるとされる。

 パキスタン、アフガニスタン、ネパール、ブータンでは見かけ上も民族構成が多様である。

 イラン語系のパシュトー語を話し、多くの部族集団に分かれて伝統的には山岳地帯で遊牧などを行って暮らしてきたパシュトゥーン人は、アフガニスタンの多数派民族であると同時にパキスタンの北西部にまたがって居住している。居住地域が大きく分散していないのにも関わらず、2つの国家に分割されているのは、この地域を支配下に置いていた英国が、保護国アフガニスタンと植民地インドとの境界を民族分布を考慮せずに引いたためである(下図参照)。

 パシュトゥーン人の幹部も多いパキスタン軍に支援され、1996年、アフガニスタンの政権を握ったイスラム原理主義武装集団タリバンはパシュトゥーン人を支持基盤としていた。2001年には、タリバン政権の保護下にあったアル・カーイダが米同時多発テロを起こしたとして、米国と有志連合諸国が自衛権の発動としてアフガニスタン侵攻を開始し年末にタリバン政権が崩壊したが、その後の長い武装割拠の末、2021年8月に米軍が完全撤退するに至り、タリバンが政権に復帰したことは記憶に新しい。


5.ネパール

 ネパールの最大民族パルバテ・ヒンドゥーのうち、チェトリ人はクシャトリアに相当、丘陵ブラーマン人(バフン人)はバラモンに相当、カミ人は不可触賤民の一部をなすといわれる。ネパールは、こうしたインド系のグループ(12世紀にムスリムに追われて西部ネパールに入ったのが起源とされる)とそれ以前から居住していたチベット・ビルマ系のグループとからなる。後者には、西部のマガール人、タルー人やカトマンズ周辺のタマン人、ネワール人があげられる。ネパールは2008年王制が廃止されたが、それ以前は、世界で唯一のヒンドゥー王国と自負していた。

 ネワール人はカトマンズ盆地を本拠地とし、かつてマッラ王朝をつくり、水田稲作と粋を集めた建築・工芸の文化の花を咲かせていたという。彼らも早くからインド文明の影響を強く受け、ヒンドゥー化が進んでいる。また、ネワール人は6〜7世紀までにインドから伝えられた密教系の大乗仏教を今に伝えていることでも知られる。カトマンズ盆地には「300に近いネワール仏教寺院が存在している。(中略)盆地には、数十万のネワール人が住むが、その約3割が仏教徒といわれる。彼らは自分たちのことを金剛乗(こんごうじょう、バジュラ・ヤーナ)と呼んでいる。ネワールの僧侶階級であるバジュラーチャールヤたちはサンスクリットを理解する者たちが多く、主要部分がサンスクリットで書かれた儀礼マニュアルを用いて、さまざまな儀礼を行っている。またこの盆地において仏・菩薩たちはサンスクリット名で呼ばれている。」(立川武蔵「ブッダをたずねて」第69回、東京新聞2013年7月20日)

 ネパールの「その他」には、やはりチベット・ビルマ系のグループに属する東部ネパールのライ人、リンブー人、またエベレスト南麓に住み、食タブー等がなく登山ガイド・ポーターとして活躍するシェルパ人が含まれる。ネパールとブータンに挟まれた丘陵地帯のインド・シッキム州のレプチャ人も同系統のチベット・ビルマ系民族である(中尾佐助・佐々木高明「照葉樹林文化と日本 (フィールド・ワークの記録)」くもん出版、1992年)。

 なお、ネパール山岳民といえば英軍の別働隊としての活躍と勇猛さで鳴るグルカ兵が有名だが、グルカは特定の民族名ではなく、インド人特有の食タブー等から自由で近代戦に向いていたため、英ネパール戦争(1814〜16年)の後、ネパール王国の容認の下、英国がネパール山岳民から募兵し誕生した戦闘集団の名称である。高野秀行「謎のアジア納豆: そして帰ってきた〈日本納豆〉」新潮社(2016年)によれば、グルカにはアーリア系もいる(いた)が「主要民族はグルン、ライ、リンブー、マガル、タマンなどとされている。全てモンゴロイド系、すなわち納豆カーストだ」。グルカ兵はなお英軍で活躍しエリザベス女王の護衛兵などとしてロンドンで勤務したりフォークランド紛争や湾岸戦争でも出兵している。このほか一部は米国の傭兵部隊としてアフガニスタンでも活躍している。各地で彼らはキネマ(納豆)を食しているという(p.172〜174、ブータン南部に入植した納豆食民族の彼らがブータン難民としてネパールに戻っている状況については下のブータンの項参照)。

 山地ヒンズーのエリート達によって政党抜き・王制主導のヒンズー主義統一国家形成が進められた(1960年マヘンドラ国王によるパンチャヤット制)。これはネワール人などその他の民族グループを排除しながら進められたこともあり(上級官僚に占めるバフン-チェトリ人の割合は1984〜5年の69.3%から1996〜7年には83.1%へと上昇)、100のエスニックグループ、92の言語にカーストシステムが加わった複雑なネパール社会をまとめることができず、1990年の左翼主義者と民主政党とが提携した民主化運動(Jana Andolan)、そして1996年から開始された辺境の民族グループからの支持に基づくネパール毛沢東派共産党(中国共産党とは無関係)による「人民戦争」を招いた。その後、2006年の包括的平和合意により毛沢東派と諸政党が民主制移行と社会改革を目指すこととなったが、立憲議会は思った成果を生まず、カトマンズのエリート政治の継続に対するマイノリティ・グループの不満はますます強まっている。毛沢東派が行った内戦(1996〜2006)を経る中で、警察や国軍に対する市民の信頼感は失われ、暴力や犯罪に訴えて物事を解決しようとする気風が広がってしまった。南部の帯状低地テライ地方にはこの数十年にマドヘシと呼ばれるインド系住民が定住するようになった。彼らは2007年に自治権を要求しはじめた。下図のように今や暴力の震源地は、毛沢東派の反乱期の丘陵部中腹地域から南部テライ地方の犯罪多発地域にシフトしている(世界銀行「世界開発報告〈2011〉紛争、安全保障と開発」英語版による)。


6.ブータン

 ブータンのボテ人(ボーティア人)はチベット系を指す。中尾佐助によれば、ヒマラヤ山脈の主要盆地は下表のように西から東へヒンドゥ文化と照葉樹林文化の影響の強弱の傾きが見られるとしている。その中で、ブータンはチベット系文化の影響、及びヒンドゥ文化や照葉樹林文化とは異なる固有のヒマラヤ文化の形成(特有の色彩、文様を持つ女性の着物キラに代表される衣服や3〜4階建ての家屋の様式)に特徴があるとされる。中尾はこれをヒマラヤ諸国でブータンだけで封建制が成立し、地域間の切磋琢磨で独自の文化が形成されたためだとしている。日本でも、基層の照葉樹林文化に中国文化が加わり、さらに封建制の下で独自文化が形成されたが、チベット文化と中国文化という違いを除けば、ブータンと日本は同様の文化形成のパターンをもつと考えられているのだ。

ヒマラヤ山脈主要4盆地の西から東への文化のクライン(傾き)現象
主要文化 照葉樹林文化 チベット文化の影響
(非クライン要素)
インド/カシミール州スリナガール盆地 ヒンドゥ文化 消失 インド型乳加工体系
ネパール/カトマンズ盆地 ヒンドゥ文化 弱い インド型乳加工体系
ブータン/パロ、ディンプー、プナカ3盆地 チベット仏教
ヒマラヤ文化
チベット型乳加工体系
インド/アッサム州アパ・タニ小盆地 原住民文化 強い 乳文化欠落
(ミタン牛飼育するも)
(注)中尾佐助・佐々木高明(1992)により当図録で作表

 ブータン人には、このようなヒマラヤ文化の担い手である高地チベット・ヒマラヤ系と低地に住むヒンズー系のネパール人の2系列がある。そして20世紀末にかけて両者がぶつかる状況が出てきている。外務省のHPにはこうある(2011.4.21)。「1980年代のブータン政府による民族アイデンティティー強化施策が、国内のネパール系住民の反発を招き、多くのネパール系住民が難民となってネパールに流入したため、ブータンとネパールとの間での外交上の懸案となっている」。いわゆる「ブータン難民」である。民族アイデンティティー強化施策には北部寒冷地に適した民族衣装を南部住民にも着用義務化、などを含む。ネパールとの間に隣接するシッキム州はかつてブータンと同様チベット系の王国であったが、茶の移民労働力として流入したネパール人が多数派となり1975年にインドに併合されてしまった。ブータンにおいても、ネパール系が人口増加でチベット系を凌駕しており、これに危機を感じ、シッキム州の例を踏まないようにする意図が民族アイデンティティー強化施策の背後にあったと考えられている。

 高野秀行「謎のアジア納豆: そして帰ってきた〈日本納豆〉」新潮社(2016年)は歴史的なブータン難民の苦難を非納豆民族による辺境の納豆民族への迫害の歴史として描いている。ブータン難民のそもそものはじまりは19世紀後半から20世紀にかけてネパールからシッキムやブータンへ大勢が移住したことだが、これは「非納豆民族が支配するネパール王国政府の理不尽な土地の収奪や重税が一因だったという」(p.187)。そして、高地のブータン人には住みづらい南部の亜熱帯に入植したネパール人はシッキムのインド併合に驚いたブータン政府に警戒、弾圧され「たった約70万人しかいなかったブータン人のうち十万人が難民になったのだから、その迫害規模の巨大さが想像できる。90年代、当初はニュースにもなったブータン難民だが、ブータンが「幸福大国」として脚光を浴びはじめるとそれに反比例するように注目度は下がり、今となってはほとんど知る人もない有様だ。(中略)ライ、リンブー、マガル、グルン...。十万以上に及ぶブータン難民の半数以上が納豆民族だった。それが首都ティンブー周辺に住む非納豆民族によって国を追われたことになる」(p.182〜187)。ネパール東部のブータン難民のキャンプで納豆食を取材した高野は最後に次のような感想を述べている。「まさに辺境の民。さまよえる納豆民族。ちなみに、同じブータン難民でもアーリア系はやはりキネマを食べないという」(p.187)。

7.最後に

 隣接する東南アジアの民族構成は図録8130、中国の少数民族は図録8230、イラン(周辺アフガニスタン、パキスタンを含む)の民族構成は図録9280を参照。

 検索ヒットを考慮して以下に民族名をすべて掲げておく。インド(インド・アーリア人、ドラヴィダ人、モンゴロイドその他)、バングラデシュ(ベンガル人、その他)、パキスタン(パンジャブ人、パシュトゥーン(パターン)人、シンド人、サラーイキ人、ムハージル人、バルチ人、その他)、スリランカ(シンハラ人、ムーア人、タミル人(インド系)、タミル人(スリランカ系)、その他、不詳)、アフガニスタン(パシュトゥーン人、タジク人、ハザラ人、ウズベク人、アイマク人、トルクメン人、バルチ人、その他)、ネパール(チェトリ人、丘陵ブラーマン人、マガール人、タルー人、タマン人、ネワール人、ムスリム人、カミ人、ヤーダブ人、その他、不詳)、ブータン(ボテ人、ローツァンパ人等ネパール系、先住部族・移住部族)。

(2009年4月28日収録、7月3日南インド言語地図と関連するコメント追加、2011年4月21〜22日ネパール・ブータン記述追加、6月6日ネパールコメント追加、2013年7月20日ネワール人の密教系大乗仏教について追加、2016年7月11日グルカ兵・ブータン難民コメント補訂、2022年2月6日デュランドライン設定図)


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